いつも喜び、 絶えず祈り、 すべてを感謝する。 そのような日々を過ごしたい。

2010/1/31

伝説の愛  ひと

「伝説の愛」という本の紹介をラジオでしていました。
サンテグジュペリとその妻のこと。
「星の王子さま」をフランス語で読むという願い、希望、目標を持っている私としては、見過ごしにできない・・・とアマゾンへ。

割と高価でしたが、表紙に破れがあるというので、ほかの古書店より破格の安価な値段で1冊あったので、迷わず注文。
今日届いたのですが、思っていた以上に大きい写真集のような本でした。
表紙の破れを探しましたが、背のところの上部に5ミリほど・・・ほとんど分かりません。
やや経年感はありますが、読まれた形跡はなし。

空を飛ぶ仕事・・
しかも自分で飛行機を操縦する。
この本を紹介していた人も、飛行機の操縦をカリフォルニアで取ったとか。

まだゆっくり中身を読んでいませんが、
夫妻の写真や、手紙の写真など、サンテグジュペリの実像に近付けるのかもしれません。

じっくり読みましたら、また続きを書きます。

*****読みました。

妻は、南米出身の美しい女性で、画家でもあり、ダリやピカソとも親交があり、19歳でアメリカへ留学、その後フランスへ。母国語はスペイン語、その言葉は詩的で、多くの人達を魅了していたらしい。とにかく魅力的な女性でした。

サンテグジュペリとは、強い絆で結ばれていたけれど、別れたり、戻ったりの結婚生活だったようです。
二人の自筆の手紙や、写真がたくさんあり、溢れる感性の二人の心の揺れも良く分かりました。

アントワーヌ・サンテグジュペリはフランス・リヨン1900年生まれ。1944年7月31日消息不明。
コンスエロ・サンテグジュペリは1901年エルサルバドルで生まれ、1980年フランスで彼の死後30年、想い出とともに過ごす。「バラの回想」が残っている。
もちろん、あの星の王子様のバラです。

サンテグジュペリの実家からは、あまりよく思われてなかった妻は、
トランクに想い出の手紙や写真を大切に保存していて、

2000年に生誕100年ということで、そのトランクが開けられて、
二人の絆が公開された。

人間の土地と天空の間を飛び続けた人は、
星の世界のほうが暮らしやすかったのかもしれない。

返事のこない手紙を書き続けた妻。
やはり伝説の愛・・・でした。


クリックすると元のサイズで表示します

暁の飛行

永遠の憧れ、、、空を飛ぶこと

northland-art-studioさんからお借りしました。
0

2010/1/29

晩春  ドラマ

小津安二郎監督の作品はすばらしいものがたくさんありますが、
これまで断片的にしか見ることはありませんでした。
NHKの「知る楽」で、小津安二郎が取り上げられ、BSで小津作品が続けて放映されているのを見て、録画予約。

まず「晩春」を見ました。
昭和24年に完成した作品。もちろん私が生まれる前です。
56歳の大学教授笠智衆とその娘27歳の原節子。
北鎌倉八幡神社、京都清水寺、竜安寺、奈良法隆寺・・・
日本の美しい自然と建築、文化。

映画というのは、その時代を映像で残す。
そのテーマはいまも、変わらない。
淡々と日常を描く小津監督。

古い映画なので、その演技に違和感を覚えたところもありましたが、
笠智衆が娘に「幸せになるんだよ」と語りかける場面は、
もっと早く見たかったと思いました。

亡き父の「早く嫁いでほしいと思う反面、いつまでもこのままいてくれたら、という思いがある」と語っていた言葉が、笠智衆の言葉と重なる。

父と娘、父と息子。母と息子、母と娘。
その関係はなんだか、とても微妙に違います。

私自身は、早く家を出たいという思いが強く、
24歳で故郷を出ましたが、晩春(晩婚)だったので、
両親には、やきもき心配をかけました。

幸せに暮らしてほしいと願う親心・・・・
そちらの気持ちが分かる年齢になりました。


クリックすると元のサイズで表示します

小熊秀雄
「トンボは北へ わたしは南へ」
故郷を捨てた、詩人小熊秀雄の熱い想い

northland-art-studioさんからお借りしました。

玄柊さんの2009年7月のサハリンの旅、その写真と紀行文の紹介が
「ソヴィエツキー・サハリン」というサハリンの新聞に2010.1.23載りました。
日本文学研究者のエレーナ・イコンニコワさんが、留学先の北海道恵庭から
旭川の写真展を見にいらして、高く評価してくださったものです。
小熊秀雄や宮澤賢治とサハリンの関わりについても、書いてあります。
詳しくはリンクのHP  northland art studioをご覧ください。
ロシア語から英語に翻訳それを日本語に訳してあります。
稚内のロシア語通訳者、Charlieさんは、ロシア語から日本語に翻訳してくださいました。

近くて遠かったサハリンとの友好関係が、文学を通して結ばれることを祈ります。  
0

2010/1/24

洗礼式  祈り

1月23日 神戸教会ですばらしい洗礼式がありました。

友人のK夫人のご主人が76歳で、イエスキリストをご自分の救い主とすることを決心をなさったのです。聖霊の大いなる働きでした。

2005年の5月ころ、父の納骨式の時、着任されてまもないR先生に、K夫人を訪ねてくださるようにお願いしました。すぐにR先生ご夫妻は訪問してくださって、意気投合なさったK夫人のご主人との聖書研究が始まりました。

紆余曲折はありましたが、5年後にこうしてK夫人、神戸教会のみなさま、牧師ご夫妻の熱い祈りに応えて、神様が叩いておられた心の扉は開かれました。

会社の重役でしたが、長女の方が小学生のころ障害をもたれ、さまざまな試練のすべてを通して導かれ、ついにその時がきたのです。
赦された喜びと、自分がどこへ行くのかを知った平安を語られる。
K夫人も本当にこれで安心できたとおっしゃる。

Kさんの次女とその一人息子さん(この春小学1年生になるお孫さん)も来てくださいました。
娘さんが結婚15年目にして授かったこのJ君の誕生の奇跡も、神様の不思議を知るきっかけになられたとか。

J君は、みんなの前で挨拶されるおじいちゃんとおばあちゃんの姿を、どのように心に刻んでくれたか。
私は思わず、「今日の日のことを忘れないでね」とJ君に言いました。

私の父は癌になって神戸へ治療に来た時、どうしてもこのKさん御夫妻にお会いしたいといい、それが最期のお別れでした。その父も77歳でイエス・キリストを信じる者となり、Kさんも76歳で同じ信仰を持たれた。その深いご縁・不思議を思います。

「神のなされることは、みなその時にかなって美しい。
 神はまた永遠を思う思いを授けられた。
 それでもなお、人は神のなされるわざを
 始めから終わまで見極めることはできない」
            聖書 伝道の書3:11


いつかきっと・・・・そう願う祈りはきかれる。

讃美歌を歌いながら、溢れる涙を抑えられませんでした。



クリックすると元のサイズで表示します

ブルーヘブン・・・み国を想いつつ

ぶどうの樹さんからお借りしました。


クリックすると元のサイズで表示します

落日燃ゆ・・・のような

northland-art-studioさんからお借りしました。
0

2010/1/21

キリエ・エレイソン(主よ憐れみたまえ)  光り

バッハのロ短調ミサ曲  キリエ・エレイソン (主よ憐れみたまえ)

自分でも驚いているのですが、16日の土曜日にお借りした12巻の60分テープ、
「ボンヘッファーその生涯と信仰」を5日で聞き終わりました。
仕事の合間に、家事をしながら、MDに録音しながら聞き続けました。

「獄中書簡集」も既に届きました。
これは1988年8月に出版された村上伸牧師の改訂新訳でした。

39歳で亡くなった若きドイツ人のキリスト者のひたむきな信仰の姿に
心打たれました。
自分のすべて(全存在)、命をかけて、キリストに対峙した人でした。
多くのキリスト者が、その信仰生活を刺激されるわけが分かりました。
本物でした。

分かりやすくその生涯と信仰を解説してくださった村上伸(ひろし)先生は、
現在は日本キリスト教団代々木上原教会の牧師です。
録音は1987年ころですが、今年80歳になられる村上牧師は、ボンヘッファーの研究者としても有名らしく、
またそのキリスト者としての生き方に、共感し自身もそのようでありたいという思いが、その言葉のはしばしから伺えました。


軍刑務所の独房での1年半は、多く読み多く書き、深い瞑想と思索の時だったようです。その後、ゲシュタポの刑務所へ。
その牢獄での態度は、謙遜で、柔和で、光り輝いていた。
常にほかの人達のことを励まし、明るく振舞っていたという。

その真剣に生きた姿は、現代でも人々に影響を与えている。

なるほどと実感しました。

カール・バルトの弟子で、若き神学者として大学で教えていたけれど、
悲惨な戦争、ユダヤ人を迫害するナチス、ヒットラーのやり方に抵抗する。
自分の兄弟、友人も戦死するという時代の現実から逃避することはできなかった。
ガンジーからのインドへの招きも断って、故国ドイツの軍情報局にいて反ナチス活動を行った。

キリスト者として生きるとは、どういうことかを真剣に問い、
教会は他者のために生きるべきであるという。

刑場に向かう最期の姿を見ていた医師は、「彼のように神に全くすべてをゆだねて死についた人を見たことがない」と語ったという。
その祈りの姿は、神がその祈りを聞かれている・・・
そのように見えた。

死に直面したとき、自分がどのようにその残りの日々を過ごすか。
自分でも思いがけないほどの平安が与えられると聞く。
そのようでありたいと私も願います。

18歳のときに初めて聞いたバッハのロ短調ミサ曲が
ボンヘッファーは大好きだという。
ピアニストになろうかと思ったほどの音楽家。

お話の合間に流されたバッハのミサ曲
最後は「キリエ・エレイソン」主よ憐れみたまえが
祈りをこめて流された。

今まで名前しか知らなかった一人のキリスト者
そのように生きたいと思わせてくれる信仰者と
また出会うことができました。

感謝します。


クリックすると元のサイズで表示します


雪景色 橋の向こうには輝く太陽が

northland-art-studioさんからお借りしました。
1

2010/1/18

ボンヘッファー  いのち

16日の土曜日に、S牧師夫人から「ボンヘッファー その生涯と信仰」というテープ全12巻をお借りしました。

ナチスのヒットラーの残忍な戦争をやめさせるために、暗殺を企てた牧師。
そう聞くと耳を疑うようなことですが、
それほどまでに悪を憎んだ人のようです。

第1巻を聞きましたが、これは1986年ころにNHKラジオの「宗教の時間」に放送されたものでした。毎月1回で、1年間。

中川伸牧師(大学教授)の講義です。
その静かな語り口調にも引き込まれ、間に流れるバッハのロ短調ミサ曲も印象的でした。


実際に暗殺計画が実行され未遂に終わったときは、逮捕されていて獄中に。
しかしその暗殺計画のメンバーであったことが発覚して、
ヒットラー自身が自殺する3週間前に、絞首刑にされ39歳で亡くなる。

彼はドイツ人で、この戦争、ナチスのやり方に最初から反対していて、
糾弾していたらしい。
しかし「戦争で人を殺したくない」と友人に語り、
インドのガンジーの無抵抗主義にも共感していて、インドへ行こうとしたほどたった。

「汝殺すなかれ」という戒めを思い、苦悩の末の決断。

神を信じ、キリストに対する深い信仰は、彼の弟子たちが残した記録から人々に伝えられ、ことに獄中からの書簡は胸を打つ。。。。

*******
早速「獄中書簡集」をアマゾンで検索。やや高いので、躊躇しましたが、
やはり注文してしまいました。

ただ、どのような理由があっても、やはり暗殺することは良くないと思いました。
それを肯定することは、自爆テロや、神風特攻隊などと同じように、「自国の正義」、あるいは「聖戦」という名のもとに人を殺すことが許されることになるからです。

ボンヘッファーは暗殺を実行しないで亡くなった。
私はそこに神様の深い愛を感じます。

ひたむきに神を求める魂を、神は見捨てることはない。
その真心・信仰を喜ばれる。だから彼を暗殺者にはされなかった。
そのように思います。


今もなお、ボンヘッファーの生き方に、なぜそこまで・・・と
その生涯を探るキリスト者がたくさんいる。
私もそのひとりです。


あと9巻テープを聞き、獄中書簡集を読むことで、
彼の真実な思いを知ることができるでしょう。

1906年に生まれ、1945年に死ぬ。
戦火の中に生き、ユダヤ人を助けたクリスチャン。

今まで名前しか知らなかった人が、私の前に立っています。
逃げないで向き合いたいと思います。

あなたは、ボンヘッファーをご存じでしたか。


クリックすると元のサイズで表示します

函館の海の朝日。

夕陽ではありませんでした。
朝日と夕陽、いつも見分けがつきません。
写真をお撮りになった方だけが知っておられることですね。
とても美しい朝の光です。

朝日を見ることはなかなかできませんが、
夕陽は意識して見たいと願っている今日この頃です。

northland-art-studioさんからお借りしました。


クリックすると元のサイズで表示します


神戸有野台教会の大きい聖書

ラターレインさんからお借りしました。
2



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ