
▽軽いめまいが…
午前8時半前に石段下に到着した。予定よりかなり早いペースで進んでいる。よしよし、これでケーブル下の渋滞にはまず巻き込まれないですむだろう。
石段を登り始めたところで直射日光と照り返しに見舞われ、軽いめまいがしてきた。暑い。とにかく暑くてきつい。100mも行かない所で一休み。Sさんもきつそうだが、僕よりは余裕がありそうだった。
白っぽい石段の段差は高い所で50cm近くある。10段も上がると息があがる。スイッチバックになっていて、 →続きを読むをクリック

数回休んだ所でSさんに先に行ってもらった。
▽既に降りてくる人も
このころになると他のハイカーの数も徐々に増え始めたが、みんなやはり苦しそうだ。驚いたのは、まだ午前8時半過ぎなのに、登頂を終えた人が上からどんどん人が降りてくることだ。
僕たちよりずっと早く出発したか、あるいはキャンプしてかなり早朝に登り始めた人たちらしい。
石段は狭いので、お互い声をかけながら譲ったり譲られたり。すれ違うわずか数秒の間に「You've made it?」「Yeah!」と言葉を交わす。早く「Yeah!」の部分だけを答えながら、下へ向かいたい衝動に駆られる。

しかし1時間はかかると見ていた急勾配の数百段の階段だったが、わずか30分でケーブル下に到達できた。石段の上に出ると、眼前には最後の登頂部分に垂れ下がっているケーブルが迫ってくる。
(写真は左がSさん、右が中村)
▽視界に迫るケーブル
白っぽい花崗岩は一見、垂直に見えるほどじわじわと視界に迫ってくる。このケーブルから落ちて数週間前に男性が死んでいるのだ。しかし不思議と恐れはない。Sさんは口数が少なく、ケーブルの迫力に相当のまれていたのかもしれない。
実は僕は、ケーブルよりこの石段の方がずっと嫌なので、この段階で心の中では登頂したの同じ気分だった。ケーブル登りはきついことはきついが、僕にとってはおまけみたいなもんだ。

10分ほど休み、これから自分たちが挑む最後の難関、122mのケーブル登りに備えて心の準備をした。午前9時7分、イボ付き軍手をはめいよいよケーブルによじ登り始めた。
ケーブルは太さ約2センチで、左右2本が幅約1m間隔で上から延びている。毎年5月から10月まで取り付けられるが、それ以外の時期は事故防止のために取り外される。
約3〜5メートルおきに幅約10センチの板が渡されており、両手でケーブルにつかまり足を板に引っ掛けてうんせ、うんせと板を1本1本登っていくのだ。
▽最大斜度は70度近く

ケーブルを支えている支柱は岩に穴を掘って入れてあるだけ。歩くたびにガタガタと音が鳴り、すぐにも抜け落ちそうだ。実際、以前登った時に前を歩いていた人が滑って支柱がはずれ数メートル滑り落ちた時があったが、そのときは一瞬ぎょっとした。
傾斜はかなり急。最大斜度は70度近い場所もあるかもしれない。花崗岩は滑りやすく、特に雨が降ったりするとまず登れない。途中に花崗岩が重なり合った個所に自然にできた50センチ以上の段差があるところもあり、とにかく気が抜けない。
登り始めはまだ傾斜が緩やかだが、ケーブル全長の下から5分の2から5分の4くらいまではほとんど岩と向き合った状態で登り続けなければならない。
▽息苦しさと恐怖感

下から来る人は最初、上にいる人がほとんど動かないのを見て不審に思う。しかし20mも上がった所で自分も息が上がってしまい、上にいる人がなぜ動けないかを即座に理解する。
息苦しさ、両腕の疲れ、握力がだんだんなくなる焦り、下を見下ろすときの恐怖感などとの戦いになるが、ここはとにかく時間さえかければほとんどの人が登れるのだ。
15分くらい登った所で僕は疲れてしまったので、Sさんに追い抜いてもらい先に上がってもらった。細いケーブルだが、決して追い越せないわけではない。上から降りてきた人や下から速く上がる人とは声を掛け合いながら追い越し、追い越されを繰り返すが死にそうなほど怖い、ということはない。
▽予定より1時間早いペース
僕らは午前10時半にケーブルを登り始められたら、と思っていたが、予定より1時間以上早く登り始めることができた。というのも渋滞を避けたかったからだ。今はまだ登っている人は数えるくらいしかいないが、午前11時を過ぎるとどっとハイカーがケーブルに押し寄せ、待ち時間が1時間を越えることもある。

途中まで登って疲れた人がいると列が先に進まず、まるで芥川龍之介の「蜘蛛の糸」のような状況になる。しかし今回はスムーズで、とにかく上を向いてゆっくり登ることに専念できた。
(写真は左がSさん、右が中村)
▽頂上からの景色
登り始めてから約20分。やったー、頂上だ。午前9時半前だった。登って右手の頂上に向かう。エル・キャピタンが遠くに見え、バレーが箱庭のようだ。残念ながらヨセミテ滝はもう枯れかかっているのであまり見栄えはよくない。

目を北にやるとテナヤ・キャニオン、クラウドレストが大迫力で迫ってくる。東の方はMt.クラークなど4000m級のイースト・シエラの山々が頂を連ねるが、超逆光で写真はうまく写せない。
感無量の気持ちで頂上の岩の重なり合った部分で写真をバチバチ撮りまくる。Sさんともお互い写真を撮ったりして登頂を喜び合った。
頂上にはまだ30人もいないだろう。しばらくするとニュージャージーの4人組が登ってくるのが見えた。
▽広い頂上

頂上部分は広い。ヘルメットの上を想像してもらうとわかるだろうか。本当の頂上はそのほんの一部ではあるものの、頂上部分の平らな、あるいは傾斜の緩やかになっている部分は中学校の校庭くらいはあるんじゃないだろうか。
他の山と比べてもこれだけ頂上が広いのは珍しい。もっとも氷河に削られた岩山なのだから、広くて当たり前かもしれない。Sさんと軽食を食べたり岩の上に寝転がったりして登頂気分を満喫する。

そのうちSさんは昼寝しだしたので、僕は周囲の写真を撮ったりしていた。午前10時15分を過ぎたところで、そろそろSさんを起こそうかなと思い始めた。というのも、それ以上頂上にいると、ケーブルがそろそろ渋滞しだすころだと思ったからだ。
その約5分後、Sさんが起きてきた。「もう下りようか」と声をかけ下山し始めた。ケーブルは登ってくる時も怖かったが、下りる時はさらに怖い。下が見えない山なりの傾斜を下りなければならないからだ。
▽下山スタイル

人によっては前向きに降りる人もいるが、僕は後ろ向きになって1本のケーブルにつかまり、ズリズリ下りて行く。その方が登ってくる人とすれ違う時に楽だからだ。
約15分で下に到着。下りる時は早い。予想通り人が増えていた。僕らがケーブルを下りたまさにそのときに、30人くらいの団体がケーブルに登り始めたところだった。あんな団体に途中でであったら、降りるだけで40分以上かかってしまっていただろう。

ケーブル下で少し休んだあと、石段下まで下りた。軽く一休みした後は一気にリトル・ヨセミテ・バレーへ下りた。そこでおにぎりを食べ大休止。約1時間休んで昼寝した。
帰りはネバダ滝からミスト・トレイルに入る。しかし暑い。気温はもしかしたら38度以上あるかもしれない。加えて急勾配と段差の大きな石段が膝にこたえる。しかしJMTを通るよりもずっと早い。
下から上がってくる人を見ると誰もぬれていない。このためカッパまでは着る必要がないと判断した。
▽水しぶきのないミスト・トレイル
バーナル滝の手前にあるエメラルドプールで家族連れらが泳いでいた。これも雪が少なく冷たい雪解け水がないからだろう。例年だと水量が多く、ミストトレイルはその名の通り冷たい水しぶきで覆われ、川も流れが速く冷たくて泳ぐどこではない。
案の定、バーナル滝へ下りてきても水しぶきはほとんどかかってこない。カッパを着ることなくこの道を通れたのは初めてだ。
▽自己最速の12時間40分

午後3時半、信じられない速いペースでハッピーアイルに到着。午後4時10分に駐車場へ戻った。昼寝を含めて約12時間40分。16マイル〈約25.6キロ)は長かったが、これまでで一番早かった。もっともこれまでは人の手伝いだったりもっと大人数のグループで一番遅い人に合わせた歩いたりしたからだったからだろう。
(写真は右がSさん、左が中村)
今回は自分のペースを守り、一番早く一番からだの負担も軽く登れたと思う。宿へ戻りゆったりとジャクジーに入ってクマとの遭遇やケーブル登りを思い起こした。

わずか13時間に満たない時間だったが様々なドラマがあった。これが山登りの醍醐味だな、と思い出をかみ締めながら、カレーとサンマ缶の夕食に舌鼓を打った。
おわり。

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