芦川いづみさんデビュー65周年記念 DVD10タイトル発売!

2008/9/28

大河ドラマ『篤姫』第三十九回「薩摩燃ゆ」  『篤姫』道

原作:宮尾登美子「天璋院篤姫」
脚本:田渕久美子
音楽:吉俣 良
テーマ音楽演奏:NHK交響楽団  テーマ音楽指揮:井上道義
演奏:弦一徹オーケストラ  題字:菊池錦子
時代考証:原口 泉、大石 学  建築考証:平井 聖  衣裳考証:小泉清子  脚本協力:田渕高志
撮影協力:鹿児島県、鹿児島県鹿児島市、茨城県つくばみらい市、茨城県桜井市
武術指導:林邦史朗  所作指導:西川箕乃助
書道指導:望月暁云  仏事指導:金嶽宗信  薩摩ことば指導:西田聖志郎
御所ことば指導:堀井令以知  京ことば指導:井上裕季子  土佐ことば指導:岡林桂子
資料提供:德川記念財団、尚古集成館、長崎ハウステンボス、開陽丸、伊牟田志香人、野本禎司、竹村 誠
語り:奈良岡朋子

出演:宮﨑あおい(天璋院)、瑛太(小松帯刀)、原田泰造(大久保一蔵)、堀北真希(和宮)、松田翔太(徳川家茂)、樋口可南子(お幸)、岡田義徳(島津忠敬)、梅野泰靖(栗川孫六)、少路勇介(詫摩治通)、三宅弘城(伊地知正治)、平山広行(海江田信義)、小林麻子(しの)、竹本聡子(土御門藤子)、俊藤光利(大山綱良)、江良 潤(鷹司輔熙)、武智健二(奈良原喜八郎)、中川真吾(島津忠義)、若松泰弘(姉小路公知)、神崎智孝(中山忠能)、小浜正寛(三条実美)、高畑淳子(本寿院)、ともさかりえ(お近)、中嶋朋子(重野)、平 岳大(一橋慶喜)、岩井友見(歌橋)、東儀秀樹(孝明天皇)、若村麻由美(観行院)、玉木 宏(坂本龍馬)、稲葉さゆり、宮崎彩子、中村春菜、東條織江、小林幸彦、住吉晃典、澁谷晶己、細川あゆみ、秋葉美和、塚田美津代、マークチネリー、ニール・ベラド、若駒、劇団ひまわり、テアトルアカデミー、キャンパスシネマ、エンゼルプロ、稲森いずみ(滝山)、山口祐一郎(島津久光)、中村メイコ(庭田嗣子)、北大路欣也(勝麟太郎)

制作統括:佐野元彦
プロデューサー:屋敷陽太郎  美術:山口類児  技術:小笠原洋一  音響効果:柳川起彦
撮影:溜 昭浩  照明:中山鎮雄  音声:本間法義  映像技術:梅田修一
記録:水島清子  編集:佐藤秀城  美術進行:山尾 輝
演出:松川博敬




文久3年(1863)2月。家茂が江戸を発って数十日。
大奥の人々はひたすらその無事を祈っていた。
本寿院は天璋院を呼び止め、軽々しく上洛などしては将軍家の威光が地に堕ちると不満を述べる。庭田にお武家さんいうのも色々大変なことどすなぁと嫌味を言われ、悔しがる本寿院。天璋院は部屋を出て行く和宮に気を取られて話を聞いていなかった。
数日が経ち、家茂が無事に京に上ったという報せが届く。
勧行院や庭田がこれで日本が太平の鎖国の時代に戻ると喜ぶ中、和宮は「昔に戻るなど無理なこと」とつぶやく。
庭に咲く桜を見ていた天璋院にも家茂が無事に着いたという報せが届く。重野から難儀をするかも知れないから江戸の菓子を送ってみてはと提案され、すぐに手配せよと命じる天璋院。


だったら最初から持たせればよかったのに…なんてことを言ってはいけない(笑)。

京、二条城。その頃、家茂は先に上洛していた将軍後見職・慶喜と会っていた。
変事あまた起こっていると報告を受けた家茂は、攘夷が困難であることを帝にはっきり伝えるつもりだと言うが、慶喜はそれはもはや無理であり、攘夷を行うことを既に朝廷と約定を交わしていると告げる。腹を立てる家茂に、朝廷に幕府から政権を奪い無謀なる攘夷をさせないためにも、ひとまず攘夷決行を約束をして、朝廷の信頼を得て次の手を考えるのが上策だと述べる慶喜。
3月7日。家茂が御所に参内。将軍としてはおよそ230年ぶりのことだった。
やはり攘夷は難しいと家茂は伝えようとするが、関白・鷹司輔煕(すけひろ)や中山、三条らに阻害され、家茂の思いは帝に届かなかった。そればかりか江戸へ戻ることも許されず、体調を崩す家茂。
そんな中、5月10日に攘夷を行うことが告げられる。
滝島から家茂が病であり、江戸に帰れないのは攘夷決行のための人質だと聞いた天璋院は、和宮の元へ急ぎ、江戸に帰れるよう帝にお願いして欲しいと頼む。和宮はそれが帝の意向であれば、それに逆らうつもりはないと答え、庭田は勝手な振る舞いと天璋院を非難する。
たまりかねた天璋院は家茂が病気であることを明かすが、和宮は「病気にしたのはどなたやと思うてはるのですか」と怒りを露わにする。部屋を出て行く天璋院。
廊下。和宮が雨の降る庭を見ていると、勧行院が来る。家茂と自分たちの板挟みになっている和宮に、「自分の思いに背くことはあらしません。公方さんが案じられるのやったら素直にお上にお願いしたらよろしい」と言う勧行院。


そら怒るわな、和宮はんも。
前回に引き続き、勧行院が母として娘を支えていますね。

雨の止んだ空を見上げる天璋院。上洛を勧めたことを後悔していた天璋院は、誰かが家茂のそばについていればと考え、信用のできる人物を思いつく。
大坂の旅籠。勝と龍馬が海軍の操練所について話しこんでいると、客がやってくる。それが家茂からの使者で、大坂城に来るように言われて驚く勝。
家茂は勝に面会する。徳川家の威光などなきに等しいと言う家茂に、上は諸大名から下々に至るまで帝が日本国の政の要だと思っていると話す勝。異国と戦って勝てると思うかと聞かれ、勝は「ころりと負けます」と答えるが、日本国中が攘夷などできぬと悟るよい機会だと言う。更に、国開き諸外国の優れた技術や知識、制度を取り入れるのが外国と肩を並べる早道だと言い、「物事を悪い方にばかり考えていてはいけませぬ」と話す。
家茂が自分を呼んだのが天璋院の勧めだと知った勝は、「よきお母上をお持ちになられましたな」と家茂に言う。「神戸の操練所、思うがままにやってみよ」と家茂に言われ、ひれ伏す勝。「まこと、そちに会うてよかった」と身も心も軽くなったと感じる家茂。


それでも自分が行こうとする天璋院(笑)。
お付きの者にそれを見透かされてたしなめられるというのもこのドラマのパターンですな。

そして迎えた5月10日。攘夷決行の日。
滝島から表は静まり返っていると聞いた天璋院は、家茂の身を案じる。
大坂城では家茂が目を閉じて黙想していた。
下関から攘夷の火の手が上がる。長州藩はアメリカ商船を砲撃するが、アメリカとフランスに反撃され、屈辱的な大敗を喫する。
薩摩、鶴丸城。久光にイギリスの動きを尋ねられた帯刀は、イギリスが幕府から償金を受け取った上に、薩摩に金と下手人の差し出しを求めていると報告する。
帯刀は戦だけは避けるべきだと主張するが、久光は降りかかる火の粉は払わねばなるまいと言い、「その時はそちに采配を任せる。なんとしても勝つのじゃ」と帯刀に命じる。
江戸では、家茂がおよそ4ヶ月ぶりに帰還を果たしていた。
家茂は天璋院と再会する。ふがいない思いでいっぱいだと言う家茂に、無理な上洛を強いてしまったのではと心配する天璋院。家茂は上洛したことは誤りではなかったと言い、この国の病の重さを知ることができたと話す。
江戸へ戻ることができたのは和宮から朝廷への嘆願があったおかげと聞いた天璋院は、すぐに和宮の元へ行くように家茂を促す。
夜。御鈴廊下を行く家茂。
お守りを返し、「ここにおられるのもそなたのお陰じゃ」と言う家茂に、私は私にできることをしたまでのことと答える和宮。それでも家茂に京の都を見て和宮のことが一層愛おしく思われてならなかったと言われた和宮は、「徳川家を思い、朝廷を思い、でも私が改めて強く思いましたのは…今、心から上様のお子を抱きたいということにございます」と言う。和宮を抱きしめる家茂。


いやーん、宮様ったら大胆(笑)。
やはりなんだかんだ言いながら一緒にいると愛情が湧いてくるもんなんですかね。

朝。仏間で一同が手を合わせている。
廊下で和宮を呼び止めた天璋院は一言礼を言おうとするが、和宮は「礼には及びませぬ。大御台さんのためにしたことではございませぬゆえ」と言って立ち去る。重野は家茂が無事に戻ったことだけでよしとしようと言う。
そこへ滝山が来て、イギリスの軍艦が横浜から薩摩へ向かったと告げる。
6月27日。イギリス艦隊はついに薩摩・錦江湾に侵入。
英艦ユーリアラス号船内での英国代理公使ニールとの3日間に及ぶ交渉も決裂する。
7月2日。薩摩軍・本陣。海江田が汽船3隻が奪われたと報告に来る。
戦仕度をする足軽を見ながら、帯刀は薩摩を守ってくださいという天璋院の言葉を思い出す。そこへ大久保が来て、すべての砲台に正午、天保山からの合図で砲撃を始めるように指示をしてきたと報告する。
今和泉島津家。お幸は出陣する忠敬に「今こそ薩摩武士の本分を尽くすのです」と言って見送る。忠敬の背中を見つめながら、「死んではなりませんよ、忠敬」とお幸。
大奥では天璋院が菩薩像を見つめていた。
薩摩・錦江湾。伊地知に向かい、合図を送る大久保。
伊地知の「撃て」の号令の下、大砲が放たれる。
7月2日、正午。薩英戦争の火蓋が切られる。
忠剛の位牌に向かい、手を合わせるお幸。
イギリス艦隊の誇る最新鋭アームストロング砲の威力は凄まじく、薩摩側の砲台は次々に破壊され、鹿児島城下は焦土と化した。燃え盛る町を本陣から見下ろして驚愕する帯刀。
手を合わせる天璋院。
薩摩軍は必死の抵抗を続けて7月4日。
兵士たちが切り込みしかないと息巻いていると、伊地知が駆け込んできてイギリス軍艦が湾の外に去っていこうとしていると告げる。薩摩軍の予想外の抵抗により、弾薬と石炭が底をついたイギリス艦隊は鹿児島湾を去っていった。


というわけで薩英戦争でごわんど。
最近、ほとんど目立っていない忠敬ですが、この戦では活躍したそうで。
しかしこんなドッチラケな終わり方をしてたんですね。

家に戻った帯刀は、お近の無事を確かめる。
お近は大山たちを家の中に入れ、握り飯を振る舞う。
瓦礫の庭に一人立つ帯刀に近寄るお近。それを遠くから見つめる大久保。
「私は、戦を防ぐことができなかった。それに、鹿児島の町も焼けてしまった」と言う帯刀に、「しっかりして下さい。これからまた新しい家や暮らしを一から作っていけばいいではありませんか。それを導くのがあなた様方の新たな仕事となりましょう」とお近。「それが戦に負けたことということだ」という帯刀を慰めようとするお近だったが、帯刀は「負けは負けなのだ」と言って、ゆっくりとした足取りで庭の石段を上がる。
正面に桜島。帯刀は「私は薩摩を守ることができませんでした。あの方に…約束したというのに」と言うと、座り込んで地面に拳を叩きつけながら叫び声を上げる。
大奥。新座敷で天璋院がお幸からの文を読んでいる。文には今和泉の屋敷は焼けたが家中の者たちは怪我一つ負っていないといったことが書かれていた。天璋院は立ち上がると床の間の掛け軸の絵を見つめ、「この美しい薩摩が焼けてしまったのですね」と言う。
家茂はこれで攘夷が成らぬということが分かったのではないかと言う。家茂から勝が話していたことを聞いた天璋院は、「この徳川将軍家が二百数十年間の間、この日本国の泰平を守ってきたのです。こたびの戦を無駄にせず、この国を変えていくのも我ら徳川家のなすべきことかと。…国を変えるのです。それもよい方へと。もっとよい国へと。希望を…持ちましょうぞ」と言う。
文久3年、秋。2人を待ち受ける苦難の道のりはまだ始まったばかりだった。


というわけで一挙に半年ばかり経過しました。
いよいよ時代が動き出したという感じですね。


「篤姫紀行」
鹿児島県鹿児島市〜薩英戦争〜
祇園之洲公園、祇園之洲砲台跡、薩摩本陣跡(千眼寺跡)、南洲公園
語り:内藤裕子アナウンサー  演奏:吉俣良×千代正行
0



トラックバックURL

トラックバック一覧とは、この記事にリンクしている関連ページの一覧です。あなたの記事をここに掲載したいときは、「記事を投稿してこのページにお知らせする」ボタンを押して記事を投稿するか(AutoPageを持っている方のみ)、記事の投稿のときに上のトラックバックURLを送信して投稿してください。
→トラックバックのより詳しい説明へ



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ