第9回
坂東33ヶ所霊場A(埼玉県)正法寺巡礼
2019.6.6
第9回坂東33ヶ所霊場巡り
2日目は埼玉県東松山市にある
10番巌殿山正法寺(岩殿観音)です。
早朝高崎駅からJR八高線に乗り小川町で乗換え、東武東上線池袋行きで高坂駅へ9:30頃に着いた。
高坂駅から10番巌殿山正法寺まで歩いて行くことにした。

高崎駅構内にある幸福だるま
左右に2個あり、もう一つは銀色のだるまが設置されている。

梶田 隆章の記念碑
ニュートリノ振動の発見により、2015年12月にアーサー・B・マクドナルドと共にノーベル物理学賞を受賞した。
埼玉県東松山市出身なので高坂駅前に記念碑が立っていました。

醫王山常安寺(3)
入口
高坂駅から岩殿山正法寺へ向かって歩くと関越道が下に通っていて、そこを通り過ぎるとすぐ右側に
常安寺があり立ち寄って来ました。

醫王山常安寺(1)
本堂
東松山市西本宿にある天台宗寺院。
豪讃和尚(文永3年1266年寂)が開山したといわれる。
本尊は阿弥陀如来像。

醫王山常安寺(2)
薬師堂

足利基氏の館跡標識
この標識通り右折し道なりに約1kmも歩くと館跡へ着きます。
足利基氏は鎌倉公方と呼ばれ、南北朝時代に活躍した武将で、足利尊氏の次男として歴応3年(1340)に生まれた。

足利基氏の塁跡
北と東西に土塁跡、東西に堀跡が残っている。
何処が土塁跡なのか、どこが堀跡なのか素人には良く判りません。

足利基氏館の跡
高坂台地西側の斜面に立地し、九十九川に向かって下り、南面が大きく開口しています。
岩殿山合戦を行なった時に本陣が置かれた可能性が高いと思われているが、基氏は長期の滞在はせず、すぐに下野国に陣を進めています。
そのためこの館は合戦の時に基氏が築いたものではなく、地元豪族が造った館を陣地として利用したものと思われる。(現地案内板より)

弁天沼(
鳴かずの池)
昔、坂上田村麻呂が岩殿山に住む悪竜を退治し、首を埋めたところにこの弁天沼ができたといわれ、カエルがすみつかないところから「
鳴かずの池」と呼ばれたと言い伝えられています。

阿弥陀堂跡(1)
地蔵群

阿弥陀堂跡(2)
板石塔婆

参道にある正学院
ここは正学院ですが、阿弥陀堂跡から正法寺へ向かう約1kmの一本道の参道を歩く。
今は住宅地になっている両サイドの参道には、今も当時を彷彿させるようにそれぞれの道に当時あったお店の看板を掲げてくれています。

参道にある熊野神社

10番巌殿山正法寺(1)
仁王門
一本道の参道の突き当りが10番巌殿山正法寺の
仁王門です。

10番巌殿山正法寺(2)
仁王門をくぐると更に登り階段があり登って行く。

10番巌殿山正法寺(3)
仁王像(1)
運慶の作といわれていましたが、平成四年の解体修理のおりに、棟札がでて、運慶作のものは江戸時代に焼失し、現在の仁王像は、文化年間に再建されたものと判明しました。
(正法寺HPより)

10番巌殿山正法寺(4)
仁王像(2)

10番巌殿山正法寺(5)
仁王門をくぐり更に階段を登って行く。

10番巌殿山正法寺(6)
百地蔵堂

10番巌殿山正法寺(7)
薬師堂

10番巌殿山正法寺(8)
観音堂
所在地埼玉県 東松山市大字岩殿 1229
観音堂は寛永・天明・明治と3度の火災に見まわれ、現在の観音堂は明治12年に移築されたものです。
宗派真言宗智山派開山養老2年(718年)
本尊千手観音菩薩(観音堂)阿弥陀如来(本堂)

10番巌殿山正法寺(9)
ご本尊である千手観音菩薩(写し本尊)
観音堂の本尊である千手観音菩薩座像は秘仏であるため、普段は厨子の扉は閉ざされています。

10番巌殿山正法寺(10)
石仏群
境内をめぐる石崖には小さな石仏が安置されています。

10番巌殿山正法寺(11)
観音堂
寛永・天明・明治と3度の火災に見まわれ、現在の観音堂は明治12年に移築されたものです。

10番巌殿山正法寺(12)
大銀杏の幹と根張り@
推定樹齢は
700年を越えます。
周囲は11mあり、埼玉県内でも最大級の大きさです。

10番巌殿山正法寺(13)
大銀杏の幹と根張りA
同上反対側の根張りも凄い。

10番巌殿山正法寺(14)
同上全景
本堂と大銀杏
江戸時代には養老木と呼ばれ、多くの女性に安産・子育守護の対象として信仰されました。

物見山公園(1)
埼玉県東松山市にある山で標高135m。
山麓一帯を物見山公園として、東松山市が都市公園(総合公園】として整備し、公開している。

物見山公園(2)
約4万本のツツジの名所として有名です。

物見山公園(3)
埼玉県平和資料館展望タワー
海抜147.5メートルの展望室から関東平野が一望し、秩父山系、富士山や浅間山などの山並みが眺望できる。

小江戸川越(1)
川越城田曲輪門跡

小江戸川越(2)
時の鐘
川越のシンボルともなっている
時の鐘は、寛永4年から11年(1627年から1634年)の間に建てられたものが最初だが、現在の鐘楼は1893年に起きた『川越大火』の翌年に再建されたものだそうです。

小江戸川越(3)
蔵造りの町並み
高坂から川越へ行き、小江戸川越の街並みを散歩し、電車で川越から池袋、渋谷、青葉台まで乗り継ぎ帰宅する。
2日目に歩いた歩数:
25,720歩(
約16.7km)
今回(第9回)は群馬県と埼玉県の2霊場を巡拝し、これで昨年の目標であった坂東33ヶ所観音霊場巡りもあと栃木県にある2霊場のみになりました。
最後に残った栃木の2霊場巡拝は秋の紅葉時期に静工同級生夫妻と2組で最後の霊場巡りを計画している。
青葉の百姓 2019.6.8記

1