いつも喜び、 絶えず祈り、 すべてを感謝する。 そのような日々を過ごしたい。

2021/11/30

開高健  ベトナム戦争  ひと

佐治敬三に見いだされた人、開高健。

サントリー(壽屋)の文案家(コピーライター)として働き始めたところから、
その才能が開花していった人らしい。

私は、全く開高健の作品は読んでいなくて、
釣りが好きな作家・・・くらいの認識しかなかった。

1930年(昭和5年)の生まれなので、大阪で空襲を経験している。
それが遠因か、ベトナム戦争のルポルタージュ『ベトナム戦記』を書く。
のちに小説『輝ける闇』。

1964年11月15日、朝日新聞の臨時特派員として、
サイゴンへ行き、ベトナム共和国軍(南ベトナム軍)の兵士と共に、
最前線に出て、戦争を実体験した。
民間人なので、丸腰。武器は持たなかった。
その時、200人中、生き残ったのは17人だった。。。

1989年12月9日58歳で食道がんで亡くなる。
茅ヶ崎の邸宅は、開高健記念館となり、
墓所は、鎌倉の円覚寺にある。

子どものころ、テレビでよく見た、サントリーの宣伝のイラスト・・・
いまも覚えている。
どこか、しゃれていた。

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  レインツリー (「よしみが行く」さんからお借りしました)

   お写真、ありがとうございました。
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2021/11/28

サントリーホール 行きたいなあ  音楽

サントリーホール、、、、行きたいです。

ラジオで、よく、コンサート会場の案内に、
サントリーホールの名前が出てくる。

「やってみなはれ」と言って、社員に挑戦をさせ、
その責任は、上司が取る。
「やらせてみなはれ」と、社長は言う。

理屈ばかりこねていないで、
とにかく「やってみなはれ」
と、父親から言われていたという
佐治敬三さん。

サントリーホールを創るのも、
生活文化企業として成長するため。

その設計には、指揮者のカラヤンの意見も取り入れたとか。
佐治さんは、カラヤンとお友達。
宝石箱のような音色・・・・・

聴いてみたいなあ。

佐治さんは、美・感(感性)・遊・創(創造性)を
大切にしていたとか。

企業が、自社の利益ばかりを考えるのではなく、
文化、福祉への貢献もしていく。

そんな企業が増えたらいいなあ。

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  東京駅前の並木 (親愛なる教え子 杉浦譲治君からお借りしました)

  久しく行っていない、東京。 サントリーホールへ、行きたいなあ。

  朝のランニング、写真、、、、がんばっておられますね。
  寒くなってきました。  お元気で。
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2021/11/24

新垣茂信院長を追悼する  ひと

新垣茂信先生・・・といっても、知っている人は、そんなに多くはありません。

キリスト教系の私学中高の院長をなさっていた。
その学校が、千葉から広島の山の中に移転するとき、
私は、編入したカレッジでの2年間の学びが、あと1年残っていた。
なので、新垣先生から、広島へ行ってほしいといわれたときに、断った。

すると、先生は、キャンパスで会うと、
「あっ、ヨナさんかと思いましたよ」と笑って声をかけられた。

ヨナとは、旧約聖書に出てくる人物で、ニネベに行って預言者として働くようにと
神様から召されたのに、反対方向のタルシシへ、船に乗って逃げ出した人。

しかし、私は、新垣先生も広島へ行かれるのだと知って、
「はい、行きます」と答えたのでした。

クリスチャンとしての生き方を、
新垣先生ご夫妻から、私は学びました。

接する人たちに、笑顔と愛を注がれた。

「主よ、私の心の中に、お入りください」という讃美歌がお好きだった。

ハワイの日系二世として育っておられたので、
広島には、2年ほどしかおられなくて、ハワイに帰られた。

何十年かあとに、神戸の有野台へ来られて、
ご夫妻と再会した。
お豆腐専門店で、先生ご夫妻と、夫と私の4人で昼食をご一緒した。
忘れられない思い出。

先生から受けた御恩は、隣人に返す。
主にある、愛の連鎖を途絶えさせないようにしたい。

93歳という長寿を全うされ、
カリフォルニアの娘さんご一家のもとで亡くなられた。
奥様は、十年以上前に亡くなった。

でも、私たちには、主のご再臨のときに再会できるという希望があります。

懐かしいあの笑顔を思い出し、涙が溢れます。


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  さざんか (野口勝利さんからお借りしました)

  いつも、主が共にいてくださることを、感謝します。
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2021/11/23

迎賓館赤坂離宮  芸術・歴史

明治という時代をより深く知るためには、
いろんな角度から見ていく必要があると思います。

日曜カルチャーの11月は、「迎賓館赤坂離宮と京都迎賓館」というテーマで
元内閣府迎賓館館長…安藤昌弘氏がお話してくださいました。

第1回は「迎賓館赤坂離宮と明治の近代化」というテーマで、
赤坂離宮が明治の近代化、文明開化の総決算ともいわれるゆえんについてのお話。

1899年〜1909年 東宮御所として建てられた。
建築家 片山東熊(英国人ジョサイア・コンドルの直弟子)の総指揮のもと
著名な学者、芸術家、技術者が集められ、国の威信をかけて総力をあげての建築。

昭和天皇は、東宮時代に、ここに住まわれ、関東大震災を経験なさったという。
なぜ、あの豪華で巨大なシャンデリアは、落ちなかったか。
それは、天井裏にその秘密が隠されていた。
公園のブランコの原理で、三角に組んだ鉄骨が屋根裏に作られていたという。

建築様式は、ヨーロッパのものを取り入れても、
地震の多い日本では、それに耐える工夫がいる。
その叡智と努力に頭が下がる。

かつてフィリピンの外交の役人たちが、ここを見学して、
日本がこの建築物を建てるのに、20年でその技術を習得し、
かつ、石材、煉瓦など、日本では手に入らない多くの資材を調達した・・・・
と、館長である安藤昌弘氏が語ると、それまで、私語をしていた人たちが、
しーんとなり、真剣に説明を聞いたという。

ヨーロッパ列強から、馬鹿にされないように、植民地にされないように
日本という国の指導者たちが、涙ぐましいほどの心血を注いだことを思うと、
ありがたく思います。

ただ、その富国強兵がいきすぎて、軍国主義に走ってしまった
その過去も忘れてはならない。

美しい迎賓館は、両手を広げるような形で、賓客を迎える。
安藤昌弘氏は、その形が好きだとおっしゃった。


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  迎賓館赤坂離宮  内閣府のHPからお借りしました
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タグ: 歴史

2021/11/20

「糸」映画  映画・演劇

菅田将暉君のことは、秘かに応援している俳優。
小松菜奈は、「坂道のアポロン」という映画で、初めて知った女優。
友達のY子さんにどこか似ていて、マークしていました。

その二人が結婚ということで、急遽アマゾンプライムは、この映画を紹介。
かなり前から、結婚式で歌われるという、中島みゆきの「糸」をもとに作られたとは知っていましたが、こんなにも、糸がもつれて、悲しく、平成元年から平成最後の30年までを描いていたとは知りませんでした。

9.11の同時多発テロもあれば、
3.11の東日本大震災もあった。
リーマンショックもあった。

花火大会から始まり、令和元年を祝う花火で終わる。

2020年8月に映画が公開されたときには、
二人は結婚を決めていたのだろうか。

美瑛の丘・・・美しい。

大阪生まれの菅田将暉君。
その人間性が、とてもいい。
幸せな家庭を・・・と願わずにはいられない。

なんだか、ミーハーですみません。

ウィキペディアより*****
『糸』(いと)は、2020年8月21日に公開された
監督は瀬々敬久
主演は菅田将暉と小松菜奈

平成元年に生を受けた2人の男女が出逢いと別れを繰り返し、
平成の終わりに再び出逢うまでの18年間の軌跡を壮大な愛の物語として描く。
中島みゆきの曲「糸」を原案としている。
*********
脇役の人たちも、そうそうたるメンバーです。


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  映画「糸」  ネットの記事からお借りしました。
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