漢字でかくかどうするか、迷うことがよくある。
そんな時、大抵はひらがなかカタカナにしてしまう。
なぜかというと、漢字の意味を考えるからだ。
言葉は人が情報を伝えるためにとても重要な役割を果たしているが、言葉のとらえ方は人によって異なり、使っている人と受け取る人の認識にズレが生じることはよくある。
そのことは言葉のおもしろさのひとつだと思うのだが、僕はこれを意識して言葉をつかいたいと思うのだ。
そこで漢字である。
漢字にはそれぞれで様々な意味をもつ。また、意味とは別にその漢字に対するイメージをもっていると思う。例えば、かっこいいと思っていたり、カタイなあと思ったりである。
そこで、僕は言葉を伝えるとき、漢字のもつ意味とイメージを意識して、自分が伝えたいことをあらわすのに適当な表記、表現にしようとして漢字、ひらがな、カタカナをつかっているのである。
例えば、「そうぞう」という言葉。“創造”、“想像”の二通りの漢字でかくことができる。二つは意味の異なる言葉である。でも、僕は「そうぞう」という言葉にこの二つの意味を同時にイメージできるようにしたいと考えたりする。そんな考えがあって漢字で「そうぞう」をかくときに迷ってしまうのである。ちなみにこの「ソウゾウ」のうまい表現方法はいまだに模索中である。
また、「かく」という言葉。“書く”、“描く”の二通りで僕は迷う。単純に絵や、図形をかくのならば、「描く」を書けばいいと思う。
ただ、手紙をかいたりするときに、「書く」という言葉をつかうのが適当かなどと思うのだ。まず、☆マークなどをつけることは“書く”でよいかということ。そして、そういった記号を使わなくても、文字や言葉の並びそのものをアート、美ととらえるときに、“書く”で表現するのは適当ではないのではないかと考えるのだ。
そういうわけで、僕は「かく」という言葉を漢字でかくことが、なかなかできないのである。
こうして、伝えたいことを自分のイメージで、漢字、ひらがな、カタカナをつかって、相手に届けたいと思うのである。
ただ、これは相手に自分の思いを完璧に伝えたいというわけではない。
逆に、意味を限定的なものにするのではなくて、言葉を受け取った相手がいろいろとイメージを膨らませて自由に解釈してもらえればいいと思っているのだ。
こんな考えのもと、僕は自分の言葉にも、人の言葉にも漢字を意識して生きている。

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