いつも喜び、 絶えず祈り、 すべてを感謝する。 そのような日々を過ごしたい。

2011/9/28

利休  茶道

千利休の映画は、1989年に2本作られていて、そのころ両方見ました。
四百回忌が1991年になるので、そのために作られたようです。

この度、「利休」という勅使河原宏監督の作品が、BSプレミアムで山田洋次監督の日本映画100選「家族編」に選ばれました。原作は野上弥生子の『秀吉と利休』
これは、私が2本を比べて、いいと思った作品か、どちらだったかな?と思いつつ見ました。

侘び寂びという日本文化の真髄を描きたいという、監督の試みは、成功していたと思います。その豪華な衣装(ワダエミ)や、茶道具(本物を使う)、茶々(山口小夜子)と秀吉(山崎努)の一場面で使われた絨毯が一千万円とか、茶室や庭の風情、梅の花を鉢に散らして活けるところ、手を抜かず極めたといえます。

日本の美を堪能することができました。

しかし、どうも私がいいと思ったのは、もう一つの作品、
監督:熊井啓、利休:三船敏朗、井上靖原作『本覚坊遺文』のほうだったような気がします。
レンタル店で探してみようと思います。


そして、この度知った新たな情報、
三浦綾子が、『利休とその妻たち』を執筆するために、資料調査していたとき、千宗室に会い「利休はなぜ切腹させられたのでしょう?」と聞いたら、即座に「キリシタンだったからですよ」という答えが返ってきたとか。
そのことを三浦綾子は、随筆か何かに書いておられるようです。

利休の妻や娘がキリシタンであったのは、事実らしい。
また茶道の作法が、キリスト教の聖餐式と似ていることも、研究者が発表しておられる。

茶室に入る前に蹲踞(つくばい)で手を洗い清める。
神聖な儀式に入る前に、神官が身を清める。私たちも、神社の手水舎で手を洗う。

茶道は好きで、若い頃少し習いましたが、その道も奥が深く、本当に極めるのは、悟りを得ることと同じかもしれません。

単にお手前を覚えるだけでなく、その形から真理に至る道を求めている人は、どれほどいるでしょう。

茶道具、掛け軸を誇るためのお茶会になっていたとしたら、利休の心からは離れているように思います。

有名な2畳の待庵。
『利休 わび茶の世界』(久田宗也著)を図書館から借りてきました。
そこでは、「二畳敷の茶室の成立の一契機を、当時朝鮮の儒教に生きる道人の生活環境にみようとの仮説をたてた」とあります。

いろいろな迫り方があるようです。

利休が60歳で作った「待庵」は暗く狭く不思議な空間で、瞑想する場所としてふさわしいようです。

『茶道と十字架』(増渕宗一著)という本もあるらしい。
是非読んでみたいと思います。
そういえば、高山右近は利休の七哲であり、キリシタン。

教会の敷地内に、茶室を作った牧師もいるとか。


茶道とキリスト道、どのようにつながっているのでしょう。
ただ、利休の辞世の歌を読むと、果たしてキリシタンなのか、それあえてそれを隠したのか、よく分かりません。

どなたか、何か情報があったら、教えてください。




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木蓮    宮川妙子 画


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鳥沼の夏    北海道 富良野


northland-art-studioさんからお借りしました。
いつもお写真を快く貸してくださってありがとうございます。
鳥沼というところは、静かで瞑想にふさわしい場所ではないかと想像しています。
観光地ではないのがいいですね。
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