私のクラスに通う外国人練習生からいつも尋ねられる事柄がある。
「やぁ元気ですか?週末はいかがでした?」
How are you? How was your weekend?
私はいつも
「私はいたって元気ですよ、そして良い週末を過ごしました、あなたは?」と答える(笑)。
I’m fine thank you, had nice weekend. How about you?
・・・とここまではつかみの軽いジョークだが、この遣り取りは毎回変わることがない(笑)。
挨拶も十人十色で、ハワイのヤマさんはHi doing?とカジュアルな感じ。オージーのAlexはHi mate!アイリッシュのEmmetとは冒頭の遣り取り。Marioとは少しふざけて彼がHi Sensei! What’s up?と言うと、私は Same old same old, I’m a old man!(笑)。なんも変わらんよ、そのまんまサ、もっとも本当に年喰っちまったが・・・(笑)。
長くなったが、さて、ここからが本題。
前項のコメントでも少し触れたが、外国人練習生は「Kataはなぜあるのか?なぜKataを練習するのか?」と問う。一方、日本人練習生は形の意味やディテールの表現、具体的用法を聞いてくる。前者は存在と構造に関する問いで後者は運用と実態に即した質問とでも云えるだろろうか。ただ、全ての練習生に共通なのはとても熱心だと云うことだ。
この存在論・構造論・運用論とこの後に続く検証・論理化・法則性の抽出と体系的智の伝承・教授は指導と組織の運営管理にとって重要なポイントだ。単に武術家で居るなら“使えること、使いこなすこと、工夫すること”がとりたてての重要課題で、指導は失伝を防ぐための方便の一つと云えなくもない。(笑)。
歴史的・文化的・学術的な流れで捕らえた武技武術と道という哲学を論理化し、さらに形象化したものの総体が現在の型・形・Kataだ。その作業はやはり智の伝承で、それはいまも続いている。
長くなるので、今日はここまで(笑)。
Idea comes cosmopolitanica.(笑)。

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