太平洋戦争が終わって、あれから74年が経過しました。私が物心ついたときは食べ物が不足し、飢えに苦しむ人々が街にあふれ、コメは戦時中に作られた食糧管理法という法律で徹底的に管理されていて、農家は自分が食べる分のほかは、すべて強制的に政府に売り渡すきまりでした。
自分で食べ物を作れない人は、政府からの配給だけが頼りでしたが、配給では足りない都会の人々は、ヤミのコメを求めて「買い出し」を行い、農家だった我が家へ「ヤミ米」を買いに来る仲買人が、聖徳太子の付いた百円札を何枚も手にし、母との激しいやり取りの末、コメ袋を担ぎ出す後ろ姿を、幾度も見たことがあります。
家で食べるコメを売り渡した後は、麦や野菜で補うしかなく、鶏やウサギ、ヤギも飼って乳を搾り、農家であっても食べることに苦労したのは変わりませんでした。
私には食べた記憶がありませんが、親から聞いた話では、戦後、岡崎の地に移り済むようになって間もなく、食べ物を補うため「サツマ芋のツル」も食べていたようで、昨年ご近所から薦められて食べてみたところ、料理の仕方によってはクセが少なく、おいしく食べられたのです。
今年は、自分の畑でサツマ芋を植えたことからツルを採り、インターネットによると栄養価も高く、軽く湯がいてサラダや油炒め、煮物にもしましたが、おいしい食べ物です。地域によってはスーパーマ−ケットで「芋のツル」として販売もしているようです。
『まさか、どれだけ食べ物が不足しているとは言え「芋のツル」まで食べるとは・・・・』と、思っていましたが、親が暮らしの知恵を子どもに教えるとなると、まず金銭面に大きく関わる問題を重要視 しがちだと言えるのでしょう。
先人の知恵で物を大切にし、最大限に活用することができれば、節約をしていない家庭でも、捨ててしまいそうな芋のツルも、有効活用することで有意義な暮らしができるかもしれないのです。

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