戦後の間もない頃、米を生産している農家でも、米は供出米としていて、自分の家では自由に食べることができず、小麦をうどんに替えてもらい、夕食はうどんが定番でした。
食べ慣れているうどんと、米にサツマイモや大豆、ニンジン、ゴボウなどが入った麦ご飯が多く、食べ物の事情が厳しかったための工夫だったと思います。
定番のうどんには、天ぷらが上に載っていたことから、カレンダーの11月4日は、11月11日のうどんに日の上にくることから「かき揚げの日」だそうで、面白い記念日です。
かき揚げの歴史は、江戸時代の後期、三都(江戸・京都・大阪)の風俗、事物を説明した書き物(百科事典)によれば、「天ぷらそば」が考案されたのは文政年間(1818年〜1830年)頃で、使用された具材は「芝海老のかき揚げ」だったそうです。
現在の「かき揚げ」と言えば、小さく切った魚介類(エビ、小柱、イカなど)を主とする場合と、たまねぎやにんじんなどの野菜を主とする場合があり、両者を混ぜたかき揚げもあります。
具材の組み合わせはいろいろで種類も多く、小麦粉を溶いた衣でまとめ、食用油で揚げた天ぷらですが、私が育った戦後の苦しい時代は野菜のみの天ぷらが主で、魚介類は特別な日でしか入っていませんでした。
かき揚げは、かき揚げ丼、天丼、ザルそばに添えるといった食べ方がありますが、当時は丼の中のご飯は麦飯が多く、麦の使用量が多すぎて、おいしく感じなかったのです。
丼のご飯は白米に限り、この季節、採れたての新米はなおおいしいかと・・・・。大麦が多く入ったご飯は「かき揚げ丼」よりも「とろろご飯」にすると、おいしくいただけます。
さて、今夜は「エビのかき揚げうどん」でも食べることにしましょうか。

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