いつも喜び、 絶えず祈り、 すべてを感謝する。 そのような日々を過ごしたい。

2008/3/31

ヘッセ  心象風景

ヘルマン・ヘッセを若い日に読みふけった時期があった。
ほとんどの作品を読んだと思う。
これから始まる人生という航海へ出るために
必要な準備をするかのような
そんな時だった。
しかしこの詩は知らなかった。

「日本の森の渓谷で風化してゆく古い仏陀像」
               ヘルマン・ヘッセ

やわらげられ やつれて 多くの雨と
多くの霜にさらされ みどりに苔むして
あなたの穏やかな頬 あなたの大きな
伏せられたまぶたは 静かに目標に向かって行く
すすんで朽ち果てて 無に帰するという目標に
一切の中に 形のない無限の中に
消えかかっているその身振りは今も告げている
あなたの王者としての使命の高貴さを
そしてやはり早くも求めている 湿り気とむかるみと土の中に
形にとらわれむ身振りの意味の完成を
明日は根となり 木の葉のざわめきになる
水となって 空の清浄さを映し
蔦になり 藻になり 縮れた羊歯となる−−−
この仏陀像こそ永劫不変の統一体の中での一切のものの変転の象徴だ

1951年から1961年の間に書かれたこの詩。
私が生まれたとき、まだヘッセは存命していたことに不思議な思いがする。

この詩を何度読んでも、泣きたくなるのは何故だろう。
それはこの朽ちてゆく石仏は、私だから。

木や石でできた像を拝む事はしないけれど
木や石や山や鉄や銅でできたものが、
神だとは思わないけれど

それを造った人の心、魂が、
目に見えない神さまへ向かっている
その真摯な心を感じ
畏敬(いけい)の念を覚える

その気迫や心情に打たれて
思わず手を合わせる人がいるのだろう。

苔むした石仏を見て
土にかえる自分を思う。

私がその石仏で
水となって 空気の清浄さを映し
朽ち果てる

この詩が所収されている『人は成熟するにつれて若くなる』
この本はいよいよ晩年に向かう私にとって
最後の航海に出るまえに
その備えをするように
突然差し出された賢者からの贈り物

ヘッセは戦争中、逆境と経済的困窮の中で、
ドイツからの亡命者に援助の手を差し伸べた
その精神の自由と行動力

私はヘッセに再会した。

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春日山石仏−NORTHLAND−ART−STUDIOさんよりお借りしました
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2008/3/29

一緒に  ひと

「一緒に」
これは今日のお礼拝の説教の題です。
私の教会は、本部はアメリカで、世界各国にあります。そして牧師の転勤がだいたい4.5年であります。
何だか公務員のようなところがあって、折角親しくなっても何十年も1人の牧師というわけではありません。
ただ、人間を信奉しているわけではなく、イエス・キリストが中心なので、転勤があっても、それで揺らぐような信仰では、心許ないです。


そして今日から、新しい女性の牧師が着任されました。
40代だと思いますが、独身で、とてもひたむきな生き方が感じられます。

話し方が、とてもおっとりしていて、私もあんなふうに話したい!と思いました。
5年間広島にいらしたのですが、「転勤が決まったときは、泣きました、でも泣いたらすっきりして、不安はあったけれど、きっとイエス様がすべて必要なものは備えてくださると信じることができました」とおっしゃる。

素直で、謙遜な人柄が感じられました。
車の免許もないし、パソコンもあまりできない・・・ということで、
私達教会員は、何とか支えてあげたい。。と思いました。

「一緒に」神さまの愛を伝えていきましょう。というメッセージは
みんなしっかり受けとめました。
それぞれに弱さ、足りなさを持った人たちの集まり。
理解しあい、助け合い、慰め合い、
泣いたり、笑ったり、怒ったりしながらも、
そこに神さまの赦しを体験し、神さまの恵みで包まれ、
神さまからあふれる愛を注いでいただき、
「一緒に」歩んでいきたい。


春は新しい出発のとき。
桜が咲き始め、美しい季節が始まりました。
イースター(復活祭)が、春の満月の時にあるというのは、
宇宙の時をとらえているのだと思う。

朝の月も 美しい。
花の香りが、どこからともなく漂ってきて
体のすみずみまで
春におおわれる。

あなたは 何色の春に おおわれていますか。 


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山桜 「晴れときどき曇り」さんよりお借りしました。
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2008/3/27

静謐(せいひつ)  

2000キロ離れたところに住む友が、5泊6日の関西の旅を完遂した。
奈良、近江、京都を歩き、撮影する。かなりハードなスケジュールを成し遂げた。
関西に住む私としては大いに刺激を受け、今日、京都へ行く。
去年の秋、紅葉を見に行きたいと思っていたところ。。

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透明に澄んだせせらぎの音を聞きながら、お抹茶をいただく。
椿の紅い花が一輪、流れていく。
鳥が水を飲む様子が愛らしい。
日がな一日、風の音を聞き、水の流れを見て、鳥と語る生活を想う。

その庭は、木立に包みこまれるようにあった。
石山丈山の作った庭だけれど、かの詩仙堂のように広くはなく、
訪れる人もあまりない。
静謐が守られているところだった。

本堂が右にある。木造建築の美しさに目を奪われる。
池のほとりに小さい観音様。右手を耳に当てて、右足を立てて坐っている。
ひっそりとものを想う、穏やかな表情。ずーっと、ずーっとここにいてほしい。

庭の石にはそれぞれ仏教的な意味があると、観光タクシーの人がお客さんに説明しているのを聞く。丁度私が座っていたそこが、柱の重なるところで、中心だと話している。
ふーん、そうなのか。

昔はきっと色彩鮮やかだったろうと思われる鷲が、木の戸に墨でかいてある。
すべてが時に洗われて、雨や風にさらされ、苔が美しい。
百日紅の幹は誰が触れたのか、磨かれていた。
椿の紅い花と雪柳の白がわずかに色をそえる。

この庭に雪が積もったら、どんなに美しいだろうと思う。
住職の奥さんが、この冬は雪が多くて、みなさんきれいだとおっしゃったけれど、
もう寒くてね。と話される。でも羅臼から来たという人は、これくらいだと歩きやすいとおっしゃっていたとか。何故か北海道からいらっしゃる方が多いそうだ。

3組ほどの人たちは運転手さんの説明を聞き、ぐるっと廻って、次のところへ急ぐ。
しかし一人の若者は、ずっとそこにいた。
時々シャッターを切る音がする。
何故ここへ来たのだろう。

人がなるべく来ない京都のお寺を、また訪れたいと思った。
京都まで1時間半。河原町通りを抜け、大原の方へ向かうと車は急に少なくなる。
観光地として荒らされない、自然がある。

もう故郷には父母もなく、帰るところがなくなってしまった私は、
寂しくなったらこれからは古都を訪れるかもしれない。
そこには、いつも待っていてくれる、動かない風景、なくならない建物がある。

桜の蕾がふくらみ、紅いもやに包まれたように見える。
樹はどこへもいかないで、同じ花を咲かせる。
人の命は、はかないもの。

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写真はNORTHLAND−ART−STUDIOさんからお借りしました。
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2008/3/26

いのちの音色  朗読

3月25日は朗読の発表会でした。
1年間勉強したことの、集大成ともいうべきもので、各自が自分の読もうと思うものを決めて、2か月くらい個人で練習する。

長い作品は、二人で半分ずつ分けて一緒に読んだりもする。

緊張する時間でした。
間違えないよう・・・と思っても、かんだりすることもある。
どれほど練習しても、本番でちょっとつまったりすることはある。
心をこめて読むことが一番だけれど、
今年はまずかまないようにしたい、というのが一番の目標だった。
そしてそれは何とかクリアできた。

前にこのブログで、金子みすずの詩とその鑑賞文を読みますとお伝えしたとおり、
「金魚のお墓」とその鑑賞文「みすずマイブーム」という文章。

何度も、何度も読み進むうちに、その文章が体に馴染んでくるのを感じる。
その内容が理解できてくる。
「生きることと、死ぬこと」
みすずの死後何十年も経って、その詩は眠って(死んで)いたけれど、
生きるものとなって、人々に理解され 愛されるようになった。

人の一生について考えさせられた。
自分が求めるものを ひたすら追い求め
自分の内面を掘り進むのは、金魚を土に埋めること
土の中の金魚は死んでいるようで
死んではいない

土の中でその光りのまぼろしを思い、
しぐれの音を聴き
むかしの友を思う

一人の女性の感受性が 童謡という形であらわされ
深く眠り 生きる

永遠の命の輝き  命の音色



自分の命が奏でる曲は なんだろうと
ふと思う。

ひとりのピアノを教える女性が
あるとき 友に言った。
「あなたからは ショパンのノクターン20番の曲が聴こえる」と。

その友は、その曲を自分のテーマ曲だと決めた。


誰かが、わたしから聞こえる曲を 教えてくれたら、、、
と思う。



金子みすずは、自分の曲を 童謡という形で残した。

彼女の琴線に触れたものは
けして楽しいことばかりではなく
辛い経験もあった

八木重吉の詩「素朴な琴」のように
その琴は しずかに鳴った。

私は どんな音色を響かせているのだろう

いま、自分で 自分の曲を選ぶとしたら
「涙のながれるままに」(ヘンデル)かな
自分では決められない。

(美しい音色を奏でたいと願っていても
不協和音が流れているかもしれない)

心の調和というのは 常に保たれているものだろうか。

合唱、デュエット、アンサンブル、コーテット、
ソロで歌ったり ハーモニーの美しさを求めたり


朗読の発表会は、合唱だったのかもしれない。
それぞれが いろんな音色を響かせ
先生はとても満足してくださった。
発表会は自分がいかに教えてきたかを見せられる時でもあります。
とおっしゃった。
常に研鑽を積むその姿勢に学ぶ。


あなたは、自分の命の音色が 聞こえていますか。


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木村弓  ライア(竪琴)奏者
  「いつも何度でも」など作曲・・宮崎駿の作品の音楽を担当
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2008/3/23

妖精  ひと

昨日、3月22日は作家城山三郎さんの1周忌だった。

「そうか、もう君はいないのか」を近くの書店で半分立ち読みをしてから数日後、残りの半分を読みたいと大きな(椅子がある)書店へ行ったけれど、そこでは見つからなかった。だからまだ半分しか読んでいない。

朝日新聞の土曜版「愛の旅人」に取り上げてあるのを今朝読む。

『落日燃ゆ』の広田弘毅のような、世に媚びない生き方を城山さん自身も貫かれたと思うけれど、その側には妖精のような容子さんの存在があったことを知った。

−親しかった佐高信は「ふたりは天の配剤だ。城山さんはみずみずしい少年の恋を最後まで貫いた。容子さんがいなければ作家城山三郎はなかったろう」と言い切る。−

−この原稿を書いている間だけは容子さんと一緒にいられる。だから城山さんはいつまでも書き続けたかっただろう。この作品は完成しない運命だったのだ。−

と書いてあった。

葬式に行かないと言い張った城山さん。彼は容子さんの死を認めたくなかった。


若い人たちが集まるテレビの番組で晩年の城山さんをよくお見かけした。
自分の若い頃と同じ、戦争の足音が聞こえる今、若者に伝えたいことがある。
若者と話したい。
その心情が伝わってきた。

その城山さんの力の源であり、支えであったのは、容子さんだった。
妖精のようだと思った女の子と生涯を共にできた、幸運な少年の姿がそこにある。

「海の見える家に住みたい」という夢を、湘南の海の見える書斎にかなえ、
光る海を見ながら、作家城山三郎は書き続けた。

若々しい城山さんの声に、これからも耳を傾けたい。

波の音のように、静かに、またあるときは激しく、語りかけるその声を。

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城山三郎 遺作 (新潮社刊)
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