小学校の頃、交通手段といえば徒歩、荷馬車、自転車、名鉄バス・電車の他に、国鉄の蒸気機関車でした。自家用車は誰でも乗れるものではなく、お医者さんが往診に乗っているくらいで、一般的な乗り物ではありませんでした。
貧富の差はもちろん、年齢、性別、社会的身分などに左右されず、あらゆる人が移動に利用できる一般的な交通手段に自家用車はなく、現在の状況とはずいぶん違っていました。
農村地帯だった刈谷・安城・西尾市、そして挙母市(現・豊田市)や岡崎市に住む人々も、自動車関連産業の発展とともに所得も増え、自家用車に乗って1時間程度で通勤できる時代がやってきました。
自家用車の利便性にすっかりとらわれている現在、公共交通手段を選択するときは、長距離を移動する場合に限られてきました。
自宅から目的地まで、人も荷物も運べる便利な手段が自家用車です。高齢を理由に積極的に車や運転免許を手放せと言っても、代替えの定期バスなど、運行本数は自家用車の利用が進歩したためか激減していて、手段は深刻な問題になりつつあります。
誰もが自由に移動することを考えると、地域で安全に暮らせるよう公共交通を発達させる取り組みが不可欠です。それには、国や地方自治体、企業の取り組みが必要で、それを後押しするための民意が重要です。
自動車産業を支えてきた自家用車も、道路の整備や維持管理など経済コストや排ガスなど環境負荷など諸問題を発生し、対策に追われてきました。
今、技術の進歩で車の自動運転、運転免許の必要性が問われ、自家用車に替わって公共の交通手段を見直すときが来たようです

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