きょうは七夕、年に1度天の川を渡って織女(しょくじょ)と、牽牛(けんぎゅう)のデイトの日、橋があれば容易に渡れたことでしょう。
昨日、1922年(大正11年)に長野県木曽郡南木曽町読書(よみかき)にある木曽川に架設された橋、桃介橋(ももすけばし)を渡って見学してきました。
橋は右岸と左岸をつなぐ交通の手段ですが、文化を架け渡すもので、人と人が行き交うところです。面識のない両者の間に入って、仲介、仲立ちをする人を橋渡しなどとも云います。
桃介橋は、4径間の吊橋であり、橋桁トラスは木造で橋長は247.762メートルと、木造吊橋としては長く、橋脚のうち中央の橋脚には河川敷に下りる石階段があり降りてみました。
河川敷は木曽川の上流らしく、流れてきた大きな石が荒々しくゴロゴロと存在感を示しています。
昭和53年頃から老朽化も進み、廃橋寸前となって保存・活用の声が多くあり、意匠的・技術的に優秀であるとして、国の重要文化財に指定され大正時代の長大吊橋の本格的な保存と活用がなされています。
人々の往来が対岸に届かないほど、煩わしいことはありません。先人の創意工夫を学ぶ素晴らしい橋を体感してきました。
今、北朝鮮と云う対岸に拉致された日本人を戻そうと、政府は経済制裁を考慮し「戻り橋」を架けようとしています。2004年1度だけ仮橋を渡って5人が戻ってきましたが、その後対岸は何度も約束破りを行い、橋を崩されたことでしょうか。
政府は、拉致された可能性がある860人のうち、619人について、すでにDNA採取を済ませたことを明らかにし,今回の特別調査委員会の調査内容が、これまでのように不誠実なものだった場合、厳しい態度で臨む姿勢を示したとフジテレビは報じていました。
横田めぐみさん(拉致当時13歳)の父、滋さん(81)は、「これを逃せば(救出の機会は)最後になる。再調査が実効性のあるものにしてほしい」とも述べたと報じられています。
架け橋は創意と工夫が必要で、濁流であっても容易に渡れるものでなくてはなりません。

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