
6月上旬、二男の中学校の卒業式があった。
僕たちの住んでいる地区では、エレメンタリー(小学校)が5年までしかなく、そのあとミドルスクール(中学校)が3年あり、ハイスクール(高校)が4年間ある。
学区や町によっては、小学校が6年間で中学校が2年間、高校が4年間のところもある。同じ郡内や州内とはいえ、地元教委の予算と自主運営にまかされているので、けっこうまちまちだ。
アメリカ全体にわたったら、休みの時期や学年の区切りなど把握しきれないくらい違いがあるだろう。
でもどこからも「統一しよう」とか「同じ州内なのにおかしい」などといった声が上がってこないのは、 →続きを読むをクリック

かなり自治体の自主性に任せられているからなのだろう。ここでは違っていて当たり前なのだ。
さて、卒業式は2年前の長男のときと同様、市の公会堂で行われた。学校ではまず行わない。父兄と生徒が一堂に入れる講堂のようなでっかい建物がないのだ。
ほかに日本の式とは違うところは、在校生は列席しないこと。これはきっと「家」に重きを置く日本文化と、個人に重きを置くこちらの文化の違いもあるのだろう。
というのは「家」つまり「学校」から巣立って卒業するものを、そこにとどまる「親や兄弟」ともいうべき在校生が見送るのが日本だが、こちらでは学年が違えばまったく別個の集団と見られる。そのため在校生が列席して見送るなんて発想がまったくない。

スポーツでもチームは学年別で編成される。高校のフットボールやバスケットなどでは、1年生チーム同士の試合のあと2年生チームの試合があり、そのあと3、4学年合同のVersityと呼ばれる選抜チームが試合を行う。
後輩が先輩のしごきに遭うような、封建時代の年功序列のたたりともいうべきバカバカしいことは、まず起こらない。
つまり1年生でも玉拾いなんてしなくて、いきなり試合に出してもらえる。しょっぱなから、スポーツの面白みを思う存分楽しむことができる。
そうそう、卒業式だった。ほかに日本と違う点は、しっかりしたスクールカラーのガウンを着て式に臨むこと。これは僕も大学院の卒業式でこういったガウンを着たが、すごく気が引き締まって晴れやかな気分がさらに高揚したのを覚えている。
黒い学生服じゃあ、あの雰囲気は味わえない。今回の卒業式では、スクールカラーのワインレッドのガウン姿が演壇に並んだ。
あとは長々しい歌や来賓のあいさつがない。この日あったのは、教育長のあいさつと校長の式辞、卒業生代表のスピーチくらい。

公会堂のステージ上に列席した卒業生からは、終始笑いがもれ、席を埋めた家族に手を振ったりカメラにポーズをとったり。卒業証書を渡し終わり、校長が「これでClass of 2008の卒業式は終わりです」と宣言した瞬間には、大歓声が沸きあがりビーチボールが飛んできた。
この瞬間は、ふつうは帽子を空中に放り投げるが、この学校では帽子までは用意してなかったのでビーチボールが飛んできたみたい。
どっちの国の卒業式の方がいいなんて優劣を競う気はさらさらない。日本には日本の卒業式のよさがあるし、価値基準や文化レベル、気風の違いなどでこっちの卒業式のほうがいい、とは言い切れない。とはいっても、こっちの卒業式は楽しいけどね。

アメリカに来たときは生後わずか4カ月だった二男。渡米後、初めて入った大学の学生アパートにはまだベッドがなかった。アメリカで初めての夜は、タンスの引き出しを抜いてタオルをしき、二男を寝かせたのを覚えている。
妻の実家はハワイ出身なので、二男の首にはお祝いのレイがかけられている。式の前後に友達同士でじゃれあう二男の姿を見ていて、あ〜あ、大きくなったなーと改めて感心した。

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