復路も何事も無く戻ってくることが出来ました。明日からはまたお仕事です。
さて、話はがらりと変わります。
さかのぼること今から3年ほど前、某実習中にとある先生から言われたことがありました。
「君には、こだわりがないね」
当時社会科先攻だった私が、課題に算数を選んだことにより言われた言葉です。
まったくもってその通りだと思います。興味を持ったことは色々と手をつけるのですが、どれも深いレベルまで手を入れるということは、エネルギー的にも技術量的にも無理がある話でした。よく言えば何でもこなす、悪く言えば器用貧乏、そして熱しやすく冷めやすい。そんな中で大きな問題も起こさず(一部の人に言わせれば、幸せな)この人生を歩んでこれたのは、少ないエネルギーと技術の中で、及第点ギリギリのところをクリアしてきたからでしょう。一側面を一瞬だけ見るのであればそれでもいいのでしょうが、2回3回そして長い年月を積み重ねていけば、個性がなく能力的にも乏しいことがあらわになって、評価の目が遠のいていきます。
また器用貧乏は、数多くのコンプレックスに悩まされることがあります。いずれの事柄についても中途半端にしか出来ず、常に「極めつつある人たち」の存在があるため、相対的な技量の差に悩まされます。ならば何かひとつ決めて伸ばせば、という話も出てきますが、どれにも中途半端に手を入れているため、その全てをそぎ落として1つに絞るというのはなかなか困難なことでもあります。コンプレックスが「どうせ私は」という論理にとらわれてしまい、伸ばそうと思う気持ちを阻んでしまうということもあるでしょう。(まあ、これには極めた人がいつも感じる「他に代えられないプレッシャー」というアンチテーゼがありますが)
何も出来ない、何も誇れないという無力感が、私の中の負の感情をこんなにも長引かせているのかもしれないですね。

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