台風、豪雨、竜巻、地震・津波など、人間の力で制御できない自然災害の恐ろしさは、忘れた頃に再び起こることを、「天災は忘れた頃にやってくる」と云いますが、忘れなくてもやってきます。
「魔の九月二十六日」が昨日過ぎました。この日は、五十五年前、名古屋市など海沿いの住宅密集地を高潮が襲い、五千人を超える死者・行方不明者を出した伊勢湾台風が来た日でした。
その後、高潮防潮堤など整備は進みましたが、東日本大震災の状況から察するに、大津波に対しては無防備に近いのではないかと思います。
また、六十年前、台風による暴風のため函館湾で青函連絡船の洞爺丸や十勝丸など五隻が次々転覆・沈没し、千四百三十人もの命が嵐の海にのみ込まれたのが九月二十六日でもあるのです。
災害の教訓から、傾いた船が元に戻りやすいよう船幅を広げる努力がなされ、青函連絡船から青函トンネルを実現させました。さらに、学校ではプール授業が行われるようになったのです。
阪神大震災で被災したとき、折れた電柱、垂れ下がった電線、路上に駐車した車、道路中央に飛び出した自動販売機など、文明の利器が救援を妨げる「凶器」となったことは記憶にあると思います。
その時の教訓から、災害時に公道を塞ぐものを強制撤去したり「やむを得ない限度で」車両を壊したりできるよう、現在の法律の改正案を練っているそうです。
さらに、国土交通省も来年度から、緊急輸送道路では、新たな電柱を立てることを禁止する方針を固めたそうです。市街地の景観からしても、現在ある電柱も早急に地下へ埋設できるよう望みたいものです。
「天災は、忘れなくてもやってくる」・・・危機意識は常に新しいものへと塗り替えていく必要があるように思います。


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