いつも喜び、 絶えず祈り、 すべてを感謝する。 そのような日々を過ごしたい。

2008/1/31

白い月  光り

1月から2月へ
寒くなってきたからだろうか、朝、目が覚めても布団からでれなくて、またうとうとしてしまう。

いつも聴いている、FMの「バロックの森」も、途中からになってしまった。
天文学のことはよく分からないので、月の出る方角や、時間も知らない。

夜、南の空を仰いで、満月が煌々と輝いていることに気がつくこともあれば、
明けの明星の金星が月と並んでいるのを見ることもある。
月を見ると、ほっとする。
またここにいてくれたのですかと。

今朝は白い月が南の空に浮かんでいた。左の半月である。

月の満ち欠けや、雲に隠れることを惜しんだ、月を詠んだ歌はかぞえきれない。


井上靖の「星と祭」を読み始めた。
エベレストの僧院のある集落で月を見よう、という話ではじまる。

どこで見るか。だれと見るか。
月の風情も変わってくる。

今朝の白い月を見ながら思った。
森の木々に囲まれ、星と月を一夜ながめるという贅沢は、
私には実現しそうにないなと。

エベレストの月は、今朝の白い月とは全く違う月のように感じるだろう。

あなたは、どこで、だれと月を見たいですか。
0

2008/1/29

航海  ひと

悲しいことは、続くのでしょうか。
昨日伯父(母の兄)が安らかな眠りについたという知らせがとどきました。

私には、40代から50代の伯父の姿しか浮かんできません。
母と伯父は仲の良い二人きりの兄妹でした。
実家が近かったから、よく伯父の家に行きました。またうちへも来てくれました。
従兄弟たちとも小さい頃はよく一緒に遊びました。

祖父母も穏やかで仲むつまじい夫婦でした。伯父が祖母をとても大切に思っているということは、幼い私にもよく分かっていました。それは雰囲気で感じるものでした。

伯父は大正14年7月生まれ。82歳といえば、天寿を全うしたといっていいのかもしれません。
青年の時、海軍兵学校予科練へ行きたいと言ったけれど、一人息子だからと反対されたと聞いたことがありました。戦後は家業を継いだけれど、本当は伯父は何がしたかったのだろう。
そのことがとても気になります。

☆☆☆

ある方が時を得た詩を教えてくださいました。

「80歳を迎える」
              メイ・サートン作
                「1日1日が旅だから」(みすず書房)

八十歳を迎えるいま
私は船脚をゆるめます
安全に着岸できるようにと。
船はぼろぼろにいたみ
帆は裂け  かじは
時にぐらりと進路をそれる
見るさまもない私たち
思えば長い航海をしてきたのです。

時間と辛苦と勝利をぬって
八十年かけて私が何になるか
どうやってそうなるかを学ぶために。

ある日船は朽ち果てる
すると私はどうなるのでしょう。
虚無のなかに吐く
孤独な
息にすぎないものに?
あるいは肉体の殻をぬけだした
生気と情熱のエッセンスに?
知っている人がいるでしょうか

最果ての港に近づいたなら
会いにきてください
老いぼれた船と私に。
でも長いこと錨をおろしてはいられないのです
まもなく最後の
なぞに満ちた航海に
出てゆかねばならないのですから
だれもがおもむくあの旅路
死にむかって。
そうして
船なしに彼の岸を旅する
私のために
幸運を祈ってください。 
☆☆☆

航海を終え
いま船を置いて、彼の岸へ旅立った人たちを思います。

祖母は64歳で亡くなりました。
伯父の連れ合いも60代で亡くなりました。
母を若く亡くし、妻も若く亡くした伯父の人生を思います。
息子3人、娘1人は、脳梗塞で倒れた伯父に孝養を尽くしていました。
伯父の晩年も幸せであったと思いたい。

でもいま、若いときに何になりたかったのか、
聞いておけばよかったと後悔しています。

思い通りの人生なんて、ないのだけれど。。。

あなたは、何になりたかったのですか。
0

2008/1/27

歌が命  音楽

ジャズとシャンソンを歌う友達がいます。

大学時代からバンドを組んで歌っていたようですが、専攻は社会福祉。
結婚しても歌い続け、子供が3人生まれても、なお歌い続け、去年は念願の自分のチャリティコンサートをなさった。

一昨日、メールがきて、小さいお店でセミプロとして歌うだけでなく、デイサービスへボランティアで歌いにいったという。彼女は自然保護団体のメンバーでもある。

思わず、「あなたのボランティア精神の根源は、何からきているの」とたずねた。

その答え。
「何か世の中の役に立つ事しないと、生まれてきた意味がないような。
 歌が命やから、その活動で自分の命を輝かせたいってところかな」

私。「素敵ですね。命の輝き、共感します」

彼女「嬉しいっ」

☆☆☆

歌うことが大好きで、小鳥が歌うことをやめないように歌い続け、何か世の中の役に立つことをしたいと願う心を彼女はもっている。

7年間、自分の教える生徒さんたちと一緒の、チャリティコンサートをしていらした。収益金を寄付するところは決まっていて、地域の作業所。コンサートにはその人達をいつも招待していらした。

去年は作業所の方々が受け付けのお手伝いをしておられた。
素敵な交流が、自然に生まれている。

人にはそれぞれに与えられたタレント(才能)がある。
それを職業にするのではないけれど、自分の好きなことが止められないという人がいる。

たとえば、歌うこと、絵を画くこと、楽器を弾くこと、俳句、短歌、川柳を作ること、文章を書くこと、詩を書くこと、書を書くこと。。。


病院のロビーで水彩画の個展をなさったある方は、ノートに「生きる勇気を与えられました」「慰められました」という言葉を、診察に来た人たちが書いて下さって、そのことで自分も励まされたとおっしゃっていた。

自分の好きなことをして、それで人の心を励ますことができるというのは、二重の喜びだと思う。

歌えたらいいな、描けたらいいな、弾けたらいいな、と、いいな、いいなづくしの私ですが、
何かお役に立てることをさせていただけたら、、いいな。

みんな命をもっている。
その命の輝きを、隠さないで、
輝かせることができたら、いいな。
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2008/1/26

駆け抜ける  ひと

人生を駆け抜けていく人と、マラソンのようにペースを維持してゴールに着く人がいる。

50年を過ぎたら、それは結構長い人生のような気がしていたけれど、50代で亡くなる人がいると、早すぎると思う。

Bさんの奥様は存じ上げないけれど、50歳で亡くなるのは、あまりにも悲しい。病院の医師やお掃除の方が驚くほど平静だったという。仕事に復帰することができると信じ、治療に専念しておられた。癌の告知を受けて1年にも満たないで亡くなった。。


お互いに20代で若さと情熱に溢れて、広島で共に働いていたA先生が、53歳で昨日亡くなったと知って、私は声をあげて泣いた。
体調をくずされて高校校長の職を辞され、他の部所で働いておられたことは知っていたが、やはり癌は全身を蝕んでいた。
突然の訃報に、かつてエネルギーの塊のように、キャンパスを走り回っておられたお姿が浮かんでは消える。

人生を駆け抜けた人。
息子さんと笑顔で写っている最近のお写真を拝見した。
いつもの笑顔。お元気そうに見える。喪主は息子さんがなさるという。
お別れをしたい人が多いことを見越して、2月3日日曜日に東京で告別式がある。

もっと、もっとやりたいことがあったのではないか。
生徒に全身全霊で向き合っておられた。燃え尽きてしまわれたのか。
自分のもてる力をいつもフルで出しておられた。活気のあるお声が、いまも聞こえる。

鎌倉のご両親はどうなさっているだろう。
明るい快活な奥様はどのように心の整理をしておられるのだろう。
お子様たちはこの悲しみをどう乗り越えられるのか。

哀しい。悲しい。哀しい。悲しい。

天からの慰めを心よりお祈りするだけ。
安らかにお眠り下さい。またお会いしましょう。
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2008/1/24

半落ち  ドラマ

先日テレビでやっていたのを見逃した、「半落ち」をDVDで借りてきました。
2004年の1月に封切りされた評判の映画。
ご覧になりましたか。

なかなか重いテーマでした。

「あなたは守りたい人がいませんか」

人が壊れていく、と表現されるアルツハイマー病に自分がなったら。
あるいは家族がそうなって、殺してくれと言われたら、その魂がなくなると感じる前に殺すことが、守ることになるのか。

命、生きるとは。
子供を失う辛さ。骨髄移植のドナー登録。警察と検察の内部の問題。マスコミの報道。
たくさん盛り込まれていますが、生きることを問う映画でした。

セリフは多くはないが、その演技で語る場面の多かった寺尾聡。
殺すことは、許されない。と主張する裁判官の吉岡秀隆。
        最近この二人はよく共演している。

「あなたは今だれのために生きているんですか」

すべての人に問い掛けられているこの言葉に、家族と答える人は多いだろう。
平穏であることの尊さを思う。

昨日50歳で亡くなったB夫人のお葬式があったそうです。
美しいお葬式であったという。Bさんの腕の中で息をひきとられたという。
しかしあまりにも悲しすぎる別れ。


森山直太郎の歌う主題歌「声」が、美しく響く。
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