札幌・清心館黎明舎で誠の旗の下、空手と武術の研鑚をする黎明書屋主人が夜半に日々の雑感を綴る雑言集。嗚呼、人生、生涯一書生哉。
日新たに、日々新たに、復毎日を黎明と為す。
2006/3/25
馬上少年過
世平白髪多
残躯天赦処
楽不是如何
独眼龍と称した奥羽の覇者、伊達政宗公の詩(うた)だ。
気性の激しい武将で、梵天丸と呼ばれた幼少時に種痘に冒された自らの片目を短刀でくり抜いたという。その実力(軍事・経済・政治と人望)は国内屈指で、戦国末期には天下統一を狙えたといわれている。当時、狭隘な山岳から平地にかけての野戦では世界でも最強の軍事集団であっただろう。
よく“伊達者”(だてもの)という言葉を耳にするが、これは正宗一行が上洛のおり、華美豪華で奇抜な風体で街道を行軍したことに端を発している。それを見た人々は・・・これぞ伊達者よ・・・と囃したてた。そうして、その噂は一行の上洛より早く都にまで届いたらしい。まさに事前PRの周知徹底・・・今でいうマーケティングの感覚が抜群であった証ともいえる。
また彼は、秀吉や家康、そのほかの武将の前で卓絶したプレゼン能力を発揮し、自己アピールを行っている。武門の様式や儀礼が比較的ゆるやかだった戦国末期から江戸初期、彼は独自のパフォーマンスを駆使し、外様大名ではあるが強大な封建領主へと伸しあがった。その背景には奥羽の潤沢な砂金と強大な伊達家臣団の軍事力があったのはいうまでもない。皆、彼を心から慕い、そうして、恐れたのだ。
意訳
若い頃から荒馬に跨り、
甲冑姿で戦場を駆け巡ってきた。
しかし、今、世の中は平和になり、
私の頭も白髪が目立つ。
これまで生き長らえたのは、
ただ天命によるものなのだろう。
さすれば、
残りの人生を大いに楽しもうではないか・・・
・・・しかし、(長く戦場に身をさらした)私には、
・・・それができないのだ。
同輩よ、
人生を楽しみながら大いに修練に励もうではないか。
そうして、世の若駒達よ、余計な世情の損得は考えるな。日々励め、只只励め。
やがて伊達中納言の詩の意味が判る日が来るだろう。

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