いつも喜び、 絶えず祈り、 すべてを感謝する。 そのような日々を過ごしたい。

2013/3/26

「アイスマン」  ひと

NHkで20年前に発見された「アイスマン」のことを放送していました。
見るつもりはなかったのですが、なんだか面白そうだったので引き込まれました。

アルプスで発見された「冷凍ミイラ=アイスマン」
このたび冷凍庫から出して解凍し、分析研究するチームが結成され、149個のサンプルをその体から採取。

それぞれの専門家が、調査研究して分かったこと。

5000年前の遺体が告発する殺人事件。

いろんな驚きがありました。
一番びっくりしたのは、アイスマンの体につけられた小さい「しるし」。
それは体のあちこちにありました。
それを見たイギリス?の鍼灸師は、一目見てひっくり返りそうになったという。
なんと、すべて鍼のツボの位置と合致する。

レントゲンで見ると、どうも腰痛持ちだったようで、そのための治療の鍼の位置をしるしたものだと分かった。
鍼灸治療といえば、東洋医学、と思っていましたが、中国でその体系がまとめられたのは2000年ほど前。ということはそれ以前にすでにアルプスの麓に生活する人は知っていた。

胃の中の物を取り出してみると、なんとその食生活はかなり贅沢なもので、
パンも食べていたし、ハーブで調理した肉や野菜があったという。
これはエジプトの「ひからびたミイラか」らは絶対採取できないもの。貴重な食生活の記録。パンが最初に作られたという記録も塗り替えられるという。
また胃に残っていた高山植物から、52時間で山の上から平地そして山頂へと移動していたことが分かるという。誰かに追われていたのか。。


古代人が原始的であるとか、野蛮であるという見解は、見直さなければならない。
我々が思っている以上の高度な文化があったことは、アイスマンの持ち物からも分かるという。鉄の精錬技術もその最初の年代はかなりさかのぼることになる。
防寒靴は皮でできていて、保温のための干し草も入れてある。
インカ文明やマヤ文明も、かなり高度な天文学が発達していたことは、今や常識。

脳の細胞も検出し、レントゲンでも調査したところ、右目の横、耳の上を強打されていて、脳出血による死亡が確認された。
また、右肩後ろあたりに矢で射られた痕跡(矢尻)もあったという。
何者かに殺害されたことが明白である。
しかも犯人は証拠隠滅のため、矢を抜いて行った。そのため左手が不自然に曲がってうつぶせになって亡くなっていたようだ。
矢には、持ち主のしるしが付けられていて、狩りをしたとき誰の獲物かわかるようになっていたと、古代狩猟の研究家は言う。


監察医は、「死体は語る」といいますが、5000年前のアイスマンは、これまで知られていなかった多くの情報を我々に伝えてくれました。

それにしても、よく5000年たって出てきたものです。
アルプスの通常の登山ルートから少し離れたところを登ってきたドイツ人の夫婦に発見されたという。例年より気温が高く、頭と肩が雪から出ていた。。。

よもや自分の裸体が、テレビを通して5000年後の人々の目にさらされるとは、アイスマンは思ってもいなかったことでしょう。
科学の進歩で、こうして解析することができるようになった現代の文明も素晴らしいと思います。

しかし神秘はますます限りがないことも知りました。
私たちが今、そうである、と思っている考古学的な知識、人類の歴史は、果たして本当にそうなのか。
別の新しい事実が出てくるかもしれない。
別の側面から見ると違って見えるかもしれない。

「驕れる白人と闘うための日本近代史」を読み、
ますますその感を強くしています。


アイスマンは饒舌に語り始めました。。。。。


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これは北海道の山々ですが、ここにも何かが潜んでいるかもしれません。
語りたい遺体もあるかもしれません。
自然の前に人間はなんと小さいものでしょう。。

northland-art-studioさんからお借りしました。
いつもありがとうございます。
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2013/3/22

『驕れる白人と闘うための日本近代史』  

この本も、いちわのすずめさんからご紹介いただいたのですが、
昨日届いて、興味深く面白いので、みなさんに本の裏表紙の言葉をまずお伝えします。

白人の前で卑屈になりがちな日本人。
しかし日本の歴史、とく鎖国の平和な260年・江戸末期から明治維新。
この原動力は、勤勉な日本人の特質。自信を持って誇れることだと背中を押される気持ちです。痛快です。

あえて、ドイツで、ドイツ語で出版した意味もよく分かります。
ドイツでは大議論を醸したようです。
2005年6月に日本で翻訳が発行され、2008年6月には文春文庫として出版。

『驕れる白人と闘うための日本近代史』
 ドイツ語原著 松原久子   翻訳 田中敏  (文春文庫)

裏表紙より引用
*****
「我々の歴史こそ世界史であり、あらゆる民族は我々の文明の思想に欲くすることで後進性から救われてきた」
ーそんな欧米人の歴史観・世界観に対し、日本近代史に新たな角度から光を当てることで真っ向から闘いを挑む。
刊行当時、ドイツで大きな物議を醸した本書は、
同時に、自信を失った日本人への痛烈な叱咤にもなっている。
******

だれかが、日本の近代史、現代史は、中学高校の教科書で習うとき、時間がなくなり、詳しい学びをしていないことが多い。
と言っていた。

確かに、私も自分で本を読んで知ったことがたくさんある。
学校では詳しくは教わらなかった。
敗戦国(これも終戦という言葉でした)として6年間占領されていたこと。
親切な国だと思っていたアメリカが、実は日本の主要な都市を絨毯爆撃して、何十万という民間人を殺害したこと。
早く戦争を終わらせるためと、出来たばかりの原子爆弾の実験を、日本の広島と長崎で行ったこと。
沖縄は、極東のアメリカ軍の基地として今もあること。

わたしはまだ途中までしか読んでいませんが、
みなさんも、お時間がありましたら
是非手に取って読んでください。

誇りと勇気をもらうことと思います。

この本をご紹介くださって、本当にありがとうございました。
敗者の歴史。
「敗北を抱きしめて」は積読状態ですけれど、読まなくてはと思いました。


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チエーホフの夕陽   詩人への旅

サハリン(樺太)の歴史も悲惨でした。

northland-art-studioさんからお借りしました。
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2013/3/18

「とんび」 重松清  心象風景

ドラマ「とんび」を見ていました。
昨日最終回。予告編では、いかにもヤスが死にそうな気配を見せて、見事に裏切られました。
第1回目から、毎回、涙が出ましたが、最終回もいろいろ親として考えさせられることがありました。
忘れてはいけないと思うので、ここに書いておきます。

海雲和尚がヤス(主人公・市川安男=内野聖陽)に言った言葉に、
「お前は雪をとかす海になれ」というのがありました。
暗い夜の海辺で、ヤスの背中をさすりながら言ったのです。
雪が降っていて、その雪は海に吸い込まれていくように、降っていました。

人は寂しさがたまってくると、その冷たさで体も心も堅くなる。
それを融かすのが、海だ。
その海のようになれと和尚は言った。

最終回では、父親になった旭が、「お父さんは海のようだったよ、僕は少しも寒くはなかった、温かだったから」というようなことを言います。
その言葉は一番の親孝行。
ヤスは嗚咽をもらします。

一所懸命、親になろうとしたヤス。
「親だから、東京で一緒には暮らさない」と、家を売って上京したものの、故郷へ帰ってきたヤスは言う。


親はどうあるべきなのだろう。
子を思う親心。それをどう表現したらいいのだろう。
とんびのようなタカ、タカのようなとんび。

人の情の温かさを、しみじみ感じました。



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稚内 出港

northland-art-studioさんからお借りしました。

ありがとうございます。
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2013/3/14

時実新子   川柳  文学

時実新子(ときざねしんこ)という川柳を作る女性をご存じでしょうか。
私は名前だけは知っていましたが、彼女の川柳を読んだことはありませんでした。
岡山に生まれ、結婚して姫路で暮らしたとかで、関西文化圏の人でした。

今、神戸文学館で「時実新子展」が開催されています。
私は神戸へ行く用があったので、その帰りに見てきました。
いつもと同じ小さいコーナーに略歴や、自筆原稿や、写真、出版された本、新聞などに載った記事などが、分かりやすく分類されて展示してありました。

いくつかの新子流川柳を見て、もっと彼女の歌を読んでみたくなりました。
早速、図書館に予約。今日、3冊借りてきました。

1冊は、『時実新子全句集 1955〜1998』とても分厚い本で、別冊の索引も付いていました。
『花の結び目 新子の表現十二章』時実新子著
『時実新子 モノ書く女への道』 玉岡かおる著


私は中学の頃、学校の宿題で、俳句を作ったことがありました。
母にその句を読んで聞かせたら、「それは俳句ではなくて、川柳だ」と言われました。
俳句や、短歌よりも、一段低いものとして川柳はとらえられていました。
私はそれ以来、自分は俳句や短歌は作れない、、、という暗示を受けてしまっていました。

今回、時実新子の川柳をいくつか見たとき、
すぱっと社会を斬る潔さ、一陣の風が吹いたような爽やかさを感じて、
自分に合うような気がしました。
しかし新子さんのような激しさは私にはないかもしれません。

時実新子の功績は、川柳の位置を高めた・・というようなことが
展示にもあったような気がします。
〈ふぁうすと川柳社〉という同人誌があることも、今回初めて知りました。

まだじっくり読んでいないので、
ここへ句を載せることはできませんが、
自分の目で見て表現する女性。
しかも言いえて妙。
なるほどと納得。
くすっと笑いたくなる。

新聞の川柳の選者として、華々しく活躍しておられることだけは知っていましたが、
この機会に、少し読んでみます。




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早春の青い川

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いつもありがとうございます。
春が待たれますね。
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2013/3/10

牧師夫人 新島八重  ひと

いちわのすずめさんからのご紹介で
「牧師夫人 新島八重」を読みました。

八重は、当時としては、あまりにも進歩的な考え方と行動力のゆえに、
なかなか受け入れられなかったところもあったことを知りました。
特に徳富蘆花は、恨みをもっていたようです。
八重の兄、山本覚馬の娘との恋を邪魔されたから。

同じ会津の山川咲子こと、後の大山捨松も「鹿鳴館の花」と言われていたけれど、
それだけに妬まれることも多かったようです。
徳富蘆花の「不如帰」は、悲恋で人々の涙を誘ったようですが、捨松がモデルだとされている意地悪な継母。。。ここにも八重への敵意が屈折して現れているとは。。

捨松と共にアメリカへ10年の国費留学をして、後の津田塾を作る津田梅子のことも出てきますが、
どうも、八重のことは私が知りたいと思っていた部分は、あまり深くは描かれていませんでした。

新島襄の理想としたキリスト教教育、同志社大学設立のことは、新島襄の生涯を調べないと分からないのかもしれません。
ただ、八重の兄、覚馬や、母さく、姪などもクリスチャンになったことは、とても驚きでした。

日本の人口の1%しかいないといわれるキリスト教信者。
明治にはどのように布教がなされていたのか、八重の生涯からはあまり見ることはできませんでした。八重の信仰の姿勢も、あまりはっきりは分かりませんでした。


いつの時代でも、その時代を超えた思想を持っている人は、
なかなか世の中から受け入れられることはできない。
とわかりました。


このところ、意見をされることが多く、反省することも多い私です。
人の悪口を言わない、と決心していたのですが、
なかなかそれを守ることもできず、、、
不徳のいたすところです。

こうありたい、と願っていても、
そうなることは、難しい。

八重は、こうなりたいと思うように生きた人かもしれません。
他人の批判を恐れず。

ドラマの「八重の桜」は、これからどのように展開していくのでしょう。


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菜の花の咲くころ  司馬遼太郎記念館


northland-art-studioさんからお借りしました。
いつもありがとうございます。
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