先日、学区の「寿学級・講話会」に出席し、講師は元高校教師、真宗大谷派住職で、家族が病気になった時の看病、介護、そして遺産相続の醜い争いを例に挙げ、間違った個人主義を嘆いておられました。
個人主義は、国家や社会の権威に対して、個人の権利と自由を尊重することですが、利己主義とは異なって他者の人格を尊重することで初めて達成しうるもので、他人を排除することによって成り立つものでなく、高度な知性と自己統制を必要とするものだと説いています。
戦前の遺産相続について、昭和22年5月2日までは旧民法で扱われ、それまでは家督相続制度でした。「
家督相続人になるのは,被相続人の戸籍にいた男子を優先し、その男子のうちでも年長者を優先順位者としました。子供に男子がいない場合は、女子が戸主となりました。」家督相続した者は一切の権利義務を包括的に承継することから、親の介護は当然のこととして相続人の責任に於いてなされていたのです。
戦後の民法では、戦前の長男の家督相続とは違い、遺言がなければ一般的に配偶者に50%、残りの50%について兄弟間に区別はなく平等に遺産を相続することができるようになりました。しかし、親の面倒までは関連させていません。
そこで、教育や医療については、経済成長に欠かせないことから社会が援助する方法を取ってきましたが、高齢化が進むにつれ介護についても、同様の政策が打たれるようになりました。
人は個々に死ぬということを認識し、どんな死に方をしようと、いつ死のうと、生きたいように精いっぱい生きて、最後によかったと思えるような人生にするためには、男女とも個人主義、いや個人の自立主義が必要なのでしょう。
日中・夜間を問わず、オムツ交換などヘルパーや看護師に定期的に訪問してもらい、老いた親が呼び出せば介護プロが駆けつける。そんなサービスを金額で提供する社会となりそうです。今回の介護報酬改定では、老人保健施設や老人ホームが、入居者をみとった場合の報酬が大きく上がったそうです。
遺産相続と老人介護、そして間違った個人主義、私たちの生活の今後を考えるとき、何か物悲しい、寂しい暮らしや社会が待っているような気がしてなりません。未来のために私たちは何処を、如何すれば良いのか、「税と社会保障費の一体改革」を機に考え直してはどうでしょうか。

1