「学歴は意味を失ったのか」日本で「学歴」は意味を持つかと、10月28日、Yahoo!ニュース編集部の福島奈美子さんの記事を読みました。
戦後(1945年以降)1990年代にかけて日本の大学は約10倍に増えました。18歳人口が減少して「定員 割れ」が生じるようになっても大学の数は増え続け、供給が過剰で「大学全入時代」のいま、教育内容のレベルにも問題が生じてきたといいます。
確かに戦後まもなくは、高学歴を獲得すれば、輝かしい未来が約束されるように思え、戦前の学歴を持たない親たちは、何が何でも自分の子どもを高校から大学へ進学させようと、全力を尽くす時代だったと思います。
高度成長期、建設業の研究所で働いていた頃の私は、周囲を見渡すと驚くほどの高学歴者ばかりではありませんでした。現在のように「博士号」を持っている人もいませんでしたし、多くは地方の私大出身者が中心でした。
民間企業ですから、基礎研究というより技術開発が主で、特許取得が目的のようなテーマが多かったように思います。それでも「学歴は必要」と強く感じていたものです。
人事部へ転勤になってからも、人を選別しなければならない立場にあり、性格、生まれや容姿などと共に「学歴も意識」していました。
ところが、記事によれば「学歴が、偏差値の高い・低いじゃなくて、親から与えられた環境や資産の影響をものすごく反映するものになり、家柄差別とあまり変わらないものに着地しつつある」また「育ちのよさ」を示すだけの指標で「学歴は指標として役立たない」と企業が気づきつつあると言うのです。
また、日本では厳格な成績評価を行っていないため「学歴概念」が取り違えられているといい、「入学試験合格歴」が幅を利かせてしまっていて、これではダメだと論じています。
戦後積み重ねてきた教育システムが時代の流れに追いついていけず、出口の崩壊、国全体が老化しているのではないでしょうか。

5