2014/9/16  22:22 | 投稿者: masuko

 面白かったなあ。
 昭和初期の女中さんのいる中流階級の暮らしという視点。女中さん側からの自分の仕事に対するこだわりの視点。かわいらしい洋館でのモダンな暮らしの中に、少しずつ戦争が忍び寄ってくる時の女中さんが感じる戦争という視点。そしてそれが女中さんの自伝、回想録というように書かれ、それを現代の青年が読んでいろいろと感じたことを言うという設定、そして最終章の思い掛けない展開・・・今まで読んだ小説にはない面白さだった。ちょっとミステリーな部分もあって??で読み終わるというのもまた面白い。事実は何なのか、はっきりしないで終わる。

 中島京子さん。気になる存在になりました。

 山田洋次監督、松たか子が奥様。黒木華は女中役で、第64回ベルリン国際映画祭で最優秀女優賞(銀熊賞)を受賞したというあの映画を観ておけばよかったかな。


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2014/5/26  8:43 | 投稿者: masuko

 面白かった! 白州さんの文章、軽快でさばさばしている。
 表題の通り、師とも友ともいえる縁のある方々の評伝。青山二郎、秦秀雄、小林秀雄、梅原龍三郎・・・・画家、染織家、織師、蒐集家・・・「職人であり芸術家」「文人」「粋人」「自由人」「教養人」「感性で贋物と真物を見分ける人」・・・一流というべき人々との交流のお話。 
 陶器なんかをみて、「すてきーいいなー」とか思っても、よしこれがどうしても欲しい、買いたい・・って思うまでにいかないことが多い。観る目が無いのだと思う。鑑賞ではなく「買う」というのは全く違う意味を持つというようなことが、青山さんだったか小林さんだったかの篇に書いてあった。ふむふむなるほど。
 物を整理し小さな家に引っ越した。そうじをするにもラクだし階段はないし、ものを探すのにも探す場所が限られているし・・・二人または一人の老後を過ごすのにはもってこいだとご満悦で、しきりと「根岸の里のわび住まい」などとパートナーはほざいている。
 「わび住まい」か。
 わび住まいにはわび住まいの潤いというものが必要だ。花、音楽、壁を飾る物・・・そして食事を豊かにいろどるためのちょっとした器もそのひとつにあげられるのではないかと最近思っている。なんせろくな食器がない。わからないなりにも、これが欲しいという思う気持ちがうずうずっとしたら自分の感性を信じて買ってみたいなと思う。
 カバーのこの絵は「早川幾忠」の日本画。歌人が一応専門だが、琵琶、日本画、篆刻、書など様々なことも一流とのこと。
 白州さんの文章を引用する。

先生の画にも歌にも音楽が感じられるのは、琵琶から出たものに違いない。音楽をヌキにして文人が語れないのは、平安朝以来の日本の伝統である。文人という言葉はまだなかったかも知れないが、よろずの「遊び」に通じているのが、教養人の資格であった。ホイジンガーは「ホモ・ルーデンス」の中で、日本人は遊びの名人だといって、多くの例をあげているが、「芸術」などという言葉が出来てから日本人には遊びがなくなった。遊びといえば、ドンチャン騒ぎか女といちゃつく程度で、遊びに没頭するのは軽薄なことのように思われている。しぜん芸術を仕事とする専門家ばかりふえて、それを愛好し、たのしむ素人がいなくなったことは、芸術を衰退にみちびく。そういう時代に早川さんのような方がいられるのは心強いかぎりである。


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2014/3/6  20:50 | 投稿者: masuko

 珍しい。舞台演劇を観に行った。友人からチケットを戴いたので。
 静岡には県立の劇団がある。県立の劇団って日本で静岡だけらしい。それが自慢することなのか、そんなことに他の県はお金使わないよってケチつけることなのか、ちょっと判断できないところなんだけれど、どっちかというといままで後者の方だった。この劇団ができたころはなんとなくお高くとまっているっていう印象で、他の団体には使わせない専用の劇場なんか持ってて高尚な演劇をやってま〜すから、芸術を分かる人だけ観に来いよーみたいな感じでちょっと敷居も高いし、なんとなくしゃらくさいって思って敬遠していた。最近はちょっと方向転換したみたいで、今日観たのも中高生鑑賞事業になっていて中学生と一緒に観たし、けっこう県民との交流とかワークショップとかにも力を入れているみたいだからまあ、税金でやっている劇団らしくなってきたかなって思っている。ともかく、世界に通用する演劇をやろうっていう意気込みなのは変わらないみたい。それをなんで県でっていうのはちょっと思う。(大阪市が文楽に助成金を出すのとは意味が違う。あれは当然です。)
 まあ、前置きはこれくらいにして、その県の劇団Spacの「真夏の夜の夢」を見てきました。元はシェークスピアだけど、潤色したのは野田秀樹さん。そして演出はSpacの芸術監督の宮城聡さん。
 はい、面白かったです。見せますね。舞台装置、音楽、照明、衣装、演出、演技・・・いいですよ。かなりの台詞劇を面白可笑しく、飽きないように、アクションも交えて、シェークスピアらしい言葉遊びを日本語の言葉遊びにしっかり変えてさらに面白く・・・俳優さんたちの演技の中にとってもへんな中間姿勢でかなりの時間、静止し続けるところがけっこう多くあって、あれはすごい、筋力いるよなあって感心しまくりました。
 実は、4月の引っ越しの引っ越し先はこの彼らの専用劇場のある会館のすぐ近くのマンション。これから時々、見せて戴くとするかな。
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2014/1/2  12:13 | 投稿者: masuko

 2013年読書記録の続き
 12月の旅行中に読んだ本です。相変わらず宇江佐真理さんにはまっています。卵〜の方は夫との生活に疑問を感じて離婚をしようとするお話。あやめ〜はわけありの人々ばかりが集まった横丁のお話でどちらも今まで読んだ宇江佐さんのものとちょっと雰囲気が違っていてそれはそれで面白かったです。2013年は時代小説を中心に100冊以上を読んだようですね。
 2014年も続けて読書を楽しみたいと思います。節約するためには図書館を利用すべきだけれど・・・お風呂で読んだり、お布団の中で読んだりして本をくちゃくちゃにしちゃう読み方だからねえ。だめだな。まあ、文庫本だからそのくらいの出費はいいにしておこうかな。

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2013/12/15  21:57 | 投稿者: masuko

 鎌田さん、いいなあ。すごい。やさしい、パワフル。

本文から

〇と×の発想法は堅苦しくて不自由でおもしろみがない。〇と×の間にある無数の△=「別解」に限りない自由と魅力を感じる。
〇に近い△の生き方は柔らかな生き方だ。
このことを理解できない人は、なにをしても成功しないだろう。
組織の中で潰れそうなあなたに、無数の△の生き方があることに気づいて欲しい。

別解・・・鎌田さんらしい言葉だ。
発想の転換ってことか。常識的な考えに縛られない。自由とも言えるかな。失敗とか不幸とか不運というように思わずに次へのステップ、違う面が見れた、違う展望が開けたなどなどのポジティブシンキングとも言えるのかな。ともかく、柔らかいってことだよな。
いい言葉だね。

いろいろな話題に溢れている。国の経済の政策についても鎌田節が炸裂している。若い人がしっかり働けて、夢を持って、結婚して、子育てしていくために・・・そのためには・・・という鎌田さんの考えが熱く語られている。
キューバ革命のカストロの同士、チェ・ゲバラの話は面白かった。

福島の支援もがんばっている鎌田さん。忙しすぎる毎日だろうけれどご自身の健康も大切にしていつまでも活躍してほしい。

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2013/12/14  18:18 | 投稿者: masuko

 高田郁さんが「初めて現代の家族を描いた感動の短編集」と帯にある。
 高田さんは時代小説でデビューする前に漫画原作を書いていたとな。当時の「軌道春秋」という連載の中から8編を小説として書き改めたものがこの「ふるさと銀河線」。どのお話にも電車が出て来る。バブルがはじけた時代でどの登場人物もとても生きにくい事象を抱えている。それでもなんとかくじけずに幸福を信じて生きていこうとしている。ちょっとあり得ないし甘っちょろいよなっていう設定もあるけれど、でも、こういう漫画のお話もあったのかって思うとなかなかいいじゃんってかんじかな。「女性向けコミック誌」なんていうのを手にしたことはない。
 作者の後書きに「生きにくい時代です。辛いこと哀しいことが多く、幸福は遠すぎて、明日に希望を見いだすことも難しいかもしれない。それでも、遠い遠い先にある幸福を信じていたいーそんな想いを、本編の登場人物に託しました。(中略)あなたの明日に、優しい風が吹きますように。」と綴られている。

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2013/12/13  14:45 | 投稿者: masuko

 夏頃からの読みかけの本をやっつけてしまおうと思っているのに、いつもの本屋の近くにいくとついついよってしまい、ついつい買ってきてしまう。鎌田實の「〇に近い△を生きる」、高田郁の「ふるさと銀河鉄道」(彼女の初めての現代のお話)、そして泣きの銀次の最終章である「虚ろ舟」の三冊。〇に近い・・・を読み出して久しぶりの鎌田節に触れて嬉しくなって、でも、次の日、ちょっと読書っていう時間に2階までその本をとりにいくのが面倒でじゃあ高田さんのを・・・なかなか現代のお話もいいじゃんなんて思って楽しんで、次の日もちょっと近くにあった「銀次」を手にしたら結局、銀次を一番先に読み終えちゃった。 
 けっこう辛い。暗い。社会の闇、心の闇に向きあうお話だ。前作よりさらに10年経ち、銀次は50歳になっている。子どもの恋愛や若者達の生活を描くのに、30代、40代の銀次とは違う視点で見ているのが分かる。 
 次女が慕う男は銀次が前作の話の中で知り合い、家族でかわいがってきた男だ。彼に殺人等の疑いがかかる。被害者の証言もあり銀次も疑う。その男は首をつってしまう。次女は出家。その後話の最後に真犯人が捕まり、彼の疑いは晴れる。その話とUFOかと思われる得体のしれない空飛ぶ物体「虚ろ舟」の話が絡みあう。
 銀次は語る。
「人は業腹な生き物だ。時にうそをつく。手前勝手な理屈を言う。間違いをしても素直に謝らない。どころか他人に責任を押し付ける。」
 次女の出家がさわやかに描かれているのが救いだ。


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2013/12/8  10:13 | 投稿者: masuko

 久しぶりに村上春樹さん。いつも短編集を選んでしまう。じっくり村上さんの長編を読もうとはおもうのだけれどねえ。どういうわけかな。
 
 たまたまヒットしたHPの文面を借りると

「地震のあとで」と題して「新潮」に掲載された5編の連作短編に書き下ろしを加えた短編集。1995年の阪神大震災をテーマにした作品ばかりであるが、それぞれの作品の間に直接の関連はない。

 というもの。けっこう不思議なお話ばかりだ。神戸で育った村上さんだから、阪神大震災には特別な思いがあったんだろうね。

 そして、同じHPの次の文章では
あの地震がなぜ文学作品のテーマとして意味を持ち得るのかといえば、それによって、僕たちが何の根拠もなくそこにあって当然だと思っていた風景が一瞬にして崩れ去ったからだ。僕たちが知らない間に依存し、依拠している日常の連続性が、まったくの理不尽なできごとによって跡形もなくたたき壊されてしまう。そしてそのような取り返しのつかない出来事が起こって初めて、僕たちはその連続性がもともと何の保証もない勝手な思いこみに過ぎなかったことを知るのだ。

この認識は同じ年に起こったオウム真理教の地下鉄サリン事件、そして2001年の同時多発テロによって繰り返され、僕たちの精神に大きな危機を招くことになった。なぜなら、僕たちは僕たちが立つ場所がもはや確かでないことを知ってしまったからだ。村上は「アンダーグラウンド」と「約束された場所で」で地下鉄サリン事件にも深くコミットしているが、村上自身も言うとおり、それまでデタッチメントを基調としていた創作態度が、この時期コミットメントへと大きく転換をとげた背景には、そのような精神の危機、どんなことでも起こり得るのだという認識があったのだと思う。


 とのこと。そうなんだ! 春樹さんともう少しお近づきになってみようかなあ。

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2013/12/5  9:25 | 投稿者: masuko

 昨日、たまった本をBOOKOFFに持って行った。待たされている間に棚をみていたら、銀次の続編をみつけた。続編が出ていることは知っていたけれど「泣きの銀次」を購入するときにその書店にはなかったので、金額も安いしシメシメと購入。古本屋の100円コーナーだと、かなり黄ばんでいて汚い感じのもあるけれど、これは350円したんでさすがにきれい。
 宇江佐さんは初め続編を書く予定があったのかなあ。10年後に書いているとのこと。お話の方も10年後から始まっている。銀次は岡っ引きを辞めてもともとの家業だった小間物屋をしている。使用人も使っている大きな店だったのに二度の火事で焼け出され、女房と4人の子どもを食べさせるのにカツカツの小さなお店になってしまっている。話は拐かされた娘をたまたま銀次が助けることから始まる。その下手人を捕まえるために銀次は岡っ引きに。10年経って大人になったというか中年のおじさんになった感じがよく表されている。前作は結婚寸前までの話だったから4人も可愛い子供ができて、さらに商売の方も困難が続いていけば、人はずいぶんと変わっていくだろう。練れもするだろうし、無茶をしなくもなる。死人を見た時でだけでなく、温かい人情に触れても泣く涙もろい銀次だ。でも一筋の変わらぬ信念がある。相変わらずかっこいい。
 下手人はなかなか捕まらない。心を病んでいる。幼いころの養母からの虐待がそのおそろしい性癖を生み出してしまったらしい。
 銀次とは反対に商売を大きくして傲慢になってしまう昔の相棒〈下っ端)の政吉。解説者は勝ち組と負け組というような言葉で政吉との出来事を解説している。
 家族の中に起きる暗くて辛いできごと、商売をしていく上で自分ではどうすることもできないような世の移り変わりからくる浮き沈み、いろいろなエピソードを積み重ねながらお話の最後にようやく下手人はお縄になり処刑されるが、けしてハッピーエンドではない。社会が世の中が変わらなければ同じような犯罪は繰り返されていく。
 人と人との間に流れる温かなものと「世の中」の中に流れるやるせなさとが、ひたひたとずっとずっと読み手に流れてくる。
 さて、続編がもう一冊でているようだ!!

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2013/12/4  10:08 | 投稿者: masuko

 んー諸田さんもいいね。宇江佐さんとはまた違った世界が広がる。
 8遍の短編集。町人でなく、武家の話だから重厚な雰囲気がただようのか、それとも諸田さんの言葉選び、文章の作りからくるものなのか。一つ一つのお話の中に込められるテーマはけっこう重たく、人の心の深いところが描き出される。だから、次のお話に進むときに「今度はどんなテーマかな」ってちょっと躊躇ってしまう。自分の中の弱さ、奢り、ずるさ・・・に目を向けなくてはならなくなるのではないかとドキドキしてしまうからだ。それでも読まずにはいられない。


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2013/12/3  10:15 | 投稿者: masuko

 銀次も岡っ引きなんだけれど、伊三次シリーズとはかなり違う雰囲気で話は進む。登場人物の描き方もしっかりとしていてまったく違う世界を感じた。そしてそちらの世界は世界でおもしろく一気に読めた。
 解説が諸田玲子さんだった。ついでに諸田さんのものも手に入れてある。夕べから読み出している。
 諸田さんの解説から

親兄弟を描くとき、とりわけ筆が冴えるのは、著者自身が主婦であり母であり、家庭の要であるからだろう。
軽妙な捕り物帳でありながら、本を閉じると幼い頃の友人に出くわしたようななつかしさに包まれる。


このなつかしさっていうのは、つまり、江戸時代のお話なんだよね、っていうことではなくて、今の私達の生活に通じる、人の思い、情け、悲しさや喜び・・・そういうものが描かれているってことだと思う。そこが好きなところなんだな。

そして、東京生まれでない宇江佐さんのことを「やっぱり“江戸っ子”だったのである」とこのように評している。
気っぷがいい、潔い、媚びない、おおらか。楽天家。思ったことは歯に衣を着せず口にするが、そこに一種の諧謔があってそれがなんとも粋である。さらに言うなら、庶民感覚がある。つまり物事を見る目が平らで足がきちんと地についている。

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2013/11/30  21:04 | 投稿者: masuko

 2週間ほど時代小説を手にしてなかったらちょっと禁断症状が出てしまった。とりあえず、なんでもいいからと急いで購入。
 宇江佐真理さんの「おちゃぴい」。短篇小説といっても、6つの話の1番目と4番目は同じ長屋の話。3番目と6番目も登場人物は同じ。
 宇江佐さんの初期のころの作品で、伊三次シリーズより前のもの。
 伊三次シリーズに比べてなんとなく物足りなさもあるけれど、でもどれも、登場人物の人柄が一癖も二癖もあり、それがなんともいえなく人間くさくてあまくてしょっぱくてほろりとくる。
 何冊も読みかけになっているちょっと小難しい本を尻目にあっというまに読んじゃったなあ。んーついでにもう何冊か買ってくるんだった!

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2013/11/24  21:25 | 投稿者: masuko

 9月に天野祐吉さんがラジオ深夜便でやっていたインタービュー番組の隠居大学を雑誌にしたものを読んだ。その中で妹尾河童さんがあって、とっても面白いおじいさんだったんで少年Hを読んでみようかなと思った。その時のブログにもそう書いている。だからさっそく購入してあったんだけれど、読まれることなく、2ヶ月たってしまった。
 部屋に散乱している本が気になって読みかけの物を読んだり、読まれずにほって置かれている本を手にしている・・・という流れの中でやっとこさ出番が回ってきた「少年H」だ。
 面白かった。好奇心が旺盛で、ちょっと多動、落ち着きのないH君からみた毎日の生活やだんだんときな臭くなって戦争に突入していくときの大人の様子や生活のあれこれ、H君の思いなどなどがとてもリアルに分かり易く書いてあって読みやすい。それにしてもなかなかかしこい子で世の中のことにずいぶんと興味がある。お父さんは神戸で紳士服の仕立てをしていてたくさんの外人さんとの交流があったからだろうか、進歩的というか、やけにお国のしていることの裏を知っているような、日本が勝てるわけないと初めから思っている感じ。キリスト教ということもあって、だいぶ普通の家のお父さんと異なっているのかなあ、すごい人だなあって思って読んだ。
 さて、このブログをアップするに当たって、いつものように表紙の絵をダウンロードしていると、なんとなんと「まちがえだらけの少年H」という本があるということを知った。妹尾さんの自叙伝的な本という触れ込みだが、歴史的事実等に間違いがたくさんあるとこの本の作者は指摘。まあ、自叙伝だと思わずに、自分の経験を参考にした作り話としておけば良いのではないかなと思うけれど、妹尾さんは「自らの記憶と体験を元に書いた作品である」との主張を撤回してはいないそうだ。文庫化に当たっていくつかの訂正、変更、削除をしているとのことではある。
 てなわけれで、なんだかよく分からなくなってしまったが、戦争っていうものへの妹尾さんの思いは表現されているのではないだろうか。それを読み取ればいいかな。

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2013/11/21  17:37 | 投稿者: masuko

 吉本ばななを読んでいたのは9月中頃。そのころにふと、お父さんの吉本隆明の本が目に入って購入。さっそく読み始めたように思うが、途中で忘れ去られた。
 一昨日から意味が分かっても分からなくてもともかく読み進めた。
 吉本さんが60年安保を牽引していたころ、どういう思想の持ち主であったか全く知らない。「戦後思想界の巨人」と言われているそうだが、書店で本の表紙の吉本隆明の活字をみても読んでみようと思ったことはない。
 今回、ばななさんとの出逢いがあったのと、77歳かな、かなりおじいさんになってからの本なので、ちょっと読んでみようかと思った。
 どうやら、インタビューを編集者が文章にまとめた物で、本人の文章ではないようだ。切れ味がいいとは言えないのは話言葉だからだろう。
 内容としては頷けるところもあれば、なんだかなあって思うところもある。全然、過激じゃない。どっちかというと頑固じいさん的な印象。
 ともかく「いま、行き着くところまできたからこそ、人間とはなにかということをもっと根源的に考えてみる必要がある」と言っている。
 もう一度、読み直してみるのもいいかもな。言葉は平易なんだけれど結局何がいいたいのかよくわからなかったところがたくさんあるような気がするから。まあ、多分、実行しないとは思うけれど。

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2013/11/21  11:04 | 投稿者: masuko

 久しぶりに瀬戸内寂聴さん。
 1977年にまだ瀬戸内晴美として「嵯峨野より」と題して書いたものを改題し、一部加筆、地図と写真を加えたとのこと。まあ、出版社は何とかして売ろうと古いものを掘り起こすんだねえ。
 出家して嵯峨野に寂庵を作って住みだして3年ぐらいの間の主に庭の草木への思いと自分の新しい生活への思いを書いたエッセイ。読んでいく内にどうもこれ読んだことあるぞって思った。
 このころは出家していろいろなしがらみから離れ、世間と距離をおいて自分らしい時間が持てたことへの喜びを満喫している感じ。寂庵を公開するなんて、自分が死んでからだろうとも書いてある。ところが、読み進めていく内に、出離者として人のためになにかしなくては・・・それはどういう方法だろうかと悩み出している。「尼僧として何かを犠牲にするのは義務だ」と書いている。
 人の人生は本当に分からないものだ。出家するなんて、東北のお寺の住職になるなんて、大学の学長になるなんて・・・と寂聴さんはいろいろと思いもしなかった人生を展開させていくのだものね。
 それも運命、仏様のおはからいでしょうか。
 寂聴さんの草木、自然へのふか〜い愛情がいっぱいつまったエッセイでした。
 もう、91歳かなあ。どうぞ、お元気で。

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