いつも喜び、 絶えず祈り、 すべてを感謝する。 そのような日々を過ごしたい。

2016/2/22

「ナミヤ雑貨店の奇跡」 東野圭吾  

図書館のベストリーダー(読んでいる人が多い本)10の中にあったので、
何気なく借りてみました。
実は有名な東野圭吾の作品、ドラマ化されているのを見たことはあるのですが、
本を読むのは初めてなのです。

第1章を読んで、これは短編集なのだろうか、、などと思った。
しかし、第2章、第3章と読みすすめていくうちに、面白くなり、
夜は本を読まないようにしているのですが、眼精疲労も忘れて、昨夜読み耽りました。
けれど、最後の章が半分くらい残ってしまったので、
今日、午後から図書館の西分室の近くで読みました。
実は、延滞していたのです。

児童養護施設とナミヤ雑貨店の関係が、最後の最後で明かされる。

「お主、なかなかやるな」と心のうちでつぶやきました。

友人が、「東野圭吾の作品は、読み終わったあと、じーんと心に残るのよね」
と言っていた言葉が、腑に落ちました。

早速、対面朗読で親しくなったKさんにメール。
「面白い本を見つけました・・・・」
「じゃあ、読んでみます」と返信あり。

詳しい内容は、書いてしまうとまだ読んでおられない方もおられると思うので控えますが、まことによくできた筋の運び。
読み進むほどに、そうだったのかと驚く。

まあ、超常現象ではありますが、さりげなくビートルズのレコードなども出てきて、
バブル景気とその崩壊という、私たちが経験したことも書かれていて、たいしたものだと敬服・感服いたしました。

最近読んだ本のなかで、あまりにも面白かったので、「祈りの幕が下りる時」も予約してしまいました。

いまごろ・・・とファンの方からは、非難の目を向けられそうですが、、、、
いまごろ出会いました。


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ナミヤ雑貨店の奇跡   表紙
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2016/2/17

「名こそ惜しけれ」   

NHKスペシャル 司馬遼太郎思索紀行 「この国のかたち」を見ました。

その中で、特に心に残った言葉は、「名こそ惜しけれ」。
これは名を汚すな、恥ずかしいことをするな。という意味です。
すがすがしい日本人の中で生きていることば。

明治時代、政治家は公(人々のため)を考え、清廉であった。
自己の利益を求めるのではなく、日本の国の益となることを求めた。
 これは、いまの政治家に聞かせたい言葉です。

けれど、その名を惜しむ=恥ずかしいことをしない。
という精神が、やがて神風特攻隊の精神につながっているようで、
私は複雑な気持ちになりました。

武士の精神・・・世界でもサムライという言葉には、敬意を払っている。
それが坂東武士、すなわち小田原の北条早雲から北条氏が勢力を広げていったことにつながる。
そしてこの武士は、元々は地侍。日頃は農耕をしながら、いざのときには戦う人たちだった。
甲斐の武田、四国の長宗我部、、、北条氏にならって家訓を作り
領国や地域のために尽くすという、公の意識がでてきた。

『峠』のあとがきに
(武士について)その結晶のみごとさにおいて、人間の芸術品とまでいえるように思える。
と書いている。
高岡藩家老河井継之助の生涯は、とても衝撃的で心に深く残りました。
戊辰戦争のときのことでした。

けれど、日露戦争のあと、日本は変質していく。
国家的妄動という。
いわゆる統帥権という軍の最高指導権を、軍部が勝手に掌握した。
司馬さんは「こんなばかな時代」と表現している。

公の意識が、個を出さないほうがいい、黙っていたほうがいい、
社会全体がそんな雰囲気になってしまった。

戦後民主主義は、確立されていないと司馬さんはみる。
これから「新たない時代に向け、日本人一人一人が、新たな個を作り上げていかなければ、
ふたたび国が亡ぶ。
人々のここの強い精神が必要なのです。」と司馬さんは言う。

「武士道を土台にしてその義務(公の意識)を育てたつもりでいたが、それは不十分であった。
公の意識をもっと強く持ち直して、さらに豊かな倫理に仕上げ、世界に対する日本人の姿勢を新しいあり方の基本にすべきではないか。」
と司馬さんは言う。

いまの日本の状態を司馬さんがみたら、なんとおっしゃるか。

憲法九条を変えようとする強い動きが出てきて、それを押しとどめようとする声が上がっている。
けれど時の流れ・歴史には、変えられない運命のようなものが働くときがある。

人々はそれを望んではいないのに、気がついたら、動きの取れない状況になっていた。

過去の歴史を振り返ると、その分岐点を知ることができる。

いまがその危険な分岐点であることを、指摘している人は多い。
けれど、それを止められない。

「この国のかたち」を思索しつづけた司馬遼太郎。
その声を、いまこそ真摯に聞くべきときだと思う。

私たちは、自分の国、日本を愛しているから。

戦争を知らない世代に生まれ、戦後70年という時に成長し成人した
幸運な私たちは、いまなにをすべきか。
ひとりひとりが考えなくてはいけない時がきた。、



*******追加

久しぶりに、藤城清治さんの影絵絵本『銀河鉄道の夜』と『聖書のおはなし』を読みました。

宮沢賢治の思いは
「世界がぜんたい 幸福に ならないうちは
 個人の幸福は あり得ない」
というものでした。
そしてジョバンニが「僕も 心をうつくしくもって、 みんなの幸せになるようなら
死んだってかまわない」といいい。
それを聞いたカンパネルラが、「みんなもそう思っているんだね。
人をたすけるために 死ぬのなら 幸せだって」という。

ザネリを助けて、自分は川に沈んで死んだカンパネルラ。

この物語が、ずっと人の心を打つのは、自分ではなく、みんなの幸せを思い 行動することの
気高さを 銀河の空をゆく鉄道の旅を描き 静かに語っているからでしょう。

それは聖書のおはなしと通じる。

名こそ惜しけれ・・・・に通じる。





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 藤城清治影絵絵本  銀河鉄道の夜 から


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  藤城清治影絵絵本 銀河鉄道の夜 表紙
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2016/2/11

曲直瀬道三 まなせどうさん  ひと

みなさま、曲直瀬道三という人物をご存知ですか。
私は全く知りませんでした。
録画していた「歴史秘話ヒストリア」で見ました。
戦国時代から安土桃山時代の医師。医聖とも言われた人。

近江の人。生まれた翌日に、母が亡くなり、その同じ年に父親も戦で亡くなり
叔母さんに育てられ、京都の相国寺へ預けられて出家する。
本名は堀部という。

その後、関東の足利学校で学ぶ。
名医、田代三喜齋と出会い、医学を志す。
田代を父のように慕ったそうです。

詳しい経歴は省略しますが、私が一番心に残ったことは、
一番弟子の僧侶全宗が、やがて秀吉に気に入られて、道三の元を去る。

その後、道三は、豊後国府内で宣教師オルガンティノの病気を診察し、彼と親しくなる。
慈愛を解き、戦いを好まないキリスト教の教えにひかれ、キリシタンとなる。
やがて秀吉がキリシタン禁制令を出したとき、道三の弟子は、追放を宣教師だけにして、
一般の信徒はそのままにした。それはもちろん、道三がキリシタンになっていることを知っての処置だったとか。

毛利元就、細川、信長、秀吉など多くの戦国大名の治療もしたけれど、
戦をすることには反対で、少しでも人々の命を助けたいという思いがあった。

漢方の薬草の調合、鍼灸を使う、、その人の症状に応じての治療方法は、
師の田代三喜齋から学んだもの。

今まで知らなかった医師ですが、残した医学書は、いまも役立っているとか。
戦のない世の中を求め、名誉欲はなく、ただひたすら医術に徹した人。

僧侶から後年キリシタンになった医師ー曲直瀬道三、覚えていたい人です。



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曲直瀬道三  まなせ どうさん
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2016/2/7

野村萬斎 「おやじの背中」  ひと

テレビエッセー「おやじの背中」という番組をしていたので、録画しました。
狂言師 野村万蔵、万作、萬斎、そして裕基へ。

歌舞伎もそうですが、狂言も、その家に生まれた宿命で、物心のついた3歳くらいから
厳しい稽古が始まる。
萬斎は、祖父万蔵のことを加藤周一がローレンス・オリビエに匹敵するような役者であると書いているのを読んだ、17歳の時に開眼したという。
型を武器に自己表現すればいいのだと。
その著書『萬斎でござる』に
***「受け継がれたものに、現代人である自分が交信していくような手応えを感じるようになった」***と書いている。それは、「三番叟」を演じるように父親に言われたころだという。

萬斎の父、万作の「釣狐」も高度な技を必要とする演目らしい。

万作の父万蔵が、「せがれがライバルになった」という言葉を残して、その3ヶ月後に亡くなった。
その言葉を貴重な褒め言葉と思っていた万作は、83歳のいま、息子萬斎に対して、「負けるもんか」という言葉を褒め言葉として言いたいという。

2015年11月29日に、万作は58年ぶりに「楢山節考」を萬斎とともに演じた。
万作も、新しいことに挑戦し、日本各地を公演し、海外にまで狂言を広めた。
同じように、萬斎も「敦 名人伝」「敦 山月記」そして「陰陽師」など、狂言の枠を離れて挑戦している。

「芸には果てがない」と萬斎はいう。

そしてその息子裕基16歳は、祖父と父親の背中を見つめ、その高みを目指そうとしている。

反発し、それを乗り越えて、開眼、解脱していく。
厳しい稽古に耐えてこそ、達成感もあるのだろう。

私には及びもつかない芸の世界。
ただただ、すごいなあと感心するばかり。
極めるとは、こういうことなのだ。


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三番叟  野村万作

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三番叟 双之舞  野村萬斎  野村万作
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2016/2/2

日本画家 片岡球子  絵画

2015年は、片岡球子生誕110年で、東京や愛知で展覧会があったようです。
個性とは、、自分を偽らないこと。
上手を目指すのではなく、
人に評価されることを求めるのではなく、
下手と言われようと、ゲテモノと言われようと、
自分が描きたいものを、描きたいように描く。

ジョアン・ミロの絵をスペインで見て、大いに刺激を受けたことが
50枚のスケッチとメモで分かった。

女流日本画家というと、私は上村松園が好きでした。
美しい。

けれどここに力強く、魂の奥まで見極めようとした「面構え」を見て、
個性が個性を捉えた絵を知りました。

そこには綿密な資料調査、スケッチが残されていた。

「歌舞伎南蛮寺」の衣装・・・辻が花染の衣装を見に、京都まで足を運ぶ。
安土桃山時代を再現する。南蛮絵図、金屏風。

徹底して追求するその心意気。
心の中まで描こうとするその探究心。

見る者の心にその気迫が届く。

亡くなる103歳まで現役。
明治、大正、昭和、平成を生き抜いてきた女性画家 片岡球子に脱帽。

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歌舞伎南蛮寺

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面構え  足利尊氏

  録画していた「日曜美術館」でいろいろ教えていただきました。
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