いつも喜び、 絶えず祈り、 すべてを感謝する。 そのような日々を過ごしたい。

2007/10/31

若くてかわいい女の牧師さん  

私の母がお世話になっているグループホームへ、若くてかわいい女の牧師さんが、昨日デビューしてくださった。前任の熱血好漢牧師からの、引き継ぎです。

   お話しは「百匹の羊」

あるところに、100匹の羊の飼っている羊飼いがいました。ところがある日、そのなかの好奇心いっぱいの小さな羊がいなくなりました。羊飼いは99匹の羊たちは野原に残して、その1匹を探しに出かけました。99匹の羊たちは、囲いに入れなくても、ちゃんとお留守番ができると、羊飼いは思ったのでしょう。
大きな声でその羊の名を呼びながら、羊飼いは探し回りました。そして、とうとう崖の中程で身動きができないで、鳴いている小さな羊を見つけました。羊飼いはとっても喜んで、叱ったりしないで、羊を肩に負って帰りました。小さい羊は、鳴き疲れたのか、羊飼いに守られて、その背中で、すやすや眠ってしまいました。(おしまい)



羊というのは、野生はいないそうです。太古から人間に世話をしてもらって、そのお礼に暖かい羊毛や皮で、人を包みました。羊は転んだら、ひとりでは起きあがれないと聞いたことがあります。人の赤ちゃんと同じように、世話をしてもらわないと生きられない動物でした。

エバが、「取って食べるな」という神様の言いつけに逆らって食べ、驚きつつアダムもその善悪を知る樹から取って食べたあと、エデンの園から二人が追放されるとき、神様が作ってくださったのは、羊の毛衣であったと思います。その時初めて動物の血が流されました。二人の愕きと、哀しみはどんなに深かったことでしょう。


羊というと、村上春樹の小説に出てくる、羊男を思い出し、いかんいかん、不謹慎だ、、と思いながら、見つけられた小羊のことを考えました。
でもクリスマスが近くなると、なぜか羊男はどうしているだろう、と思うのです。どなたか、ご存じですか。
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2007/10/30

菊花  

その人のことを、私は「近所のおじいさん」と呼ぶことはできない。78歳といえば、確かに老人である。しかしお年寄りという雰囲気はみじんもない。いまも現役で造園の仕事をしておられる。家の近くに工房を持っていて、木を彫刻する趣味をもつ。1度作品を拝見したことはあるが、いつか工房にお邪魔してみたい。

秋になると、その人の家の前にたくさんの植木鉢が並ぶ。数えると40鉢以上ある。その鉢の菊の花が咲き始めた。黄、白、えんじ、紫まである。「今年も元気でいますよ、と知らせるために作っている」と。みごとに咲いた花は菊の展覧会にいくものもあるが、ほとんどはみんなにプレゼントとして配られる。

うちの庭の木も、なんだかチョキチョキ鋏の音が聞こえる・・・と思っていると、いつのまにか整えられている。ご近所の庭木は、みーんなそのようにして手入れされる。
いつも人の役に立ちたいと思っておられて、この町内の管理人さんのよう。みんなが頼りにしている。

ある夏、お向かいの家の屋根のソーラーシステムから、じゃーじゃー水が落ちてきた。その家の老婦人は、すぐ大声を上げて名を呼び、助けを求めてその人の家に駆け込んだ。ご主人が不在だったとはいえ、いかに頼っているかがわかる出来事だった。毎週通院するときも、その婦人はその人の車に便乗させてもらっている。まだ助け合いの心が残っている町だ。

引っ越してきて年数の浅い私の家族も、その人がいてくださるお陰で、自然にとけ込めた気がする。目立たない、しかし正直に、誠実に、一生懸命骨身を惜しまず働いてこられたことは、そのお顔を見ればわかる。そのように歳を重ねたい、、そう思わせてくださる人である。

菊の花がこれからもずっと、秋になったら見れるようにと心から願っている。
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2007/10/29

海の上のピアニスト  

ずーっと観たいと思っていた、「海の上のピアニスト」をやっと観ました。
以前レンタル店で「戦場のピアニスト」を間違って借りてきてしまったことがありました。センジョウ=船上だったかな?まあいいやピアニストだから・・・と思って家に帰って観てびっくり、船じゃない!字のごとく「戦場」でした・・・でもこの映画もたくさんのピアノ曲が流れ、特にショパンのノクターン20番遺作は印象的でした。

「海の上の・・」は、内容を友達に聞いてしまっていて、結末を知っていたのは、失敗でした。でも主人公が最後に親友に、「自分という人間がいたことは、君だけしか知らないのだから」といい、楽器店の店主が、「いい物語を聞かせてくれたお礼に」といってコルネットを返してくれる場面とか、、、映画を観て一夜明けたいま、私のことは誰が覚えていてくれるだろう・・・とふと思ったら、なんだかじわっと来るものがあります。。。

船から、タラップから降りられなかった。88の鍵盤、その限られたところで、無限の音楽を心に浮かぶイメージのままに演奏する。。。さすがに「ニューシネマパラダイス」の監督だけはありますね。映画や音楽をこよなく愛する魂が、また私に語りつづけてくれます。
魂から魂へと響きあう・・芸術のもつすばらしさを、また味わいました。

法的には存在しなかったピアニストを、みんなに知ってほしいという願いが、ピアノに隠した音盤から、、コルネットで演奏した曲が、、、うーん、思えば思うほどにくいストーリー展開です。。良い映画というのは、何度観ても発見があるのでしょう。。時代的には1900年からだから徐々に戦争の影がくるのだけど、悲惨な映像はなく、平和なシーンばかりであることもうれしい。豪華客船はタイタニックを思い出したり、、古き良き時代の香り・・そしてジャズ。。。
語り尽くせないというか、尽きません。。。

お会いして、この映画の感想を話したら、何時間もかかるかも。。。
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2007/10/28

爽やかな風  

遠藤周作の『沈黙』の一部分を再読する機会があった。
「踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生れ、お前たちの痛さを分かつため十字架を背負ったのだ」
まだ高校生だったころこの文章を読んで、そんなものか、と思った。しかしどこか腑に落ちない、釈然としないものが心に残っていた。

「自己犠牲」この言葉にも抵抗を感じていた。いやいやする良いことは、偽善ではないかと思った。三浦綾子の『塩狩峠』の長野さんのことを憶う。自殺願望のある少女と一緒にビルから飛び降りながらも、少女を引き寄せ、自分が下になって、「生きよ」と叫んで死んだ少年の愛を憶う。線路に落ちた人を助け、自分は死んでしまった韓国の青年のことを憶う。命の大切さ・・・その大切な命を捨てて人を助ける人に、私たちは心を揺さぶられる。

主イエスは人に踏まれる(踏み絵)ために来られたのではなく、人を生かし、永遠の命に生きるように、より高い聖なる所へ引き上げるために来られたのだ。「あなたがたは、私が語った言葉によってすでにきよくされている」(ヨハネ15章3節)。これは主の約束を信じる者は清くされるということだ、と分かった。

私の心に今朝の晴れた空のような、爽やかな風が吹いた。
疑問に思っていたことが、わかる。心に教えられる。そこにしあわせの青い鳥がいた。
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2007/10/27

心に風が吹くとき  

秋季講演会「心に風が吹くとき」第2夜 「青い鳥はどこに」 行ってきました。

アメリカの有名な高級デパート、ノードストロームの店員さんは、どんなお客様に対しても、親切と奉仕を心懸け、ホームレスの女性が次々とイブニングドレスを試着しても、とても丁寧な応対をしていた。それをつぶさに見ていた牧師が、人間の尊厳を取り戻していくそのホームレスの女性の姿を見て、自分たちクリスチャンはこの店員さんほどに、人々に親切と奉仕の心で接しているか!といたく反省した。マザーテレサの「どれだけ多くのことをしたのかではなく、どれだけ心をこめたか」が問われる。隣人とは、自分が接した人のこと。誰かのために犠牲を払うとき、その中に幸せがある。「人生が私に何を期待しているのかという観念の変更=浄化される=毎日を誠実に生きる。我々自身が問われた者として体験される。」(フランクル「夜と霧」より)あなたを必要としている何か、誰かがいる。・・・・というようなお話しでした。

人に何かを求める生き方ではなく、自分が隣人(自分以外の人)に何をすることができるか、何をするように求められているかを問う生き方。。。価値観の転換ということでしょう。涙をさそうエピソードなどもありましたが、こうして書いてみると、なかなか得たものを、うまく伝えられないものだと思いました。

幸せの風が吹きますように、まず家庭から、職場から・・・と。やっぱり青い鳥は家にいるのですね。
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