戦後、引き揚げ船が京都府の舞鶴港に着くたびに、息子の帰国を待ち焦がれる母がいて、母親の愛の執念への感動と、戦争への云いようのない憤りを感じて、高まる激情を歌った「岸壁の母」は・・・・・、
1954年に歌手・菊池章子さんが歌い、その後二葉百合子さんがリバイバル曲として大ヒットしました。
「♪・・母は来ました 今日も来た この岸壁に 今日も来た・・・♪」
息子を待つ歌詞は、あまりにも切なく、人の心に迫り、愛する息子や娘が行方不明になった家族の悲しみは計り知れないことを歌っていました。
「♪・・海山千里と云うけれど、何で遠かろ なんでとおかろ 母と子に・・・・」
「♪・・流れる雲より風よりも、辛い定めの つらいさだめの 杖一つ・・・」
歌のモデルとなった岸壁の母「端野いせさん」の息子新二さんは、戦後も上海で生存していて、母が舞鶴で待っていることを知っていたようです。しかし、帰ることも連絡することもなかったと云います。理由はいろいろ推測されたようですが、事実は明らかでないようです。
現在も、ある日突然北朝鮮によって家族を連れ去られ、救出を待ち続けている母「横田早紀江さん」に重なります。
今回、北朝鮮が日本人拉致被害者の全面的な再調査を実施すると約束し、拉致の可能性が否定できない特定失踪者も調査対象とするニュースが流れて、ホッとする一方で、北朝鮮が実際にウソ偽りのない調査結果を日本に示すのか如何かという点です。
年老いた母の姿さえ見られない拉致被害者、そして隣国の、近くて遠い北朝鮮での暮らしを心配する母の気持ちを思うとき、この救済こそが、互いの国の政治責任を果たす時だと思います。
国連加盟国でありながら唯一国交を持っていない北朝鮮という国、たとえ、国交はなくとも近い将来、台湾同様民間での交流を深める国になるかもしれないのです。

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