目からうろこ、心からかさぶた!!
アイターンおばさんの、普段の宮古島生活ですが・・・
これが結構おもしろい。疲れた日にはちょっと寄ってくださいな。
2005/12/24
順序が逆になりますが、わたしにとって、初めてのエッセーが下記のものです。2004年の春の事です。はっきりいって、エッ?まさか・・と言う感じでした。
狙うつもりもなかったから、顔写真入りで新聞に出ると聞いた時は、せめて、も少し文体を整えとくんだった・・・と焦ったりしました。
まあ、自分がボケ始めた時の覚え書きみたいなつもりでブログを書いてるから、チョット載せとく事にします。
〜☆〜*〜☆〜*〜☆〜*〜☆〜*〜☆〜*〜☆〜*〜☆〜
宮古ペンクラブ設立一周年記念事業
第一回エッセ―募集 テーマ 「宮古の未来」
一般の部 佳作 でした。
「はあ〜いいなあ〜」
今日も、夕焼け空が胸に染み込みます。毎日見て、毎日凄いなと思うけれど、ドラマチックに日々表情の違う空。
町からの帰り道、なだらかな坂の上から、見渡す限りのキビ畑と所々色味の違う野菜畑、牛小屋と、可愛い色のハチマキを巻いたサイコロキャラメルのような宮古のお家が眼下に広がります。俄かミャ―クビトゥの胸にも、懐かしいような切ないような気持ちが溢れるのは何故でしょうね。
冬のキビ畑もキュンとしますね。夕陽を浴びた金色の穂が、風にさわさわゆれて・・・それを人が刈っていく姿は、ほのぼのします。もちろん、作業してらっしゃる皆さんは大変で、「何を言ってるか〜」とおこられそうですが。
梅雨に入って、築三十数年の我が家はサバイバル度が増してきました。さすがに四度目の梅雨なので、つぼは押さえて、換気を心がけ、畳とベッドはダニキンチョール、引出しには除湿剤、蓋付きごみ箱にバポナ・・・これでダニ・カビ・小バエはほぼ征圧。
しかし・・掃除している時に物を除けると時々出くわすムカデと、食卓の上をひょろひょろ飛び回るシロアリと、家じゅうテコテコ走り回るねずみ、なぜだか家の中を這っている毛虫は困りもの。でもね、「出たア!出たア!」と叫びながら、『♪僕等は皆んな生きている〜♪負けないぞ〜』なんて思ってる私もいたりして・・これだけ自然があるんだもの、内地で出ない物が出ても不思議はないですよね。
そう言えば、夏にはクワガタとカブトムシが網戸に止まっています。小さいんですけどね、決してゴキさんではありません。
ホタルも飛びます。まだ明るいうちから重たそうに飛んで来ます。これはあんまり大きいのでビックリ。庭の葉の上でぽうっと光っていたり、ふわりふわりと飛ぶ様は、思っても見なかった幸せの形です。都会に居ても、癒しの島宮古に居ても、日々生活してゆくと云う事はやっぱりせわしくて、『悠々自適』とか『ゆとりのカントリーライフ』とかはちょっと我家には当てはまりそうにありません。
でも、忙しい時間の合間何かの拍子に、ふと、目にとまるものが、宮古島では格段に美しく、珍しく、新鮮なのです。「内地に無い物」との遭遇で感激したり驚いたりしながら、まだまだいっぱい楽しめそうで、わくわくしてきます。
四十過ぎての親戚もない、知り合いもない、お金もない(?)アイターン。不安がなかったと言えば嘘になっちゃいます。一番の不安は、「何とかなるよ」と言う、根っからマイペースな我が家のお気楽男の言葉。今だによく思いきって付いて来たなあと思う時が有ります。幸い、つれあいはもちろんの事、私や一人娘にも、良い出会いが有って、支えられて三年が過ぎました。その方々との出会いが無かったら、心がくじけてしまって、綺麗な夕焼けを見るたびさみしくて涙が滲んでいたかもしれません。
私は今の宮古が大好きです。人それぞれ立場によって、思い描く未来の宮古は違うでしょうが、私はアイターンのナイチャ―としての視点でお話しますね。
宮古が好きで、選んで宮古に来た人たちは、今の宮古の良さをなくさないで欲しいと、切に願っていると思います。「本土並の○○を!」と云う言葉を聞くと悲しくなります。本土なんか目じゃないのになあ・・。
なんだか、思い浮かべちゃうんです。健康的なすべすべ素肌で、垢抜けないかもしれないけど、はにかむ笑顔が可愛い女の子が、むやみとダイエットしたり、美白したり、プチ整形もしちゃったり・・で、美人には美人だけど、どこにでも居るような美人になっちゃったって感じ。
一人一人の個人は皆、より良くなりたい、より幸せになりたい、と思います。ではどの様に・・と言った時のビジョンがあやふやで、さし当たって本土並にということに成るのでしょうか?個人をまとめ束ねるのが行政ならば、「本土なんか目じゃないオンリーワンの宮古島」、「宮古じゃないと見られないし体感できないもの」を、ビジョンとしてまとめ上げ、「島民皆で守っていきましょう」という意識を盛り上げてもらいたい。
恵まれた自然を消費しながら観光誘致するのではなく、観光収入の一部で、継続的に自然を守り育てながら振興策を練って頂きたい。それを実現する為のプロフェッショナルを呼び寄せ、また育てて頂きたい。
この島で生まれた二人の孫が、いつかそんな人に成って島に帰ってきてくれたら、何も言う事無いなあ・・と、今日も惚れ惚れと夕焼けを眺めながら、思う次第でございます。

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2005/12/21
半年間の新聞エッセイの、6月に掲載された最後のものです。
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選ぶという事
いやいや、名残惜しい。今回が私の最終話と言う事になります。この半年間のエッセイは、私にとってひとつの選択、決断でした。あれこれと多趣味でどれも現在進行形。まだまだ中途半端な私が書けるのだろうか?でも、迷った時にはやってみる事にしているので、拙いながら、半年間務めさせていただきました。エッセイが取り結んでくれた方あり、また、私の知らないところでメッセージを受け取ってくださった、まだ見ぬ方もあるでしょう。そう思うと、一歩踏み出して良かったなあと、感じます。
さて、人が「おぎゃあ」と生まれて始まった人生は、「気に入らない。失敗した。」と、途中でゲームのようにリセットして、赤ちゃんからやり直す事はできません。その点は、金持ちも貧乏人も偉い人もそうでない人も、みんな平等です。だからと言って、「人間はみんな平等だ」と言い切られると、首を傾げたくなる事って、いっぱい在りますよね。お金持ちの家に生まれついた子、みんなから可愛いと言われる子、そうでない子・・。自分のお父さんお母さんだって、選べるわけじゃない。(お父さんお母さんから見ると、子供だって選べないという事ですが。)やっぱり、なんとなく始めから不平等な感じです。じゃあ、何が「平等」なんでしょうね?
それはたぶん、「変えてゆくチャンスが与えられている。」という事じゃないかと、私は思うのです。「自分のなりたい自分」になってゆくためのチャンスは、君たちのすぐ傍を、時折ヒョイヒョイと通り過ぎているはずです。まあ、同じだけの危険とか誘惑もですけどね。そのチャンスをチャンスと気付き、危険を危険と察知する力を養う事、選ぶ目を持つ事も大切な勉強だと思います。
私が浜松で教えていた「こうさくくらぶ」は子供たちが会員の公民館サークルでした。毎年卒業のアンケートを取って、欠員を補充する形でしたから、ほとんどの子が何年かにわたって、学校が違い、地域も違い、年も離れた同じ仲間と活動します。工作の材料は袋に詰めて渡しますが、同じものが入っているわけではありません。最後の子が「それしかなかった」という状態にならないように、人数分より多く準備して、各自に選ばせます。持って行った物が気に入らない時は、残っている袋と総とっかえします。部分交換はしません。子供たちには「先生ケチ。なんでよ!」と言われます。もちろん、「人生はそう甘くない。他の子と交換してもらっといで。」と答えます!この辺りで性格の違いがすごく出てきます。最初に自分の選んだ袋のものだけで、すぐ作り始める子。何度も何度も総とっかえに来る子。自分の欲しい物を、粘り強く(強引に?)集めて廻る子。換えてくれと言われて、イヤといえない子。それぞれが、それぞれの妥協点を手探りしながら、作業が進んでいきます。出来上がった物も、様々です。お母さんから見て「?」な物も、本人にとっては、すごく達成感のあるものだったりします。
どうしても普段の生活の中では、人生転ばない、怪我をしない事を教える方向になります。それはそれで正しいのですが、一人ぐらいは、転び方とか、転んだ後はどうするの?って、考えさせる人がいるのもいいかなあと思います。だって、一回や二回位は、選び間違えて転ぶ事ってありますものね。若い君たちにはこれから、何度でもチャンスが廻ってきます。何を選び、どんな人生を切り開いてゆくのでしょうね。
あ、最後にひとつ。昔、私が気がかりだった子に、自分で選ぶ事の出来ない子がいました。たぶんその子は、選ぶ事で、自分の行動の結果として責任が生ずるのを感じて、なんとなく避けていたのかも知れません。「私、何にもしてないのに・・・」が、口癖でしたから。今の私なら、あなたが何にもしなくても、人生は向こうからぶつかって来るし、「選ばなかった」という事は、「自分では選ばないという事を選んだ」って事なんだよと教えて上げられるのになあ。ね、どっちみちなら、手を伸ばして選びましょうよ。
半年間、ありがとうございました。

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2005/9/28
今年5月に新聞に掲載された分のエッセイです。
〜☆〜*〜☆〜*〜☆〜*〜☆〜*〜☆〜*〜☆〜*〜☆〜 「ふえるふえる・・」
宮古島は海開きも済んで、すっかり夏ですね。「桜の春」で育った島ナイチャーの私が、いつ春が来たのだろう・・と思っているうちに、毎年夏になってしまいます。
うちには、4匹の雌犬がいます。4年前、宮古に引っ越してきた時は2匹だったんですけどね。
引っ越してきて間もなく、庭に捨て犬されてしまって、これがまた可愛い子だったのです。とてもとても自分の手で保健所になど連れて行けるものではなく、わが家の3匹目になりました。一匹目はオバアちゃん、2匹目3匹目はすでに避妊手術を済ませ、犬3匹、猫1匹、プレーリードック2匹の大所帯ペット生活は、そのまま穏やかに続くかに思えました。
しかし、昨年「最近太ったかね〜」なんて言われていたオバアちゃん犬が、なんと突然出産!
本土にいる時、散々、子犬を産んでもらおうと努力したのにダメだったから、思いもよらぬ事態に、オロオロしてしまいました。半分生みかけて休んでしまうオバアちゃん犬を叱咤激励し、袋詰めになったような子犬を「怖いよ〜」と泣きながら引っ張り出しました。
まさか、この犬の子犬を自分で取り上げる事になるとは思いもしませんでしたね!「ちょっとすごいぞ、宮古の雄犬・・」とか思いましたが。
しかし、今、昨年生まれたこの仔犬に「春」が来て、わが家の周りは大賑わいです。冗談じゃありません!このままでは、ねずみ算式に犬が増えます。これではいけないと、ダンナさんの晩酌代をギュギューと引き締めて避妊手術となりましたが・・。
でもね、考えてみると、このうろついている犬の数は、あんまりですよね。大きな犬が敷地内までどんどん入ってきて、やたらマーキングしていくし、上等な洋犬が裏の畑で穴を掘っていたりするし。どう見ても飼い犬なんですよね。なんで犬だけが勝手に散歩しているのかな〜。行く先々でけっこう迷惑かけていますよ、彼ら。
ときどき、野犬捕獲のニュースを見ますが、捕まった犬はまったく野犬には見えない。元飼い犬ばかりのように見えます。放し飼いの犬が子供をあちこちで作って野良犬が増え、自宅の雌犬が望まない出産をしたからと捨て犬をし、放し飼いの犬はいつの間にか帰ってこなくなり・・・じゃ、いくら捕まえてもキリがありません。何とかこの悪循環を断ち切らなくては。
夜中だろうと、朝だろうと、他所の人や犬が通る度に、ワンワン吠えてうるさいうちの番犬どもを、ご近所さんは「いいさあ。犬は吠えるのが仕事よ〜」と言ってくださいます。申し訳ない事です。今回、自衛手段をとって少しはましになるかな?すべての犬が、自分ちで真面目に番犬をしていてくれると、ホントに平和なんだけどなあ。

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2005/7/20
これは、4回目のエッセイ。4月7日の掲載分です。
チョット手直ししたかったりしますが・・・
あえてそのまま載せます。
知っているという事 みなさんは「ヘラクレスオオカブトムシ」を知っていますか?では、「ティラノサウルス」はどうでしょう?
私が、子供たちに工作を教えていた十数年の間にも、子供たちを取り巻く環境は大きく変化していました。宮古島へ引っ越してくる直前まで見ていた子たちは、パソコンを使った事のある子が殆どでした。
夏休みももう終わりという頃に、何かの拍子でカブトムシの話が出ました。カブトムシに詳しいA君相手に、世界のカブトムシ展に行ってきたB君が、「ヘラクレスオオカブト」の話を持ち出したのです。A君は「知ってる!」と叫ぶと、詳しく説明してくれます。その後、話は恐竜展の何とかサウルスに移り、次に「ティラノサウルス」になったところで、A君またまた「知ってる〜!」と言い出したのです。
私はそのとき初めて、A君の「知っている」のが、情報である事に気がつきました。見た事のある物も無い物も、見た事が在るかのごとく刷り込まれた情報です。好奇心旺盛で、勉強家のA君は、それらの情報を本やパソコンでせっせと調べたのでしょう。そして、自分で一生懸命覚えたからこそ、「普通のカブトムシ」も「ヘラクレスオオカブトムシ」も「ティラノサウルス」も、同じように「知っている」と言い切れたのでしょう。
でも、それって、本当ですか?
私はその時、A君に「ティラノサウルス」の色を聞いてみました。彼は茶色っぽいグリーンだといいます。「え〜。ピンクかも知れないよ。」そう私が言うと、ピンクは変だと、口を尖らせて反論します。私は、「今現在の科学では恐竜の色までは判らないんだって。でも、ピンクは違うかもね。」と、話してその場は終わったのです。
この事は、妙に心に引っかかってはいたのですが、当時はなぜだか判りませんでした。今考えると、本であれ、パソコンの画像であれ、提供される写真は、提供者がもっともそれらしいと思う一枚を選んでいるからなのです。
その一枚は、伝えたい情報を満載して厳選された写真、誰が見てもそれにしか見えないものです。解説文もそうです。今現在わかるすべての事柄が書かれているとしても、それは、その生き物の全てではないのです。たとえばカブトムシひとつにしても、肌触りも、においも判らないのです。ましてや、角に挟まれる痛さも、よじ登ってくる鉤爪の感触もありません。
情報から入った子の絵は、説得力があります。おとなから見て上手い絵が多いです。でも、象をお尻から描くような独創性とか、そういう絵をおもしろいねと受け入れる柔軟性に少し欠ける気もします。
感動から入った子の絵は、何を描いたのか、話を聞かないと判らなかったりすることもあります。前述の「象のお尻」は全面ねずみ色と茶色でスジがいっぱい描かれていました。とても大きくてシワシワのお尻だったそうです。
二つのタイプに分けて話しましたが、これはどちらが良い悪いではありません。何を伝えたいかが始めから違っているのだから、どちらもそれで良いのです。ただ、伝えたい内容が、自分自身で視て聴いて触れたものなら、より柔軟性に富んだ面白い発想が生まれてくるように思うのです。

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2005/7/11
「本物を刻み込んで」
先日、夜の浜でゴシキエビの子供を見つけました。鮮やかなピンクやブルーを散らした、名前のとおりの美しいエビです。イセエビの仲間だけあって、子供でも立派な触角を持ち、なかなかの風格でした。もっとも身体の大きさはといえば、クルマエビサイズなので大きくなって返って来いよ〜と、逃がしてやりました。
島に来てから、思いがけない生物に出会う事が多いです。動物好き、虫好きで、子供の頃から「野生の○○」とか「大自然の○○」などというテレビ番組は欠かさず見ていました。小学生の頃は「豆ハカセ」なんて言われて結構その気だったりしたもんです。それが宮古島に来てビックリの連続!一番のビックリは「宮古島の蛍は川が無くても育つ」です。大きな蛍が明るいうちから庭を飛び回っていて、何処に川があるのだろうと思っていました。そうしたらなんと、宮古島固有種のミヤコマドボタルは陸棲蛍で、アフリカマイマイを食べて育つというではないですか。内地での生活の中では普通だった「美しい川に蛍を呼び戻そう。」という呼びかけ。知らず知らずのうちに刷り込まれた、蛍→餌のカワニナ→きれいな川の水、という常識。でもその常識は、内地だけのものだったのですね。世界的にみると、水棲蛍よりも陸棲蛍のほうがずっと多いようです。知らなかったな〜。
環境の変化に弱いのは、どちらの蛍も同じで、ミヤコマドボタルは、もう既に希少種の扱いです。小さな島の微妙な自然のバランスの上で、黙々と生き、精一杯繁殖を試みながらも人知れず絶えていく、そんな固有種もあったりするのかな。なんて思ったら、島が小さな可愛い宝物箱みたいにも、思えますね。
新月の夜。月も雲もない空には、星がビーズをばら撒いたように輝いて、ため息が出ます。満天の星の下、砂丘のように、なだらかに広がる白い砂は、ついさっきまで海の底でした。美しい波跡の残る果てしない広がり。うっかり、水があるとも気づかず踏み込んでしまった水溜りに、ゆっくり細波を作りながら広がる波紋・・。
懐中電灯を消せば、降り注ぐ星。遠浅にひいた海の中から見る空は、どこでみるよりも広いです。長い尾の流れ星は、特別な日でなくても、毎日流れます。その数だけ、燃え尽きていく星屑が在るという事なのかな?身体が潮の色に染まっていくような、静かな時間。「ささいな生き物の自分」と「知り尽くすなんて出来っこない自然」が有無を言わさず、此処にあります。
これから、ますます世の中は情報社会になって、ボタンひとつで様々な問題の答えが取り出せるようになっていくのでしょうね。癒し系バーチャルリアリティ(仮想現実)なんかも、商品として扱われるようになったりして。でも、人のする事が、自然以上になる事ってあるのかな。
どう、世の中が変わって行くにしても、全ての創造物は、五感を総動員した人の体験の上に成り立つものである以上、本物を知っているという事は、何よりも掛替えの無い強みです。宮古に生まれ育った縁をもつ若い方は、身体一杯に本物を刻み付けて世の中に出てください。あなた方は、せっかく今の宮古島を自分で視て、聴いて、嗅いで、味わい、触れる事に間に合った幸運な方たちなんですから。

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2005/7/5
「なんにもなくて、すべてがある島」 キビの穂の美しい季節になりました。週末ともなると、家族総出
のキビ刈り風景が、あちらこちらで見かけられます。一本一本、
人の手で刈られ、まとめられていくサトウキビ。そして、車座に
なっての休憩。側を通り過ぎる時、片手をホイと挙げてかけてく
れる声。このキビ刈り風景の中には、わたしの好きな宮古島のす
べてがあります。それはたぶん、多くの観光リピーターの心を捉
えて離さないものと同じではないでしょうか。
この、穏やかに美しい宮古島は、どのように変わっていこうとし
ているのでしょう。日本全国、次々と作られたテーマパークの閉
鎖がニュースになって久しいですが、それでもなお、観光地では
新しい施設が造られ続けています。立派な人工物の立ち並ぶ景観
は、誰をも納得させる、リゾート地としての風格を備えます。で
も、最新式の人工物という物は、近い将来、最新式でなくなり流
行おくれになる、という定めを背負って生まれてきます。
「追いつき、追い越し、追い抜かれ。」
それよりも、宮古島は今のままで勝負しませんか?
新しく、便利で、安い物は、世に溢れています。なんとなく暮ら
していると、つい、そういうものに目を奪われてしまいます。
「これは地球に優しい、とても良いものだ。」と、分かっていて
も、ちょっと高いとやめちゃったり。確かに「しっかり者の主婦
の選択」としては、あながち間違った選択ではないとは思うんで
すけどね。
このお正月に本誌で、バイオ・リンを実践してらっしゃる、農家
の方の記事がありました。バイオ・リンの記事は何回も目にしま
した。ニュースでも多く取り上げられ、輝かしい賞をたくさん頂
いた事も知っています。でもその後の話を聞かなかったから、こ
ういう物が商品になるには、時間もかかるし、ハードルも高いん
だろうな、もしかしたら研究室から出られないままになっちゃう
のかな〜っと、勝手に思い込んでいたのです。ごめんなさい。
それがこんなに身近で、「よし、ちょっと骨折りしてやるか」と
言う農家の方の下で実践され、データーの集積が行われていたの
です。
『ちょっと見は普通の農家、実は、最先端の土作りを行う、スー
パー農家!』
なんてカッコいいんでしょう。宮古島はかく在りたい!と、ひと
り勝手に力が入ってしまったわけで・・・。
どんな素晴らしい研究も、商品として使ってくれる人がいないと
「素晴らしい研究」どまりで終わってしまいます。どうぞ、この
商品と研究者の卵たち、そして宮古島の土を育ててあげてください。
見た目に何も変わらないでいる。それは、何もしないでいる事で
は決してなく、常に資源を枯渇させない努力を続けていく事だと
思うのです。いろんな人が、いろんな場所で、少しずつ。
島の一年後、十年後のために、私もできる事からちょっとずつ続
けて行きたいと思います。
私の大好きな、何にもなくて、すべてがある島、宮古島のために。

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2005/7/3
昨日の続きであります。
新聞に出た時の倍は恥ずかしいですね。
後から、言葉足らずや誤字に気づいたり・・
手直しするのは反則か?やっぱ良くないね。
はい、そのまま載せますので、お手柔らかに。m(_ _)m 〜☆〜*〜☆〜*〜☆〜*〜☆〜*〜☆〜*〜☆〜*〜☆〜
その後、デザイン研究所に通いながら、西陣織の織り元でアルバ
イトをして、卒業後、生まれ育った京都から静岡県の浜松市に嫁
ぎました。地域が離れていたので、残念ながら「今までの経歴を
生かしての就職」とは行かず、専業主婦となりました。
「工作の先生」と呼ばれるようになったのは、幼稚園児の娘や近
所の子供たちと、家で工作遊びをはじめたのがきっかけでしょうか。
「楽しかった♪」と帰った子供達が、翌日にはお姉さんや友達も
連れてきたりして、だんだんに、家に納まらなくなってきます。
やめようかと悩んでいた時に、あるお母さんが言った一言が、
「お仕事にしちゃいなさいよ。材料代もらって、遊んであげるの
よ。」でした。保母さんでも学校の先生でもないわたしが、そ
んな事出来るんだろうかと思っていると、彼女は「来たい人はお
金を払ってでも来るし、何でもやってみればいいのよ。ダメな時
はダメなんだし。」そう言って、私を講師、自分を代表者にして
あれよあれよと、公民館にサークルを作ってしまいました。こう
して、1989年「こうさくくらぶ」が発足。少しずつ地域に活
動の輪がひろがり、公民館講座、子ども会、小学校のクラブ活動、
PTA活動などの、講師を務めるようになっていきます。自宅で
のトールペインティングの教室も始めました。宮古島へ引っ越し
てくるまでの十二年間、規模は折々に大きくなり小さくなりしな
がらも、日曜日は工作、平日は午前・午後・夜の予約制のトール
ペイント教室の毎日が続いていました。ちょっと忙し過ぎたけど、
本当に充実した楽しい十二年間でした。
今回付けさせていただいた「造形学習インストラクター」は、資
格名では有りません。私がやってきた事「描いたり作ったりする
のを手取り足取り教えます」を一言で括ってみた肩書きです。
私は今、一番好きな事を仕事にしていると言えます。それは少し
ずつ形を変えながらいつも側に在ったと思います。
やりたい事は諦めず、どんな時も胸に持っていてください。でも
決して、胸に秘めてはいけません。折々に言葉にしましょう。そ
して、どちらか悩んだ時には、やってみる方を選んでみましょう。
待っているだけでは何も始まりません。「自分はこんな事が出来る。
こんな事をやりたい。」それを表現する事で、あなたにとっての
キーマンも現われると思うのです。
終り

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