随筆家の白洲正子さんが「かくれ里」という随筆集を出したのが35年程前だったが、近年それが映像化されてテレビで放映されたらしく、そのお陰で私の懇意にしている大蔵寺が大迷惑を被っている。
宇陀の大蔵寺というタイトルの一文で取り上げられているのだが、勿論白洲さんの文章には何の責任はないのだが、映像化された時に駐車場があるというように出されてしまい、実際には今のところ県道から入ると駐車スペ−スはまったくないのだ。とくに昨年は多くの観光客が車で境内まで乗り入れて、Uタ−ンのスペ−スもなく、運転手同士が喧嘩騒ぎになるなど酷い状況だったという。
他にも信仰の寺と観光地を勘違いしている態度の人が多く、対処に苦慮している。
今年は昨年のような騒ぎは下火になったようだが、それでも私が滞在している間も車で乗り付ける人があとを絶たなかった。駐車場無し、という看板など読めないらしい。
お寺は白洲さんが書いた35年前とほとんど変わっていない。ほとんど、というのは白洲さんの文章中にある「こんな大きなクチナシの木を見たことがない」と言わしめたクチナシは見当たらない。おそらく枯れてしまったのだろう。
私は現和尚の「本来あるべき修業の寺に戻した」という言葉に共感し、今の堕落した仏教界にあって反骨精神を持ち続けている若い僧の手伝いをしたいと思っている。また重要文化財の建ち並ぶ、1400年の歴史を持つ、この簡素で心の安らぎのある寺を現況のまま保存するために何かお手伝いができないものか、と強く感じている。
これをお読みくださっていらっしゃる方でご賛同いただける方、次回ご一緒いたしませんか。

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