きょう9月26日は、昭和34年(1959年)紀伊半島から東海地方を中心に甚大な被害を及ぼした「伊勢湾台風」が、満潮時と重なって多くの水死者・行方不明者を出した日です。
風速40メートルの南風が吹き、前日には雨戸を外側から筋交いの要領で材木を打ち付け補強し、強風よって内側から全力で押していましたが、長い間の南風の強さに力が尽き果て、家の中を風が通り抜けて行くのを、ただ呆然(ぼうぜん)と立ちすくんで見ていた記憶があります。
高校生だった私は、この年の2月に祖母を、6月に父を亡くし、母と二人暮しで寂しくなった時でしたから「伊勢湾台風」を忘れはしません。
停電でラジオが聞けなかったから台風情報が分らず、やがて西風に変わり、風が収まると近所の家々のカワラが剥がれ、木や塀が倒れ、道路に土が流れ出て風雨の強かった跡を示していました。
学校まで自転車で行く途中、建築中の家が倒れ、途方にくれる人だかりを横目に見ながら教室へたどり着くと、名古屋の方では多くの死者が出たとの情報が伝わり、登校ができない生徒が多く授業は中止、早々と下校しました。
28日に届いた新聞で被害状況を知り驚きました。名古屋市内で冠水した道路の上をゴムボートで救助される人の写真が掲載され、行方不明と死者が数千人にのぼると報じていました。(死者・行方不明者は5,098人、負傷者39,000人)
当時、台風災害に対する認識が希薄で、海抜の低い危険地帯に住んでいることを知らないまま被災した人が多く、避難勧告がない地域も珍しくなく、停電となって情報源のラジオも聞けず、避難の機会を失う一因で、情報の大切さを知ることになりました。
台風は、いつ来るか分る時代です。それでも今年襲来した15号は大停電を起こしました。早めの対策に勝るものはありません。

4