いつも喜び、 絶えず祈り、 すべてを感謝する。 そのような日々を過ごしたい。

2011/7/26

終わらざる夏  

浅田次郎の『終わらざる夏』を図書館で借りて読みました。
上巻を読んでから下巻まで3ヶ月近く待ちました。さすが人気作家。

占守島(シュシムトウ)の戦い。

千島列島の最北にある小さい島。
美しき島という意味があるこの島で、1945年8月18日。日本が無条件降伏をしたあとで、
ソ連が戦争を仕掛けてきた。北海道をも占領しようとして。


宮沢賢治の「星めぐりの歌」と「雨にも負けず」の詩が、何ども出てくる。

** 「銀河の詩人は、みずからや、みずからの子弟のためだけにではなく、未来の飢えた子供たちのために、すばらしい物語と詩を書いてくれた。」(上巻 P429)


アイヌ語の「カムイ・ウン・クレ」の意味は、「神、われらを造りたもう」

**「わしらは大いなる自然の中のほんのちっぽけな人間だが、
   おまえ(鯨)と同じ神の造りたもうたものなのだ、
   とおのれに言い聞かすのだ。」(上巻 P447)


そして作者は、下巻では、何ども、何人もの人に次のような言葉を繰り返えさせる。

**函館から挺身隊として来ていた女学生
  「降参した相手を殺すこと、辱めることに、何の理があると思われますか。
   真実を見極めることが正義なのだと、キクは言っていた。
   それが生き残った者の使命なのだと。」(下巻 P388)

**ソ連の軍人 A.M.オルローフ中尉の報告書
   「クルリ列島のごとくは、今から70年も前に、平和的外交条約によって
    日本の領土と定まったのです。
  ・・・その戦争は悲劇であるのみならず、ソヴィエト連邦の威信を傷つけ、
   大祖国戦争の勝利の栄光すらも貶(おとし)めしてしまうはずです。

   ふるさとを奪われてはならない。あのときわれわれは、スターリンも
   共産党もありはしなかった。
    ただひたすら母なる大地を守らんとする、正義という本能のある
   ばかりでした。
   こんな悪魔の戦争を、このさき一日たりとも続けてはなりません。」
     (下巻 P411,412)
  
ソ連は満洲でも、樺太でも、同じように不可侵条約を破って戦争を仕掛けてきた。
しかも占守島で戦った日本の兵士たちで生き残ったひとたちを、シベリアへ連れていって強制労働をさせた。長い人では11年も。
ソ連の兵士たちも、この戦いで多く亡くなった。その復讐なのだろうか。


日本も含め、あらゆる国の人間は、際限のない欲望に捕らわれてしまうとき、同じ人間を殺してしまうのだろう。

人類の歴史をみると、この地球のどこかで、いつも戦争をしている。
より強い武器を持ったものが、弱い者を征服していく。
そして今や、人間は自分たちが制御できない、原爆という武器をも手にしてしまった。

**「自分より弱いものを助けなさい。骨惜しみせず力を貸しなさい。けっして見捨ててはなりません。」(下巻 P2012)

作者のこの言葉が、胸にこたえます。

日常の生活で、私たちはどれほど、この言葉を実行しているだろう。
「我先に・・」という気持ちが、人を押しのけ、自分が一番偉いなどと、変な誤解、思いあがりをしている。

ソ連の兵士の見る夢が、疎開先から逃亡した現実の少女と少年を助ける場面が2回、とても幻想的に描かれている。それは神の使いだと子供たちは思う。

最近見た、雨月物語のおどろおどろしい幻想の場面が、あとで不快感を残すのは、それが助けるのではなく、死へ誘うものだからだと分かった。
有り得ないようなこと、幻想(ファンタジー)の世界も、それが善意であるとき、人はそれが幻想だと思っても、嬉しい気持ちになる。

そして時に、人生には現実にそのような、有り得ない不思議なことも起こる。
それは厳しい人生にある救いかもしれない。


争いの根っこは、自己愛にあるのだろう。
思いやる心、譲り合う心は、どこへ。。



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ライラック

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北海道 上富良野の農場で

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上富良野の農場


northland-art-studioさんからお借りしました。

占守島の大地にも 一面に草花が咲き、とても美しいところのようです。

**「全き自然のほかは何もないこの島で、殺し合いをするほど 人間は愚かではないと、合理的な理由をもたぬ真実がわたくしに結論をくだしました。」(下巻 P169)

かつて郡司成忠海軍大尉に率いられて来て、その後ここに定住した「仙人」と呼ばれる老人の言葉です。

戦場でも、草花は咲き、空は青く、白い雲が流れていく。
人間は愚かなのでしょうか。賢いのでしょうか。



こうして、歴英の事実を小説という形で描き残す。
文学の存在意義が、そこにもありますね。
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2011/7/19

ふかいことを おもしろく  ひと

井上ひさしさんの『ふかいことを おもしろく 創作の原点』を読みました。

これは2007年9月20日にNHKハイビジョンで放送された「100年インタビュー」の内容を、本にしたものです。

ある意味で、井上ひさしさんの遺言ともいえる。

1934年11月16日、山形県で生まれる。
お父さんは34歳の若さで亡くなった。
サンデー毎日の懸賞小説が一等になり、これから脚本家としてスタートできることになったとたん、脊椎カりエスになってしまった。
その父親の無念、悔しさを子供心にも感じ、父が目指した道を歩こう、ものを書く仕事をしたいと思っていたという。

****
「黄表紙集」(江戸後期の大人のための絵本)をたまたま手にして読んでいたら、僕はなんだか生きる力がわいてきたような気がしました。そのとき、まさにこれが文学の仕事だと思ったのです。」(P65)

「人は、放っておかれると、悲しんだり、寂しがったり、苦しんだりします。そこで腹を抱えて笑うなんていうのはない。それは外から与えられるものがあって はじめて笑いが生まれるからです。しかもそれは、送る側、受け取る側で共有しないと機能しないのです。」(P90)

「人間のできる最大の仕事は、人が行く悲しい運命を忘れさせるような、その瞬間だけでも抵抗できるような、いい笑いをみんなで作り合っていくことだと思います。」(P92)

「人はいつ死ぬかわからない。しかし明日命が終わるにしても、今日やることはある。
文学作品とは、生きる上での相当な導きのお師匠さんになるのではないでしょうか。」(P96)

「生半可な外来語を使わず、自分が使いこなせる言葉でものを考える。」(P102)

「横文字を無反省に使っていると、考えていること自体が非常にあいまいになってきます。・・使うのがいけないのではなく、そこには、必ず日本語に翻訳ができる頭を持っていなさい、と言いたいのです。」(P105)

「常に『あの戦争ってなんだったのか?いったい誰が得したのだろう?』ということを書き続けるしかないと思っています。」(115)
*******


などなど、共感する言葉がいっぱい詰まっていました。

1964年から放送された連続テレビ人形劇「ひょっこりひょうたん島」を見ていた世代の方は、今でもあの人形たちを思い浮かべることができるでしょう。
ドンガバチョという名前が忘れられません。温かいものが通奏低音のように流れていた番組。応援したくなるような島のみんな。


故郷の山形県川西町には、井上ひさしさんの蔵書が寄付され、「遅筆堂文庫」が出来ているそうです。
「読みたいと思っている子供たちのために、少しでも力添えになればと思ってつくったものです。」((P32)

父は地主の息子として生まれながら、農地開放運動に熱心で、劇団を作って啓蒙運動をしたり、みんなで劇場を作って、レコードを持ち寄ってコンサートをしたり、映画上映会をしたという。その血筋が受け継がれた。

母は楽天的で親分肌、その明るさを引き継いだ。


井上ひさしさんのことは、クリスチャンだったと知って、とても気になっていて、何冊か本も持っているのですが、まだしっかり読んでいません。
上智大学を選んだのも、靖国神社参拝を拒否していた大学だったからとか。

ロシア語通訳者で作家だった米原万里の妹さんが奥さんであることも、とても興味深いです。
どんな日常の会話をされていたのでしょう。。

「九条の会」の一員でもありました。
2010年4月9日、76歳を迎える前にお亡くなりになったのは、
残念でなりません。



哀悼の意を込めて、この花(フェリシア)を贈ります。

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「ぶどうの樹」さんからお借りしました。
ありがとうございます。


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小樽港   薄明  


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暁の港   小樽


northland-art-studioさんからお借りしました。


朝の港の光は、透明ですね。
船べりに当たる波の音が聞こえます。
いつも素敵なお写真をありがとうございます。

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2011/7/13

歴史のイエス  

キリスト教講座 2011年 春学期  担当:A.ルスターホルツ教授

「歴史のイエス」というテーマで、4回ありました。

今日は最終回、もう一人のイエスーヨハネによる福音書における言(ことば)

1.使徒信条
 キリスト教の信仰のまとめ
2.煉獄と辺獄(れんごくとへんごく)
 ただし、これは聖書には根拠がない
 カトリック教会で教えられている
3.新約聖書の成立は、2世紀後半
 多様なテクストから、正典として選択する基準
  1.使徒(イエスの弟子)に由来すること
  2.ある地方にとどまらず、教会全体で受け入れられていること
  3.正統信仰と矛盾するところがないこと

4.ヨハネによる黙示録のイエス
  1.世の終わり
  2.最後の審判

 ミケランジェロの「最後の審判」(1535ー14) システィナ礼拝堂
  この絵の詳しい説明

パワーポイントを使っての講義が増えました。
特に今日は、絵画の細部を拡大して見せてくださっての説明があり
興味深いものでした。

システィナ礼拝堂には、行ったことがありませんが、
人が最後に裁かれて、天に昇る者と、地下(陰府。冥府)に下る者に分けられる。という。

これはお寺にもある、地獄絵と似ています。

現代では、漫画という絵を用いて歴史を学ぶこともできる。
NHKの「さかのぼり日本史」も映像で理解を深めることができる。

この方法は、ずっと昔からあったことがわかる。たとえば絵巻物。
言葉の説明と、絵画による描写。

戦後、日本では国家神道・軍国主義の反省から、宗教を忌避する傾向がでてきた。
小学校でも、科学は万能で、科学で説明できなければ、真実ではない。
迷信と宗教をごちゃまぜにして馬鹿にする。
そう教えられてきた。

「嘘をついたら、地獄の閻魔さんに舌を抜かれる」とか、
「お天道様は、隠れてする悪さも見ておられる」など、
かつては、良いことと悪いことを、子供に教え戒める分かりやすい言葉が、親や祖父母からよく語られた。


聖書のヨハネの黙示録は、難解な書であるとされているが、
そこには、この世の終わりと、裁きが預言されている。

それから目を逸(そ)らせたい・・・人にはそういう気持ちが、無意識に働いているのかもしれない。

人に見つからなければ、なにをしてもいい・・・
などとうそぶく者がいる。

大いなるもの、神を畏れることを知らない傲慢な人間への警告に
静かに耳を傾けたい。 


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水芭蕉   北海道 旭川  春光台


northland-art-studioさんからお借りしました。

いつもありがとうございます。


こちら関西では、いまカサブランカという大輪の百合と、清楚な桔梗が咲いています。
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2011/7/5

「苦難の意味」  祈り

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東京バプテスト神学校
2011年度夏季公開講座のご案内

2011年8月15日(月)〜17日(水) ルーテル市ヶ谷センター

 苦難の意味 〜キリスト教の視点から〜

講師 山形謙二先生(神戸アドベンチスト病院長)


どなたでもご参加ください。部分参加、通信受講も可能です。

一般聴講[受講料・共益費]20,000円 [宿泊の方]+10,000円

 (3.11 東日本大震災)
 このような地震や津波は神の摂理の中にあるのか、それとも自然現象にすぎないのか。神の摂理の中にあるとしたら、その意味は何なのか。
そもそも人生になぜ苦難があるのか。神は私たちになぜ苦難をお与えになるのか。
そういう問題を共に考えるための講座です。
講師の山形謙二先生は著書『隠されたる神 〜苦難の意味』(キリスト教新聞社刊)の中で、その問題を追求されている方です。

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このようなチラシをいただきました。
  

6月20日のブログに書かせていただいた「最期まで寄り添う」という山形謙二医師(神戸アドベンチスト病院院長)のNHKラジオでの放送。
これは先生の著書『負わされた十字架』をNHKのディレクターが読んだのがきっかけだったようです。

若き日、安田講堂でYMCAの仲間と一緒に、デモを止めるようにと働きかけた東大生は、60代の今もなお、ホスピス内科医として、医事伝道者として、主の働きに熱い思いを抱いておられる。

主が共にいて、山形謙二先生を用いておられる。

秋の「文藝春秋 Special」で、「ガンと向き合う宗教病院」という特集が組まれ、
神戸アドベンチスト病院の取り組みも紹介される予定だそうです。


キリストの光を輝かす者として、キリストの愛に生かされている者として、
灯火(ともしび)をともしたい。

願いはきかれるのですね。





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小樽の灯火

northland-art-studioさんからお借りしました。


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神戸有野台教会 礼拝堂の十字架

ラターレインさんからお借りしました。
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2011/7/3

「私を離さないで」  

NHKETVでのカズオ・イシグロの番組を録画していて、この前やっと見ました。
イギリスでブッカー賞を得て、今や世界的に有名になった作家。
ほぼ同年代を生きていることもあり、村上春樹と似ている匂いがする。


「私を離さないで」がこちらでも上映されるので、その前に原作を読んでおこうと思いました。
ずっと前「日の名残り」の映画を友人に教えてもらって見てから、この日本人でイギリス育ちの作家にとても興味をもちました。
それで何冊かの本を買っていたのですが、この「私を離さないで」が初めて読むカズオ・イシグロの作品です。

推理小説ではないけれど、少しずつ語られる主人公3人の謎。

読み終えて不気味な感触が残りました。

人に与えられた「使命」とは何かを考えさせられる。
近未来に起きるかもしれない現実。
人間の命に関する大きな課題を提起しているようにも思える。

*****

そして今日7/4映画を見てきました。

この映画は、できれば原作を先に読んでから見たほうが絶対にいいと思います。

日本でも臓器移植が、だんだん行われるようになってきました。
クローン羊が作られるようになったいま、クローン人間の存在を全く否定することはできません。

映画で主人公キャシー・Hが「生の意味を知らないで命を終える人もたくさんいる」
「自分たちの命と、臓器を提供された人の命と、どう違うのか」と言う言葉は、
自分の命と、他の人の命の価値を問われているような気がしました。

エミリ先生に「展示館(ギャラリー)へ優秀な絵画、彫刻、詩を集めて飾ったのは、あなたたちに魂があるかどうかを知りたかったからだ」と言われる。
これは、原作より映画のほうが明確な表現だった。

映像で、臓器の摘出や、傷口を縫ったあとを見るのは、読むよりもずっと現実的(リアル)でした。

最初に生徒たちが歌う校歌の歌詞にすべてがあり、最後のにもその歌が流れました。

あまり内容を書くと、見る楽しみがなくなりますね。

****
この度強く思ったことは、人間が神の領域へ踏み込もううとしたとき、
その文明は終焉を迎えるということ。

放射線、臓器移植医療、遺伝子組み換え、、、、

原爆を作ったオッペンハイマー博士が、「私は死神になってしまった」という映像がテレビで何ども流されました。博士は自分が超えてはならない線を超えたことに怯えた。
その後の人生は、原水爆の禁止、平和運動へ。。。
しかし今や、世界中に放射性廃棄物は散らばっている。


人は、多少の延命はできても、死をのがれることはできない。
そのことを再認識する必要がある。

最近、ある医師が自分の病気を治すために臓器移植の提供を受けようとしたが、
報酬が折り合わずにだめになった。ということをニュース番組で見ました。
自分の命をながらえさせるために、健康な人の臓器をお金で買う。


命はいつか終わることを受け入れる。
そのこと(終了すること)を覚悟するべきだ。


男女二人が本当に愛し合っていることを証明して、認められたら、
提供を3,4年猶予されるという幻想。。。。
おとぎ話のようなうわさ。

「トミーの癇癪は、無意識に自分の人生の不条理を怒っていたのかもしれない。」とキャシーは思う。原作のその部分は言葉ではなく、二人の影で表現されていた。

今度も、イギリス映画の格調高い多くの画像に、心を奪われました。

生きること、愛すること、不変の課題。

*****

ただ、この映画も、小さい映画館での1日1回〜2回の上映です。
臓器移植を推進したいと思っている医療団体からは、妨害があるかもしれません。

科学の進歩を否定するつもりはないけれど、
科学は、どこへ行こうとしているのでしょう。
何を目ざしているのでしょう。

原発の被災地のことを思うと、どこかおかしい、
私たちは、道を間違っているのではないか、
そんな疑問が湧いてきます。
そんな気がしてなりません。



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冬の幻  北海道  美瑛

northkand-art-studioさんからお借りしました。
いつもありがとうございます。
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