「忙しい」っていう言葉を僕は特にうつくしいとは思わない。
でも、この漢字に興味をもつ。
心を亡くして「いそがしい」とよむ。
亡くすとは死なれて失うという意味を持つらしい。
心が死んでなくなってしまう。
なんて悲しいことなんだろうと感じる。
まあ、そんな忙しいっていうこともあるやろうとは思う。
でもそれだけじゃないんちがうかな。
忙しいっていうことは充実しているともいえるのではないか。
日々忙しく生きている人には熱い心をもった人がいっぱいいるだろう。
そんな人達も心を亡くしたっていうことなんだろうか。
いや、ちがうだろう。
忙しい=心を亡くすではないだろう。
そこで、僕は一つの仮説を考えた。
もともと、忙しいとは、心を亡くすほど、様々なことに追われている状態のことなのである。
つまり、様々なことに追われていても心を亡くしていなければ、それは忙しいとはいわないのだ。
自分の心に正直に、日々暮らしている人はどんなにいそがしいようにみえても、それは決して「忙しい」ではないのである。
ちょっと話が変わるけど、この「忙」っていう漢字についてステキな解釈をしてる文を読んだことあるんやけど、どういう解釈やったっけなぁ。
気になるなぁ。

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