好々爺と云うにはあまりにも若すぎる感じだ。しかし、本人は大正3年の生まれで、すでに90歳を過ぎている。しかし、どう見ても60歳代後半だ。若々しさもさることながら、弁の闊達なのには驚かされた。・・・これは、館長の友人に教えられたとある刀剣販売店のご主人だ。その友人もここでご主人に刀剣のイロハを教わったと云う。良い物が揃っているので一度訪ねてみてはと言われていたので過日訪問した。
小雨の中、傘の雫を静に払い店の前に立つ。ここの構えは以前から見かけてはいたのだが、なんとなく敷居が高く入る勇気がなかった。しかし、前出の戸山流・山口宗家の件もあり、後悔せぬようにと思い切って引き戸を開けた。店の奥からにこやかな笑顔でご婦人が現れる。生きていれば私の母くらいの歳だろうか。来意を告げると、どうぞごゆっくりされて下さいとのこと。
お言葉に甘え拝見させて頂く。ガラス張りの棚に日本刀が十振りほど飾られていた。大刀は150万円から350万円ほどで、脇差や短刀は10万円から70万円ほどである。刃紋や拵えを楽しんでいるとご主人がお見えになり、挨拶もそこそこにさっそく刀談義となった。談義とは言ってもこちらは素人同然なのでもっぱら聞き役専門である。そうして、話の合間にご主人から御歳を聞き、驚いた。
前大戦まで三度応召し大陸へ行かれたとのこで、最後が仙台の線車部隊。ここでで師団付下士官だったため生き永らえることができたと云う。当時としては珍しく自動車運転免許を取得しており、復員後は消防局へ勤務され、45年前に退職と同時にこの商売を始めたと云う。刀はこの他にたくさん在庫があるので、懐具合と相談していつでも来て下さいとのこと。ご主人の話は尽きることがなかった。
特に私が惹かれた一振りは白木に納められたキュウマルのレプリカである。鈍い光の刀身は身幅や重ねが厚く、切先がとても大きい。レプリカと言っても幕末に作られた新刀である。いかにも、切り結ぶ実戦向きの指料だ。現物はとある高名な財界人が所有しており、もし市場に出たなら億単位の値ごろだと云う。願わくばぜひ一度手にしてみたい一振りだ。
小説・宮本武蔵で、京の砥師・本阿弥光悦の軒先に御魂砥処≠ニいう看板があり、これに惹かれて武蔵が刀を光悦にあずける、という場面がある。どのように砥ぐかを聞く光悦に武蔵は訝しがる・・・刀は切れるように砥ぐのが定石だ。切れるようにと注文する武蔵へ光悦は砥ぎを断り、もう一度看板を見るように促す。
私たちは殺生する技を以って殺生せざる心を養うのであるから、常日頃、魂は研ぎ澄ませていなければならない・・・帰りがけに傘を開きなが、ふとそんなことを考えた。

0