私は建設業に永く勤めて、定年を少し前に退社しました。原因は公共事業の減少で企業は人員削減をせざるを得ないところまで来て、多くの職場の仲間と伴に去ったのです。そして、全く未知の世界であった今の就職支援業界に飛び込み、10年になろうとしています。たまたま建設業で人事部に所属していたところから、全く関連が無かったわけではありません。
私の住んでいる所は中山間地に位置し兼業農家が多く、現役時代は近隣地区の自動車関連産業や建設業、サービス業に勤め、収入を得ながら米作農業を続ける兼業農家が多かったのです。
リーマンショックで自動車が売れなくなった数年前や、公共事業の減少で、建設業の雇用が少なくなった今では、農業収入だけでは生活できず、サラリーマン専業が増え農業後継者不足で悩む一方、残された兼業農家は高齢化が進み、農業での赤字を年金で補填し、米作を続けています。
建設業も兼業農家の労働力を期待し公共事業を受注してきましたが、中山間部では事業の減少によって雇用を維持し続けることができなくなりました。工事現場で働くことが出来なくなった兼業農家は現金収入の道が閉ざされて疲弊するばかりとなったのです。
政府が行う事業仕分けで、事業の必要性、合理化と称して、地方の公共事業、とりわけ建設工事は「ムダ」という事になって極端に減らされ、中山間部に暮らす人達までも「ムダ」と言わんばかりの状況にまで追い込んでいるのです。
兼業農家に僅かな個別補償がなされても、現金収入をカバーできるものではありません。今まで公共工事で働いて農業赤字を補填してきたのですが、もう限界に来ています。
つまり、山間部の道路や治水事業など無駄と思われてきた建設事業が農業を支えて来たのです。現地を知らないで、事業仕分けと称して天下の正義と言わんばかりの政治のやり方に、是非、疲弊する兼業農家があることを知るべきと思いますが、如何でしょうか。

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