いつも喜び、 絶えず祈り、 すべてを感謝する。 そのような日々を過ごしたい。

2013/8/26

「俳句と絵本」 朗読と鼎談  言葉

8月25日日曜日 14:00〜17:00 伊丹市立図書館「ことば蔵」多目的室
「俳句と絵本」 朗読と鼎談に行ってきました。

鼎談
絵本作家 田島征彦
柿衛文庫也雲軒塾頭 坪内稔典
安曇野ちひろ美術館元館長 松本猛

朗読
田島征彦
朗読サークル「ひだまりの会」北村妙子

田島さんの『地獄のそうべい』はとても子供たちに人気のある絵本です。
それを作者自身の朗読でお聞きすることが出来たのは、思いがけない喜びでした。
それは予定にはなかったことで、隣に座っていた松本猛さんがマイクを持ってあげていました。

そのような気さくな雰囲気の中で始まった鼎談。
3人とも少しの気負いもなく、自然体。

たくさんのことを教えていただき、何を書こうかと迷うほどです。

一番は、三人が共通して語られた、「人智を超えた力に、支えられている」という言葉。
型染めで絵本を作られる田島さんの最初の絵本は『祇園祭り』。
そこにもー自分の思いをはるかにこえた世界、作る人の力を越えた何かーが出てくるという。

陶芸で窯から出した時、予測をはるかに超えた作品が出てくるのと同じように、
絵本と物語の「せめぎ合いの面白さ」ということを松本さんは語られた。

何度も書いていると自然に動き出してくるものがある。

「俳句も、ふっと湧いて出てくるもの。作者も意味が分からないようなものでも、その音律が聞く人の心に響いて共感を得る」
「そこに至るまでの努力はあるのだが」と坪内さんも語られる。

   三月の 甘納豆の うふふふふ
   たんぽぽの ぽぽのあたりが 火事ですよ

これなどは子供もとても喜んで、聞いたら覚えて口ずさむという。


「あなたは芸術家ですか」という坪内さんの問いに田島さんは、
「自分は、芸術家であるとかを通り過ぎている。あるがまま」
「芸術とは、それを見る人に勇気と元気を与えるものではなか」と語られた。


「言葉は道具だけど、どう伝わっていくかが大事。」
「伝わったものが、広がる」

「東洋の絵の余白、たとえば雪舟の水墨画の軸、茫洋と広がっている。
その余白の向こうには何があるか」という松本さんの言葉に
坪内さんは「余白は読者が引き受けてくれるもの」と言う。

絵と言葉を考えると、俳画はまさにそれが融合されている。
蕪村の「岩倉の狂女恋せよほととぎす」という句には、
右上にほととぎす、左下に紫陽花の花がある。
そのずれることで大きく広がる世界を描いていると松本さん。


鼎談、しかもこのように自由に自然に広がっていく会話の妙、、、、
何とか、俳句と絵本を結び付けなければ、、という気遣いの松本さんには、
『ちひろと一茶』という著書があることを知った。
黒姫に制作をするための別荘を建てたのは、一茶の故郷に住みたかったからと、母ちひろは語った。
そのような息子さんならではの言葉が、ぽろぽろとこぼれる。



田島さんは、俳句とは縁がないように見えて、実は来春、京都で
「染めと俳句」という展覧会に出品なさるという。
「今日は大変勉強になりました」と笑う。
主催者が来ていらして宣伝をなさった。京都に西陣の染物の会館があるそうです。
また会場に来ていらした田島さんの奥様は俳句をなさるそうで、一番最初に作ったという句を披露された。


何が起こるか分からないことを楽しむ句会を「取り合わせ」といいます、と坪内さんが最初におっしゃいましたが
今日はその通りに、自由自在に流れる会話。とても面白かったです。

三人が旧知の間柄だというのも、和気藹々の雰囲気が出たのかもしれません。

松本さんから、八島太郎の名前が出たのには驚きました。友人である小林多喜二の死に顔をスケッチした人。
東山魁夷は敬遠していたのだけれど、八嶋太郎と魁夷と田中一村が同級生であることを知り、
この3人の人生を、今の時代と重ねて小説に書いてみたいとおっしゃっていました。
来春BSフジでそのための取材をした番組が放送されるようです。

最後に会場からの質問をどうぞ、という時間がありました。
一人の女性が「地獄のそうべい」の「人飲鬼」(じんどんき)は、どのようにして生まれたか・・・と問う。

田島さんは、桂米朝の「地獄八景亡者識」という落語を、テープにとって何度も何度もテープが擦り切れるくらいに聞いたそうです。聞いているうちに絵が現われてきた。
糞尿地獄は、まさに丹波で自給自足をしているとき、そこにいましたから・・・とか。

4年も構想を練っているという、絵本の製作途中の小さいノート(カレンダーを張り合わせたもの)を鞄から取り出して見せてくださった。
自由人の魅力がいっぱい。


右側の前から3番目の端っこに座っていた私は、出演者の人たちの真後ろに座ることになりました。
お昼を食べていないという坪内さんが、クリームパンを休憩に入ったときかじっているのを、目の前で見ました。

終わって、私のすぐ横を通ってお帰りになる坪内さんに「いい企画をありがとうございました」と声をかけてしまいました。
松本さんには、「横顔を拝見していると、ちひろの絵本を見ているようでした」と感想を言ってしまいました。
「モデルだったからね」と坪内さんも笑う。
「安曇野にも行きました」というと松本さんは嬉しそうでした。


定員120名の小さな多目的室での鼎談は、とても素敵な時を過ごさせていただきました。

北村さんの朗読は漱石の「夢十夜」の「第一夜」でした。
一所懸命心を込めて朗読してくださいましたが、
ちょっと間の取り方が短くて、こちらが情景を描くことが難しかったです。
朗読も極めようとすると、奥が深いです。


田島さんは、「みみずのかんたろう」を自分で作ったスライドを持参してくださって
朗読してくださいました。73歳、淡路在住、お元気でした。


伊丹市立図書館「ことば蔵」が協賛して、「船団俳句フォーラム」第1回として開催してくださったこの企画、本当にありがたく感謝しています。
伊丹にあって、このような方々のお声をじかに聞くことができてうれしかったです。


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「じごくのそうべえ」(童心社絵本) 田島征彦
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2013/8/19

ちいさな奇跡  ひと

8月17日(土)午後から神戸有野台教会で
青年会主催の「讃美フェスタ」がありました。
今年は西宮教会からは出場しませんが、みんなで聞きに行きました。
私は先発隊で、W君を連れて2時過ぎに有野台へ到着。
W君はOBハンドベルの予行演習。
私はメールで連絡していた友達ダブルK子さんたちと、会堂の隅でおしゃべり。。。

だんだん人が集まってきました。
東京から、広島から、和歌山から、神戸から、、続々と。

その中に、まだ独身だったころ一緒に京都にいた戦友がいたではありませんか。
ずっと年賀状だけのやりとりで、会えなかったF子さんです。
「お元気そうね・・・・」とあれこれ話しているうちに、京都から琵琶湖集会所へ通っていて、
大変お世話になったMご夫妻に会いたいね・・ということになりました。
Mご夫妻は、今は米子へ転居なさっています。
何年か前に、T子姉妹と一緒に泊りに伺ったことがありました。
しかしF子さんと私にとっては、ある意味で信仰の原点ともなった琵琶湖集会所。
そこでまるで親戚のおじさんおばさんのように、親身になっていろいろ心配してくださったMご夫妻。
F子さんと一緒に米子へ行けたら、どんなにいいかと思いました。
「いつにする?」と話は進み、明日(8/19)の日曜日しかない。。と決定。
F子さんは実家の堺市に泊っているので自由。
私は突然のことなので、すぐに夫に電話をして、了解をもらいました。
そして米子のM家へ電話。
息子さん家族は大山登山を計画しておられて、その日は留守。
でもご夫妻はいらっしゃるとのこと。
85歳と82歳のお二人。おばさんはご病気でかなり弱っておられる。
今しかない・・・と思いました。

F子さんは堺市から車で自宅へ迎えに来てくださるというありがたいお申し出。
相変わらず、バンバン飛ばして米子へ。。

皆生温泉のリゾートマンションから引っ越されて、
運営しておられる新築した「エンゼル園」の隣に、二世帯住宅を新築されていました。

リビングにはグランドピアノが置いてあり、2階へ吹き抜けの高い窓には何と、虹のステンドグラスが!!

おじさんはますます優しく労わって、常におばさんを気遣っておられる。
麗しい夫婦愛。。。

歳を重ねた私たち二人を見て、「あなたたちは、美しく歳をとったね。二人とも目が綺麗だ」と過分なおほめのお言葉。
(ただ自分ではまだまだとても・・・で、これは励みなさい、との天の言葉だったのだと思います)

私はおばさんのように穏やかで優しく白髪で美しく老いたい・・・と願っています。

信仰の友や先輩はたくさんいるけれど、
「おじさん」「おばさん」と呼べる人は、このMご夫妻だけ。

信仰の道筋を、若い日に教えていただいたことを、いま更に確認し、感謝しています。

お昼をおいしいお蕎麦屋さんでいただきながら、
私はこの日を生涯忘れることはないだろう・・・と思いました。
胸に刻まれた、とても美しいレリーフ。

玄関にあった「シャガールの絵」。
明るくきれいな「エンゼル園」
「虹のステンドグラス」
一緒に撮った「記念写真」

神様はときどき、こうした小さな奇跡をくださる。

F子さん、運転ありがとうございます。
いつもと変わらず歓迎してくださったMおじさん、Mおばさん、ありがとうございます。

私の人生で、琵琶湖集会所での日々は、キラキラ輝く星のようです。
迷わないように導いてくれる星のようです。
いただいた浮見堂の版画に書かれた「絶えず祈りなさい」の言葉を、私は実行しています。

この夏の一番の思い出を胸に刻みました。






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「星のひかりのように」

northland-art-studioさんからお借りしました。
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2013/8/11

癒しの休日  音楽

8/11日曜日は、癒しの休日でした。

午後からチェロアンサンブルのコンサートがあることを教えてくださったのは、
朗読の仲間で音楽の好きなUさん。
入場無料なので、行くかどうかは当日決定できる。
余りにも暑いので、バスで行くのはきついからやめようか、、、と思っていたら、
車を使えることになり、やっぱり行こうと思いました。家にいても暑いだけだし。。

というわけで1時30分開場の15分くらい前にアイホニックホールへ到着。
5,6人が並んでいましたが、どの席でも構わないと思って並ばないで、玄関ホールにある椅子の1つだけ空いていたところへ坐りました。

すると右隣の白い着物を着た婦人が私に声を掛けてこられました。
「あなた、足が痛いのでしょう」といいながら、自分の鞄をごそごそ、、、
そして何やら絵の描いてある紙を出して、「ここを押さえるといい」と言いながら、
私の手の全部の指の第二関節を、爪を立ててぎゅーぎゅー押し始めました。
私は、「痛い、痛い」と小さな悲鳴をあげましたが、一向に構わず足の太もももきつく押してくれます。痛くて、くすぐったい。
「背中もするといいのよ、何か棒のような物持っていない?」
「持っていません」と私。
するとまた婦人は自分の鞄をごそごそして、ボールペンを取り出し、「あっちの壁のところへ行きましょう」と言う。
私は困って、左隣の別の婦人と顔を見合わせる。
しかし強引に手を引かれて、壁際に立たされて、白い和服の婦人に背中をきつく押される。
もう痛くて、痛くて、まるで折檻されているようでした。
わたしが痛い、痛いと言っても構わずにぐいぐいボールペンで押してくる。

頭の先から、首、背中、足の先まで、婦人はここも、あそこも、と思いっきり押してくださる。
「さあ、歩いてごらんなさい、すっきりしたでしょう。」と言う。
私は向こうの壁まで歩いてみて「何だか軽くなったような気がします」と言う。
私は素直に従ったというか、婦人の勢いに飲まれてしまっていました。

「あなた、目も悪いでしょう。目はすべてを取り込んで”光合成”させるから、大事なのよ」と言ってまた、頭や首、リンパの辺りをぎゅーぎゅーと押す。
「もう会うこともないでしょうから、この通りに自分でもしてください」と、2枚の手書きの図を書いた紙をくださる。

「これは何と言うものですか、指圧ですか?」と聞いても答えてくれない。

確かに全身をギューギューと押していただいたので、血の巡りがよくなったような気がしました。
そうこうしているうちに、開場されて、みんながプログラムをもらって、ぞろぞろと階段を上り始めました。

ほとんどが、出演者の家族や友人知人たちのようでした。
私は1階の後ろ席より、2階の袖のほうがいいと思いエレベーターで3階へ。

そこには父と娘の親子と、一人のおじいさんと私の4人だけでした。

チェロの定期演奏会といっても、まだ2回目。
要するにチェロの愛好家たちが集って発表会をする、、というようなものでした。
30人ぐらいいて、7,8人は男性、あとは女性。しかし年齢はばらばらで、白髪の人、髪の毛の薄くなった人もいれば、若い人もいました。

30人が音を合わせるのが、いかに難しいかを思いました。

弦楽器ではチェロが一番好きです。
チェロの独奏や、オーケストラとの協奏曲は聞いたことがありますが、
このような大人数のチェロは初めてでした。
ゆるやかな弦の動きが気持ちよく、快適な気温、周りにほとんど人がいない、、という状況で、私はうつらうつらしながら聞いていました。
大好きな音色のチェロですが、今から習おうとは思いません。
でもちょっとだけ触ってみたいな、と思いました。

最後は、若いソプラノの女性との共演でした。
「ヴィラロボス作曲のブラジル風バッハ第5楽章よりアリア」。
よく聞く曲ですが、タイミングを合わせるのが難しそうでした。

日曜日の午後のひととき、生演奏を聞きながら眠るという贅沢な2時間、
まさに癒しの休日でした。
しかも指圧のサービス付き。

あの真っ白な和服を着た婦人は、癒しの天使だったのかもしれない・・・
そんな気がしました。



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西宮市 北山植物園
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2013/8/8

二十四の瞳  いのち

壺井栄の「二十四の瞳」を最近テレビドラマでやっていました。
取りあえず録画しておこう、と思って録画しました。
面白くなければ消去すればいい・・と思って。

けれど、録画したものを見始めたら、最後まで泣きながら見ることになりました。

古い映画を見たことはあります。
中学の時だったか「二十四の瞳」を読みました。
とても感動し、大人になってから小豆島へ旅をしてあの「校舎」も見ました。

今回の新しい「二十四の瞳」は新鮮でした。
もちろん大筋の内容は同じです。古い映画の場面を思いだして比べながら見ました。

壺井栄が、共産党員であったことは、本を読んだときには知りませんでした。
教師と生徒の絆の深さに打たれたことを思い出します。
しかし古い映画を見たときに、いかに反戦思想に貫かれて書かれていたかということに驚きました。
今回のドラマも、きちんと反戦を訴えています。

あの時代に、「生きて帰ってきて」という事はたやすいことではありませんでした。
「忠君愛国」の名のもとに、自然な人間の感情を現わしてはいけなかった。
ドラマでは「非国民」という言葉は出てこなかったと思いますが、
何でも「非国民である」という言葉で裁かれていた時代。

戦争が終わって、民主主義の教育を受けてきた私にとって、
自分の考えを言うことは、当然であり、自由でした。
もちろん人を傷つけるような乱暴な言葉を吐くということではありません。
人それぞれの考え方があり、それを言い、それを聞く。
学級会での話し合い、道徳の時間に意見を言う、、、それは当たり前のことでした。

話し合うことでよりよい意見が生まれることがあります。
自分が気が付かなかった考え方に教えられることもあります。

自分のためではなく、みんなのために一番よい方法を探す。
そういう教育を受けてきたように思います。

人を大切にする憲法が、いま揺らぎ始めていることを思い、
「二十四の瞳」を見ながら、人に惑わされない生き方をしたいと願いました。

壺井栄・壺井繁治・中野重治・佐多稲子・小林多喜二・小熊秀雄たちの生きていた時代を思います。
間違っていたと反省した道へ、逆戻りすることのないように。
日本だけではなく、世界が平和であることを希求します。


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残暑お見舞い申し上げます。

立秋を過ぎてもなお暑いので、涼しくなっていただけたらと
北海道の雪山の写真をお送りいたします。


northland-art-studioさんからお借りしました。
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2013/8/5

映画 「風立ちぬ」  

「風立ちぬ」という映画は、気になっていました。
リハビリの女先生と友人が見て、良かったという。
堀辰雄の小説「風立ちぬ」を意識して作られている。
零戦の設計をした人。
それやこれやで、今日、意を決して見に行きました。

東宝シネマズ伊丹へ着くと、たくさんの子供連れでごったがえしていました。
月曜日なのに・・さすが夏休み。
ローンレンジャーとポケモンを見に来ているのかもしれません。

「風立ちぬ」は、それでも座席の半分弱は埋まっていました。
私の横には、小学1年生くらいの男の子と、その姉たちは小学2、3年生くらい。
この子たち、分かるのかな、あとで面白かったか聞いてみたいな、と思いました。
左の隣には、60代くらいの夫婦。子供たちも、その夫婦も、大きなバスケットのポップコーンとコーラを横に置いていました。

見終わって、私は心が痛くなりました。
荒井由美の「飛行機雲」の歌詞を聞きながら、涙が出ました。

時は、大正12年の関東大震災に始まり、第二次大戦に敗れたところまで。
優秀な飛行機の設計者である堀越二郎の、ひたむきな姿。
美しい飛行機を作るという夢を形にした。
いかに早く飛ぶかを追求していく科学者でもある。

二郎の夢は形になった。
しかし最後にカプローニが言うように「国を滅ぼしてしまうことになった」
「一機も帰ってこなかった」

純粋に夢を追求するのは美しい。
けれど結果としてそれは戦争に使われた。

虹が架かる、螢が飛ぶ、空の雲と夕焼け、木々の緑、、、
美しい自然が描かれている。
わずかに最後に戦闘機の残骸が描かれていたのが心に残る。

詩情あふれる作品だと思う。
私はとてもいいと思う。

けれど、隣の少年は、「分からん、、、」を連発。
隣の60代の男性は半分くらいいびきをかいて寝ていた。

たとえそういう人がいても、この作品が描かれたことには意味があると思う。

薄幸の菜穂子が最後に黄色い服を着て現われて言う「あなたは生きて」と。

3.11があり、不況があり、軍靴の音が大きくなってきたいま、
真実に生きるとはどういうことか、
考えなければいけない。

そういう声が聞こえてきました。

世の状況が現在の日本とあまりにも似ていることに不安を覚えます。


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夏の雲


追記
良寛の書「天上大風」が2回も出てきたのも興味深いと思いました。
風が立ち、飛行機は飛ぶ、、、
最後の夕焼けの場面は、ずーっと見ていたいと思いました。

私の書道の雅号は「れいせん」です。
最初は「麗泉」でしたが、「玲泉」のほうが書きやすいからと変えました。
亡き弟は、「れいせん」と聞いて、「零戦か」と嬉しそうに笑いました。
弟の夢はパイロットになることだったからです。
このごろ筆を持つことがなくなりましたが、
時々墨の香りが恋しくなり、筆を持ちたくなります。
今度はまた「麗泉」に雅号を戻そうかと思うこのごろです。
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