1945年(昭和20年)8月14日日本政府はポツダム宣言を御前会議で受諾した日です。翌日15日、昭和天皇が玉音放送(天皇の肉声放送)を通じ日本が無条件降伏したことを国民に伝え、戦争が終結しました。
日本に無条件降伏を迫るポツダム宣言が出たのは7月26日。日本政府は、7月28日これを「黙殺」すると発表、8月6日広島への原爆投下、8月9日長崎への原爆投下、20世紀最大の悲劇は避けられませんでした。
戦後の食糧難は今思えば想像を絶するものがあり、都会の人が「買出し」と称しリュックサック(デーバッグ)を背負い満員電車に乗る姿がニュース映画(二本立て映画入場料25円)に出てきました。我が家も共同出荷米以外の「闇米」を買い付けるブローカーが出入りしていました。
戦後の需要インフレはひどく、父親と二人で伯母の家(蒲郡)にリヤカーで穀物を運び、海産物など物々交換してもらった記憶があります。蒲郡には進駐軍が多くいて、華やかな独特の雰囲気がある街でした。
1950年、朝鮮半島をめぐって38度線を挟んで勃発した朝鮮戦争で、日本は経済的に工業生産が急速に伸び好景気となり戦後復興に弾みがつきました。この地方も繊維や自動車や電気産業の基礎が出来ていったといえるでしょう。
その後、63年の間、戦争という言葉さえ忘れそうな日々が続く中、昨日の愛知県庁舎での弾道ミサイル発射に関する誤情報が、庁内放送を通じて庁舎内に流れても、平和な日本には、誰も本気にしないという幸せな日々が続いているからでありましょう。
戦後すぐでは考えられなかった「自転車等放置禁止区域」の路上標識

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