いつも喜び、 絶えず祈り、 すべてを感謝する。 そのような日々を過ごしたい。

2015/5/26

しあわせな最期の日々  光り

あのようなしあわせな最期を送りたい。
そう思うT子さんの最期の日々。

5月24日(日)に、神戸教会でT子さんの告別式がありました。
控えめで人の悪口は言わない。
その人が、昨年の10月に癌だと分かったとき、
人々は、その人がいかにかけがえのない人であったか気がついた。

89歳という高齢なので、ご家族で話し合って、抗がん剤治療はしないことになった。
沖縄にいる娘さんは、要職にあるご主人を置いて、実家へ看護に来た。
なかなか出来ない選択である。
しかも娘さんは看護師。

「孫やたくさんの人が会いに駆けつけてくれる。
こんなしあわせなことはありません。」とT子さんは感謝の日々。
痛みは抑えられていたようですが、体調の悪い日もあった。

7か月自宅で夫と娘に見守られて闘病生活をされた。
娘を「おかあちゃま」と呼んで甘えておられたという。
いよいよ具合が悪くなり救急車で決めてあった神戸有野台のホスピスへ。
救急車に歩いて乗られて、救急隊員から「ご本人ですか」と聞かれたという。
救急車の中でも、隊員に「お名前はとか、結婚しているの」などと話されて
降りるときには、「楽しかったわ」と言われたとか。

ホスピスの主治医には、「先生、お待たせしました」と。

娘さんは、これから本当に看護の日々が始まると思われたそうですが、
10日ほどのホスピスでの入院生活も、お元気に過ごされ、
海外出張から帰ってきたTさんと奥さんがお見舞いに駆けつけたときには、
おしゃべりが出来てお元気そうだったとか。
しかし翌日面会謝絶に。
そして21日の朝、静かに息を引き取られたそうです。

癌の宣告を受けて、なお、このような穏やかで感謝の日々を過ごす・・・
これは私の憧れであります。

死期を悟ってなお平安であること。
それは信仰者に与えられたお恵み。

イエス・キリストが再臨なさるときに、再会できるという希望を持って
眠りにつかれたT子さん。

教会の人には、「私をおばあさんとは呼ばないで、おかあさんと呼んで」と言われていた。
神戸教会の人たちは、教会のおかあさんを亡くして、悲しみの涙を流しておられた。

目立たない、控えめだけれど、凛としている芯の強さ。
神様への信仰・信頼を、声高に言いうのではなく、
その静かな生活が、香り高くある。
崇高な生き方とは、そういうもの。

「あなたのこと、覚えていますよ」と声をかけてくださったことを思いだす。
夫を支え、3人の子供を育てたおかあさん。
普通の女性。
けれど、こんなにも強くその生きる姿勢が迫ってくる。

私もこのようなしあわせな最期の日々を過ごせたらと祈る。
人を非難しないで、笑顔で1日、1日を送ったら、
そういう最期が来ると信じて。


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白いつる薔薇
        写真/@Lapie fr
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2015/5/19

詩人 長田弘  

詩人 長田弘(おさだひろし)さんをご存じでしょうか。
この5月3日に75歳で亡くなりました。
天声人語でも追悼していたので、お読みになった方もあることでしょう。

私はずいぶん前に友人からこの詩人のことをお聞きしていました。
NHKの視点・論点で偶然お姿を見たこともありました。
しかし熱心に長田弘さんの詩を読んでいたわけではありません。

絵本で見た記憶もあり、なんとなく名前は知っていた。
その程度でした。
4月25日に長田弘全集が出たことに気が付いていたところ、訃報が。

早速検索してみると、
「詩ふたつ」というクリムトの絵と合わせた詩集があることに気が付きました。
図書館にも、たくさんの本が所蔵されていました。
早速4冊ほど予約。

『詩ふたつ』は、
「花を持って、会いにゆく」と「人生は森のなかの一日」
クリムトの花と樹が詩と調和して美しく、心がほぐされます。
2009年に亡くなった妻、瑞枝さんへの追悼詩。

***
 どこにもいない人に会いにゆく。
 きれいな水と、
 きれいな花を、手に持って。


 ことばって、なんだと思う?
 けっしてことばにできない思いが、
 ここにあると指すのが、ことばだ。

    「花を持って、会いにゆく」より
****
 やがて、とある日。
 黙って森を出てゆくもののように、
 わたしたちは逝くだろう。

 わたしたちが死んで、
 わたしたちの森の木が
 天を突くほど、大きくなったら、
 大きくなった木の下で会おう。
 わたしは新鮮な苺をもってゆく。
 きみは悲しみをもたずにきてくれ。

 そのとき、ふりかえって
 人生は森のなかの一日のようだったと
 言えたら、わたしはうれしい。

    「人生は森のなかの一日」より
*****
一部抜粋させていただきました。

瑞枝さんが亡くなって1年後に出版された詩。
6年後に長田弘さんも亡くなって、
きっとふたりは新鮮な苺を前に、悲しみのないところで
語り合っておられる。。。
そのように想像すると、涙が出そうになります。

きれいな水と、きれいな花をもって
わたしたちは、もうどこにもいなくなった人に
心の中で会って、お話をする。

奇しくも、昨年4月末に奥様をなくされた牧師のE先生が、
ちょうど1年後に妻を追悼する本を出版された。
病を得て17年間、ともに信仰を持って闘ってこられた日々の記録。
同じ病をもっている人への、励ましになればと日記をつけて準備してこられた本。
まだ途中までしか読んでいないのですが、
ふたりの男性が、妻を悼む思いを本になさったこと。

わたしの中で、いろんな思いがめぐります。


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  写真/@Lapie fr

らぴさん、クリムトの絵のようです。
いつも素敵なお写真をありがとうございます。
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2015/5/5

素敵な間違い  ひと

黄金の連休もあと1日になりました。
今日はこどもの日。端午の節句。

連休は、家に引きこもりの私のところへ、
お昼ごろ、携帯に電話がありました。

平塚(本人は湘南に住んでいる気分)の従兄の奥さんからのお電話でした。

従兄の妻「Rちゃん、いま三越にいる?」
私{どこの三越ですか?」
従兄の妻「日本橋よ」
私「(笑)、いま家にいますよ。てっきり関西へ遊びに来てくださったのかと思いました」
従兄の妻「いやー、貴女にそっくりな人を見かけたから、電話してみたの」
私「よほど、そっくりな人だったのですね。またこちらへいらしたら連絡してくださいね」
従兄の妻「主人に代わるわ」
従兄「やー、Rちゃん、元気?息子さんたちはもう大学卒業したのだっけ・・・・以下略」
私「もう二人とも社会人ですが、まだ二人とも家にいます」
従兄「元気な声が聞けて良かったよ。中略 またね」

ということで、久しぶりに従兄夫妻の元気な声を聞くことができました。

従兄は転勤で26歳のときに東京へ。
私は24歳の時に勉強のために千葉へ。
二人とも故郷を離れて、すいぶんになります。
なので、大人になってから会うことはありませんでした。

十年前ちょっとに、父が肺癌になって神戸の病院へ入院したときに、
従兄夫妻はお見舞いに来てくれました。
その時が、何十年ぶりかの再会でした。

それから従兄が関西で仕事があったときに、二人で家を訪ねてくれたり、
交流が始まりました。
今までは、年賀状だけのお付き合いでした。

けれど、従兄は「お互いに、死ぬまで付き合っていきましょうや」と言ってくれました。
4人兄弟の従兄とは違い、私はたった一人の弟も亡くなり、両親も弟もいなくなってしまいました。
もう故郷には家もなくなりました。
そんな私にこうして声をかけてくれる従兄姉の存在は、本当に嬉しいです。
この従兄は父方の従兄ですが、
母方の母の従妹たちも、私のことを気にかけていてくれます。

親戚、、、血の繋がり、全然意識していなかったのですが、
父母の病気、お葬式、弟のお葬式、、、
従兄たちがたくさん来てくれました。

このような絆を与えてくださった、神様に感謝しています。




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紫の小さい花     写真/@Lapie fr


春はいっぱいお花が咲いて、うれしいですね。
らぴさん、いつも素敵なお写真をありがとうございます。
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2015/5/1

ネパール大地震  いのち

ネパールでの大地震は、テレビで見る映像からも、かなり悲惨な状態である事が分かる。
世界からたくさんの救援隊がかけつけてくださっている姿には、
本当に頭が下がります。

そこに困っている人がいるとき、
見過ごしにしないで助の手を差し伸べる力のある人たち。
私は、気持ちはあるのですが、体がついていきません。(老齢?)

教会の本部からも救援募金の要請がきた。

山地のほうでは、救援物資がなかなか届かないという。

災害の警告は出ていても、
災害がいつ起こるかを予測することはできない。

日本の自衛隊の活躍も頼もしいです。
どうか、自衛隊が平和のうちにあって被災者を助ける任務にいそしんでほしいと、
切に祈り求めます。

武器をとるのではなく、鋤や鍬をとるように・・・
という言葉が聖書にあります。

それは真に平和を求める願いからの言葉です。

持っている力を、何に使うか、ということは
とても重要なことだと、最近痛切に思います。

地球規模で、、という言葉は、
救護活動の範囲に使ってほしい。

ネパールとその周辺の国々の被災された方々の上に、
一日も早く、日常が戻りますように
心からお祈りしています。
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