11月8日土曜日。約束どおりマリオが来日した。新千歳空港で出迎えた時にはお互いハグ状態だった。その後、宿泊施設までエスコート。
翌日の日曜日の居合部より練習を開始。ここ一、二週間の動向は他のメンバーのブログに詳しいので割愛させて頂くとする(笑)。
先週は三度目の沖縄訪問を果たした。今回は剛柔流拳士会総本部のヘッドマスター・外間(ほかま)先生にお世話になった。
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http://budo.seesaa.net/article/75214400.html
外間先生のレクチャーで様々な収穫があった。その内容は膨大なので都度、このブログでも紹介していきたいと思う。
先生はとても気さくな人柄で、かつ紳士。丁度海外からも多くの弟子が集っており、街中で会うと流暢な英語でコミュニケーションしていた。
腕に流派名のタットゥーを入れたニューヨーカー、北アイルランドの青年、彼は前腕にドラゴンのマークを入れていた。皆、礼儀正しい。
先生と一緒にアテンドしてくれたのは、ドイツから一年の予定で空手留学中の21歳の女性。日本語も練習中だとのこと。
本土に伝えた空手と琉球では内容が違うのではと云う私たちの質問に、先生からの実体験に基づく貴重な教えがあった。
曰く、本土の学生さんに一日も早く空手をマスターしてもらうため、当然、琉球とは違う教え方であったとのこと。これには納得。
これは自然で納得できることだ。巷間、本土空手は意図的に変えて伝えられた・・・という話があるが、先生の話には説得力がある。
子供のころから武術を学んでいる人と、青年期に学ぶのでは、当然、教え方が違う。また、地域で土台となる文化・歴史の基礎も違う。
意図的に変えたと云うよりも、変えて教えざるを得なかった状況があり、結果、そうなった、と云うのが本当のところだろうか。
以後、本土の空手は学生空手を中心に、本土在来の武術や西洋体育理論を取り入れつつ一つのジャンルとして完成している。
また、伝を意図的に変えたとしても、それは教わるものが自分で創意工夫して意を掴み取るための方便ではないかと思う。
武術はスポーツと違い自得するまでの時間が長くかかる。また、心智の鍛錬も同時に行わなければ本当の技術は掴み難いのだ。
前回の訪問でも剛柔流、泊の地元の大家の先生や首里手の長老の手解きと教えを受け、とても感激したが、今回も深い感銘を受けた。
到着日の翌朝、午前五時に起床、空手ズボンとTシャツで港まで散歩。数百メートルで若狭港、その向こうが、あの泊の港だ。
真っ暗な海浜公園で一人体をほぐす。
一度ここで泊の型を練ってみたかったのだ。
泊港で偶成す
独り錬る、月下の拳、泊港。
慈愛に満つる、晩秋の風。
波音は柔らかにして、
足下の岩盤、古来剛也。

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