名古屋の古い街並みを歩くことが好きで、仕事に行く道すがら名古屋城周辺を通ることがあります。名古屋城の築城は慶長15年(1610)に始まり、清須城下から商人を町ぐるみ移住させ城下町の建設も同時に進められたと云われています。
城の南西、堀川沿いの町は水運を利用して、米穀・塩・味噌・酒・薪炭などを城下町に供給し、酒・味噌などへ加工する商家が軒を連ね繁栄したようです。元禄の大火の後、土蔵の建ち並ぶ裏道を防火目的に4間幅(約7m)の道路にし、四間道と呼ばれるようになったとか・・・。今では狭い路地道ですが、ビルに囲まれた街の中で、古い町並みを歩くのは楽しいものです。
名古屋・堀川沿い・ 四間道・・・・ 2012.6.6撮影
名古屋城の東、白壁町・主税町・撞木町は江戸時代に尾張藩の中級武家屋敷が並んでいたところで、町並みを歩くと、武家屋敷当時の生垣、長屋門、塀等に残っています。静かな高級住宅地となっていますが、武家屋敷門の内側には巨大なマンションや料亭が建つ等、少しずつ昔の街並に変化があります。
城下は武家屋敷・寺社門前・町人町で構成され、町人町は美濃路・下街道・岡崎街道沿いに発達していったようです。岡崎街道を進むと徳川家康の生まれた岡崎城下へと至ります。岡崎城下町は二十七曲がりと云われ、これは防衛戦略上の道を10年間も費やして造りあげたと云われています。東海道と川とつなげて、城下町として宿場町として、また湊町として人と物と金、情報が行き交い、東海道53次の中でも有数の町として発展しました。
岡崎城から2里(約8キロメートル)にある岡崎市小美町は、現在私が住んでいる町です。初めての人は殆ど「おいちょう」と呼べなく「何と呼びますか?」と尋ねます。四季折々の変化と趣(おもむき)をもち、茶臼山から額田へ続く山の裾にあり、町の南を乙川が流れ、美保橋を渡れば保母町に通じ、補化の谷間を県道設楽線で丸山町と結び、田んぼや畑があって、心の安らぎを提供する美しい風景と町並みは、町名通り小さくて美しい町だと思っています。
町並みは東西に約1キロメートルと、その名の通り小さく僅かな存在でも、安心して暮らすことができる良い町だと誇りに思っています。昔ながらの古い城下町や宿場町も好きですが、小美町は戦後60数年の間に世帯数は倍になり、古い町並みこそありませんが、イノシシやサル、鹿やウサギが出る、人と自然が調和した山里も、暮らしてみれば結構住みやすい町で、この町を守り育て子孫に引き継ぎたいものです。

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