前回の戦前の本土での大学への空手の指導だが、少人数で師伝を基本とする空手術を多数に教授する場合、当然違う教え方となる。
これは琉球でも同じだ。拳聖・糸洲安恒先生が学校教育に空手を取り入れるためにピンアンを創作したのは有名な逸話である。
ピンアンとその研究や諸問題についてはかなりの行数を要するので、これは機会を改めてシリーズで紹介したいと思う。
さて、
外間先生のお話で昔の指導についてその片鱗をうかがうことができるものがあった。これは件の本土での普及とも関係する。
とても興味深いのでそのうちの一つを紹介しよう。それは、指導する際の各技法の名称、呼び方についてである。
現在の確立された指導では流派・会派で多少の差異はあれ名称がほぼ統一されている。すなわち型名、立ち方、基本技など。
これは海外でもそのままの発音で行われている。つまり、この共通言語によって様々な技法の伝播が可能となったのだ。
しかし、昔はそれが無かった!師伝を基本とする空手術の稽古において、師匠は弟子に“これくらい”と実例を示して教えた。
例えば、型のなかで横手を教える場合は、師が腕を曲げて見本を示し“これくらい”と教える。他の動きも同じ様に伝える。
今は、横手であれば腕を直角またはそれよりやや鋭角に曲げ、拳は肩のあたり、脇を締めて手首は巻き過ぎずに、と教える。
師伝とは云え、昔は、師匠が懇切丁寧に手取り足取り教えるのは稀であった。“いいから、やりなさい、そのうち判る”が基本だ(笑)。
話は変わるが、
この“横手”の呼称だが、清心会では横受け(外横手受け)とは云わず“横手”としている。他の技もこれに同じだ。
“受け” と規定すると、そこで思考がロックされ流れが止まる、居ついてしまうからだ。ここには攻守一体の発想がある。
実際、防御基礎型(防御であって受けのみでは無い)で区切りを着けずに演練するとその理、攻守・陰陽の一体感が体が良く判るだろう。
ただ、初心者には難しいので中級の入り口くらいまでは区切りを着けてイチ、ニィ、サン・・・と体操式に稽古している。
そうでなければ、よほどの基礎体力と天賦の才能に恵まれた一部の者にしか基礎習得は困難となってしまうからだ。
当然のことだが、型の中にある基本的な瞬間の動きで構成されているのが防御基礎型だ。だから、これは重要である。
入門者は最初に礼式と数種類の立ち方と基本技直(突き、前蹴り、裏拳打ち、後ろ蹴上げ)を習う。これとともに前方への移動。
その次に様々な基本技と八方向への移動、そして防御基礎型を教わる。いきなり基本型から入ると習得と指導が難しいからだ。
これも、前出と同じ事情で、指導する側の都合、即ちより指導が徹底されるように=受講者の基礎習得の徹底との理由からだ。
しかし、十代後半の少年にとって、これは辛くて長い戦いだ・・・早く組手がしたい・・・どこぞで実戦を経験したい(笑)。
しかし、その基礎が実際に物を云うのは、十年後、二十年後・・・なのだ(笑)。ならば、中高年からの習得は難しいのか?
いや、そんなことは無い。それにはまた別の方法論がある。むしろ血気盛んな若者より中高年からの修行は効果が大きい。
私は前回の沖縄訪問の時、さる大家から“四十を過ぎてからの方が、よく錬り込める、このままずっと続けなさい”と言われた。

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