昨日は岐阜県多治見市で39.0度を観測し、今日も大分県豊後大野市犬飼町田原で39.0度を観測したそうで今夏最高だとか。
きょう日曜日、何回かの、いや何十?回目かの誕生日で特別の日です。特別とは、この年になると今まで無事に生きて来れた「感謝の日」でもあるのです。
豊橋市花田町稲場55番地にて、やはり今日の様に暑い日に「和菓子廣田屋」3人目で長男として生まれた私は、当時菓子職人から店主になった父は跡継ぎが出来たと、大喜びだったそうです。
豊橋空襲が私の人生を変えたといってよいでしょう。焼夷弾の下を潜り抜けて生き残った家族は戦後の貧困との戦いが待っていました。
つらかった時代、苦労した岡崎も私が育った故郷、街の姿は時代と共に変わっても当時の事を忘れることは出来ません。
戦後、日常の生活物資は、手持ちの物を大事に使うか、あるいは代用品が頼りでした。父が着ていた「国民服」を着て学校へ通ったものです。
小学校の頃、朝鮮戦争で動乱特需が生まれ、ガラ紡が盛んに行われていて活気付き、いわゆる「ガチャ万時代」を迎え「織機がガチャンと音をたてる度に一万円稼ぐ」ということで従業員慰安会による蒲郡三谷海岸で海水浴をするのに便乗した記憶があります。
その後、地元繊維をはじめ、電機、機械、自動車など高度成長をリードした産業の発展で現在があります。戦後の苦労時代を除けば随分幸せな人生を過ごすことができ、そして、きょうの「感謝の誕生日」を迎えることが出来ました。・・・合掌・・・。
戦後岡崎に移って薪で麦飯を炊き杉皮の家で雨露をしのぎ、それでも家族は幸せでした。

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