いつも喜び、 絶えず祈り、 すべてを感謝する。 そのような日々を過ごしたい。

2009/2/28

わが谷は緑なりき  ドラマ

1941年ジョン・フォード監督のこの映画。
14回アカデミー賞最優秀賞受賞作品。

その題名に魅かれて、いつか見たいと思っていた。
モノクロ、ウェールズ地方のケルトの末裔。
炭鉱の町。

まだ家長が尊敬されていた時代。
お祈りをして食事。
聖書を朗読する父親。
母親に対する息子達の思い。

誇り高いウェールズの労働者の人々の生活を見ました。

失われた何か・・・

1940年に同じジョン・フォード監督の作った
「怒りの葡萄」と母親を中心にした家族という点で、
似ているところもある。

その時代を記録するということ
記録写真とは違うものを映画はもっている。

歴史は続くが、時代は変わる。

そんなことを思いました。



クリックすると元のサイズで表示します

冬の幻想

northland-art-studioさんからお借りしました
0

2009/2/25

欲望という名の電車  ドラマ

テネシー・ウィリアムズの『欲望という名の電車』は
若いころに読みました。
その後、よく舞台とかでも取り上げられていて、
何度か見たのですが、どうもすんなり分からない気がしていました。

BSでアカデミー賞受賞作品として放送されたのを録画して、
なんと1951年のエリア・カザン監督の映画を見ました。
ビビアン・リーがブランチ役。
マーロン・ブランドがスタンリー役。

でもマーロン・ブランドといったら、どうしても「ゴッド・ファーザー」の
あのイメージしかなくて、若すぎるマーロン・ブランドはまるで別人でした。
しかし、マーロン・ブランドにも若い時はありました。確かに。

スカーレット役のときよりも歳を重ねたビビアン・リーも、
エンド・タイトルを見るまで分からなかったけれど、
精神を病んでいく女性を、見事に演じていました。


労働者たちが生活しているニューオリイズが舞台。
二階に住む婦人が、「どんなことがあっても、生きていかなきゃならないんだからね」と妹のステラに言う。

ふと、普通に生活していると思っている私たちも、
どこか精神を病んでいる、幻想に逃避する、褒めてもらわないと安心できない、
そういうブランチの持っている要素が、少なからずあるような気がしました。

「欲望という名の列車」に乗って、墓場で乗り換えて、極楽という場所で降りる・・・
この作品の描きたかったことが、やっと理解できたような気がしました。

古い映画ですが、時代をよく写していて、
少しも古さを感じません。

人間が、永遠に追求しているテーマを取り上げているからかもしれません。

今年のアカデミー賞外国語部門の「おくりびと」も
DVDになったら、見たいです。
『納棺師の日記」というのが元になっているようです。

クリックすると元のサイズで表示します

函館ー青柳町夜明け

northland-art-studioさんからお借りしました

なんとなく、函館の市電を思い出しました。
どの電車に乗るか、自分では決められないのでしょうか。
自分の乗っている電車の行き先を、みんな知っているのでしょうか。
欲望ーDesireという名の路面電車は本当にあったのですね。
0

2009/2/22

ミス・ムーンの遺言  ひと

内海隆一郎著『街のスケッチブック』の中に
ミス・ムーンの遺言というエッセイがあった。

日本がまだ戦争を始める前、昭和10年(1935年)
青山学院で英語を教え、自宅では聖書教室を開いていた
アメリカ人女性、マイラ・ベル・ムーンは、来日14年目に
青山4丁目の大通りで自動車事故にあった。
2日後彼女は44歳で亡くなったが、その前日枕頭に集まった知人や学生に遺言した。
「わたしのこのような死は神様の思し召しです。
なんとか運転手を罰しないように警察に頼んでください。
彼は運転手になったばかりの未熟さで、事故を起こしてしまったのです。
いま、わたしより苦しんでいます。また彼は貧しいそうなので、
もしも刑罰を受けたり、運転免許状を没収されてしまうようなことになると、
気の毒で、わたしは死に切れません。どうか彼が無罪になるように、
皆さんで運動してください」
付きっきりで看病していた二十二歳の運転手は号泣した。
青山学院の教授たちが奔走し、示談になった。

それから39年後、1974年にミス・ムーンの肖像画を
青山学院教会と、彼女の故郷クリーブランド市の教会に寄付した人がいる。
彼はミス・ムーンの遺言に深く感動し、かつての教え子から写真を譲り受け、
変わらぬ感動と敬愛を込めて、自ら肖像を描いたという。
また多磨霊園への春秋のお墓参りも欠かさなかったという。
(本文より、一部引用させていただきました)

このような話は、そんなに多くない。
そして内海隆一郎さんが書いてくださらなかったら、
わたしは知らなかった。

人の喜ぶことをする。
人の役に立つことをする。
それは出来るかもしれない。
でも人のために死ねる人は多くない。
その過ちを心から許せる人は、多くない。

青山学院もキリスト教主義の学校。
日本の国と日本人を愛してくれた宣教師がいたことを、
忘れない。


クリックすると元のサイズで表示します

これは小熊秀雄の描いた立教大学です。
この大学もキリスト教主義の学校です。
私が子供のころ行っていた、聖公会の大学。

northland-art-studioさんからお借りしました。
いつもありがとうございます。
1

2009/2/20

一秒の言葉  言葉

今日は次男の高校の卒業式でした。
もうこれで卒業式というものに出席することはないだろうと思い
行くことにしました。
(大学の入学式、卒業式にはでないでしょうから)

儀式ばらない、しかしどことなく厳粛な雰囲気もある
とてもいい卒業式でした。

校長先生の式辞がとても良かったので、少し紹介します。

24年前に放送された、幻のCMといわれる
SEIKOの「一秒の言葉」
(校長先生は最初と最後の言葉だけを教えてくださいましたが、
検索してみたら、素敵な詩でした。
作者は小泉吉宏さん)
*****
はじめまして、この一秒の短い言葉に一生のときめきを感じることがある
ありがとう、この一秒の言葉に、人のやさしさを知ることがある
がんばって、この一秒の言葉に、勇気がよみがえってくることがある
おめでとう、この一秒の言葉で、幸せにあふれることがある
ごめんなさい、この一秒の言葉に、人の弱さをみることがある
さようなら、この一秒の言葉が、一生の別れになるときがある
*****

ありきたりの難しいことばではなく、分かりやすく、心のこもった式辞

「はじめまして」というときの初心、謙虚な気持ちを忘れないように。
 挨拶がきちんとできるように。

生徒達に社会の荒波にくじけないでがんばってほしいという、
校長先生の思いがつたわってきました。

答辞は女生徒でした。
落ち着いて、自分の言葉で語り、
「私には大切にしたい人達がいます。
どんなことがあろうとも、前へ進む覚悟があります。」

とても頼もしい答辞でした。

まだ18歳、
もう18歳。

こうして育んでくださった
先生方に感謝。

成長させてくださった神様に感謝。

セレモニーというのは、日常から離れた空間と時間。
「はれ」のとき。
一生にそんなに多くはない時間。

式が終わり、退場していく息子に、声をかけ、名前を読んだら、
にやっと笑って通り過ぎた。
やはり行って良かった。

クリックすると元のサイズで表示します

自分の決めた道をゆく

northland-art-studioさんからお借りしました。
0

2009/2/19

壊れやすい卵  いのち

私は村上春樹のファン、いやフリークを自認していたにも関わらず、
イスラエルでスピーチをしたことを、なんとなく耳にしていたのですが、
何のためにイスラエルへ行ったんだろう・・・と思っていました。

09.2.16イスラエルのエルサレム賞を受賞して、
「たくさんの人が行くなというので、来ました」と
エルサレムを訪問していたことを、今日の天声人語で知りました。
個人の自由と尊厳を尊ぶという賞らしい。

早速ネットで検索して、そのスピーチの全文の翻訳を読みました。
一部英語で語る村上春樹氏の映像も見ました。
(いろんな翻訳の仕方があるものだと、感心しました)


小説家として、メッセージを語りに来ました、
というその前向きな姿勢は、内外から高く評価されているようです。

******スピーチより*****
システム(偉大なる制度)とよばれる堅固な壁に向き合う
壊れやすい卵

一人ひとりの人間が貴重な存在であることを表現し、光をあてること
それ以外に私が小説を書く理由はありません。

だれもが薄い殻に包まれたかけがえの無い、取替えのきかない存在なのです。
******

マスコミに姿を現すことを、極力避けていた村上春樹が、
あえて賞を受けて、語った。

自分の信念に基づいて小説を紡ぎ、
真実を追究するのが小説家であると語る。

日本小説家の作品が、広く世界の人々に読まれ、愛されている。

こっそり愛読していた作家が、世界から注目されることに
誇らしいような、遠ざかっていってしまう悲しさというか、
フリークとしては、複雑な心境です。

でもさすが、われらの春樹さんでした。

クリックすると元のサイズで表示します

泥の中に清く咲く白い睡蓮のように

northland-art-studioさんからお借りしました
0



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ