いつも喜び、 絶えず祈り、 すべてを感謝する。 そのような日々を過ごしたい。

2021/7/6

ドストエフスキー カルチャーラジオ文学  文学

7月からカルチャーラジオ文学の世界で、ドストエフスキーが始まった。

講師は、予想通り、亀山郁夫さん。
2021年は、ドストエフスキー生誕200年になるらしい。

私は、ドストエフスキーの全作品を読んでいるわけではありません。
しかし、近年思うことは、だれか、日本人の作家か評論家で、
キリスト教の信仰を持った人が、
ドストエフスキーを研究してくれないかな・・・ということです。

キリスト教がその国の基盤・背後にある人と、
全くその基盤がない国の作家・評論家では、
ドストエフスキーの真髄、本当のところが、完全には分からないのではないかと思うようになったからです。

加賀乙彦さんが、かなり歳をとってから、カトリックの信者になられた。
でも、今からでは、年齢的にも、体力的にも、ドストエフスキーに立ち向かうことは
残念ながら出来ないのではないかと思う。

同じカトリックの信者である、若松英輔さんは、どうだろうか?

亀山郁夫さんが、キリスト者になられたら・・・などとあれこれ考える。

日本の土着の宗教と、神道。
大陸から入ってきた仏教。
オランダ、ポルトガルから伝えられたキリスト教。
戦後アメリカの宣教師が伝えたキリスト教。
その他の宗教。

すべては、人はいかに生きるか・・・ということを探求しているには違いない。

だれか、ドストエフスキーを、その宗教性から、掘り下げて研究してくれないかな、、、と願う日々です。

もし、そのような研究書があったら、教えていただきたい。


クリックすると元のサイズで表示します

   山紫陽花  (「よしみが行く」さんからお借りしました)

    紫陽花も、本当にいろんな種類があるのですね。
    今年のうちの紫陽花は、不作でした。。。
    剪定の仕方が悪かったのかもしれません。
1

2021/4/29

臼井吉見 『安曇野』 筑摩書房  文学

臼井吉見という名前は、高校の教科書で初めて知ったような気がする。
説得力のある文章だと、感心したようなおぼろげな記憶。

旧制松本中学で同級生だった古田 晁(ふるた あきら)は、のちに筑摩書房の創業者。
1940年〜

臼井吉見も編集顧問になる。
1946年月刊誌「展望」を創刊。

「損をしてもいいから、良い本を作ろう」という精神は、いまも引き継がれていると、
保坂正康さんは言っていた。

確かに、筑摩書房というと、しっかりした本を出しているという印象がある。
日本の文化、文学、学問を支える。
お金儲けのための出版ではないという自負。

臼井吉見の『安曇野』は、恥ずかしながら、読んでいません。
安曇野という言葉には、憧れを持っていました。

神戸の六甲道駅の近くに、「安曇野」という喫茶店があり、
その名前にひかれて、ふらふらと入った記憶があります。
感じのいいお店でした。

***筑摩書房の本の紹介から引用*****
『安曇野』は臼井吉見の代表作。
新宿中村屋の新宿・中村屋の創立者、相馬愛蔵・黒光夫妻、木下尚江、荻原守衛、井口喜源治ら信州安曇野に結ばれた若い群像を中心に、明治から現代までの激動する社会、文化、思想をダイナミックに描く本格大河小説、5部作。
第1部は、“新しい女”黒光と夫愛蔵らの溌刺とした動きを追いつつ、新文化創造の鋭気みなぎる明治30年代を活写する。
著者年来の理想と情熱を傾注して成った代表作。
**********

信州、安曇野、碌山美術館、穂高、、、、

大好きな土地(ところ)です。
また行きたいなあ。


クリックすると元のサイズで表示します

  自然の神秘  (親愛なる教え子 杉浦譲治君からお借りしました)

    これはどこなのでしょう。素敵な写真です。
0

2021/4/2

荒川洋治の「新しい読書の世界」  文学

4月からのカルチャーラジオ文学の世界

荒川洋治の「新しい読書の世界」
始まりました。

第1回は、「序論・詩と散文」

確かに、詩は、ホメロスの「イリアス・オデッセイ」に始まったとすると
なんと2800年の歴史がある

それに比べると、散文の歴史は浅く、
11世紀の騎士道物語に始まり
小説は、17世紀のセルバンテスの「ドン・キホーテ」から始まるという。

今日の小説につながる最初のものは、
ルソーーの「告白」(1765年〜1770年)
 ここで初めて、人が自分のを文章で表現するようになった。
 人間は記憶で成り立っている  (逸話として、つる日日草)
 ルソーは、近代小説の母と言われる。

その後、産業革命により、科学が発達して、
作家は、社会のことを詳しく正確に書くようになる。=写実的

なので、小説は250年くらいの歴史しかない。

詩と散文の違いを、簡潔に説く3人の作家・詩人

吉本隆明  散文は意味であり  詩は価値である
大岡信   散文は伝達であり  詩は提示である
荒川洋治  散文は社会の言葉  詩は個人の言葉

散文は、情報伝達であり、説明するが
詩は、個人が感じたことを表すだけ
 ほかの人に分からないことを覚悟の上で出してくる。。。


詩の言葉に、衝撃を受けること、心にぐさっとくることが
確かに私にもあった。
その音の響きに、心が魅かれることがある。

なかなか、面白い分析であると思った。

全13回、、、、楽しみです。

 クリックすると元のサイズで表示します

  馬酔木(あせび)(「よしみが行くさんからお借りしました。)
    ありがとうございます。
0

2019/9/25

『燃えあがる緑の木』 大江健三郎作  文学

100分de名著で、大江健三郎の『燃えあがる緑の木』を取り上げていました。

かなり昔、この本が出版されたころに、3部作のうちの2部まで読みました。
これまでの大江さんの本より、ずっと読みやすいと思ったことだけは覚えていますが、
内容に関しては、今となっては覚えていません。

今回、内容を簡潔にわかりやすく解説していただき、
大江健三郎の主張が見えました。

人としていかに生きるか。
「繋げる(つなげる)」ということは、どういうことか。

おなじみのギー兄さんが、救世主扱いされ、教会組織が出来上がる。
 そういう内容だったのか???と第3部を図書館から借りました。

大江健三郎さんは、自分のことを「書く人であり、読む人である」と言っておられた。

原子力・核廃絶を訴えておられたが、3.11以降には、デモ行進にもあのご年齢で参加されていた。
行動の人でもあったのだ。

今回の指南役の小野正嗣さんは、日曜美術館の司会もされている。

伊集院光の適格な答えに、感心する講師は多いけれど、この小野さんもとてもよく反応されていた。打てば響く相手に語るのは、気持ちがいい。

第3回は、録画が2分しかできてなかったのですが、
第4回を見て、ジンこと息子の光さんの存在が、大江健三郎という作家に与えられた意味を、また考えさせられました。

考える人=哲学者と、物語を紡ぐ人=作家。

人生にたいする答えを追い求めるその姿勢。

燃えあがる緑の木の第三部の題は、「大いなる日に」。

かつて、「新しい人」という言葉を小説の中で使っていた大江健三郎さんが、
「救い主」という言葉をこの小説で使っておられること。
それ以上に、「燃えあがる緑の木」という題は、モーセが見た「燃える柴」を連想する。
燃えているのに、木は焦げていない。
そこでモーセは神の臨在を知る。

聖書とのつながりを感じた。

でも知識人・教養人といわれる人は、宗教には拒絶反応を示すことが多い。

「救い」とは???

Rejoice!(喜ぶ、喜びを抱く、恵まれている)で締めくくられている。
この言葉を「未来に向けて唱和する。」

私には、このRejoice!は、「メサイア」の旋律としてよみがえってきます。


0

2019/3/21

『友情の文学誌』 高橋英夫著  文学

なかなか図書館から借りている本が読めません。
その中の一冊、友人が教えてくれた本が、この『友情の文学誌』評論家の高橋英夫著
岩波新書です。

そこに、漱石と子規のことが書かれています。
時は明治 22年
正岡子規と夏目漱石は、23歳でいまの東京大学で学生として出会っている。
互いの存在を認めたのは、25歳の時

どちらかというと、子規のほうが親分で饒舌、漱石は寡黙であったらしい。
漱石が子規の影響で、俳句を始めたのは、
明治28年に、松山で2ヶ月、同じ下宿に同居したとき。

やがて漱石は、イギリスへ留学
子規は、肺結核の病状が、だんだん悪くなっていく。

そのころ互いに出した手紙が残っている。
2002年10月に『漱石・子規往復書簡集』として和田茂樹編で
岩波文庫から出ている。

「友情は成長するものだ」というのが、高橋英夫氏の意見。

確かに、この書簡集を読んで、
今までわからなかった、漱石のイギリスからの突然の帰国が、
正岡子規の病死であったと知った。
菊の花を手向けたいと願った漱石。

そして、高橋英夫氏は、その後漱石が小説を書くようになり
かの『吾輩は猫である』のあの猫は、子規であるという。
これも、納得。腑に落ちる。

子規の歌

 あづま菊 いけて置きけり
 火の国に住みける
 君の帰りくるかね

正岡子規は、従軍記者として中国へ短期間行っている。
しかし、西洋を自分の目で見たかった。
イギリスへ行った畏友、夏目漱石が、どんなにうらやましかったことだろう。

互いにその才能・人格を認めあった青年。
その友情。

私は、宮澤賢治と保坂嘉内の友情を思い出さずにはいられない。

近年、性同一性症候群とかいう言葉を聞くが、
純粋な「友情」までも、それと混同してほしくないと
痛切に思う。

0



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ