2018/7/4  15:35 | 投稿者: masuko

 円覚寺(えんがくじ)・・・「かく」ではなく「がく」

 鎌倉時代後半の弘安5年(1282)、ときの執権北条時宗が中国・宋より招いた無学祖元禅師により、円覚寺は開山されました。開基である時宗公は18歳で執権職につき、無学祖元禅師を師として深く禅宗に帰依されていました。国家の鎮護、禅を弘めたいという願い、そして蒙古襲来による殉死者を、敵味方の区別なく平等に弔うため、円覚寺の建立を発願されました。

 
 三門:三門は三解脱さんげだつ(空くう・無相むそう・無願むがん)を象徴するといわれ、諸々の煩悩を取り払って涅槃・解脱の世界である仏殿に至る門とされています。
 
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 国宝洪鐘:関東で最も大きい洪鐘(高さ259.5cm)で、国宝に指定されています。円覚寺の開基である北条時宗の子である貞時が正安3年(1301)、国家安泰を祈願して寄進したものです。

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 大鐘のあるところは小高い山、そこから見えた富士山

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 多分、一人だったら、奥まで歩いて行って国宝、舎利殿を見てきたと思うけれど、みなさん、暑い中、体力温存したかったみたいで。洪鐘の所へ昇るのも渋々だったからね(笑)

 大方丈の中で修行の様子をビデオで流していました。面白かったな。物を食べる時には、沢庵でさえ音をだしてはいけないそうだけれど、うどんをすする音のみ、OKだそうです。
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2018/7/4  11:10 | 投稿者: masuko

 明月院の写真、アップしておこう。有名な方丈の丸窓 これ、きれいに撮れたね。

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 今さらですが、鎌倉で観て歩いたお寺ってどういうお寺だったの?って少しずつ復習しようかな。
 

 明月院は、臨済宗建長寺派に属する寺。首藤刑部太夫・山ノ内経俊が永暦元年(1160)に平治の乱で、戦死した父・首藤刑部大輔・俊道の菩提供養として、明月院の前身の明月庵を創建。
 その後、康元元年(1256)、鎌倉幕府五代執権・北条時頼が執権を北条長時に譲って、この地に最明寺が建立し、出家生活をここでおくったが37歳で死去。後に時頼の子・八代執権・北条時宗が最明寺を前身に、蘭渓道隆を開山に禅興寺を創建した。康暦二年(1380)、足利氏満から禅興寺中興の命を受け、関東官領・上杉憲方は寺院を拡大し、塔頭も建てた。
 この時、明月庵は明月院と改められ支院の首位におかれた。上杉憲方の法名は明月院に由来する。
 足利三代将軍・足利義満の時代に禅興寺は関東十刹の一位となったが、明治初年に禅興寺は廃寺となり、明月院だけが残った。本尊は聖観音菩薩坐像


 紫陽花はさすがに時期を過ぎていて、有名な明月院ブルーは・・・残念。

 小学生の団体がたくさんいてあんまりゆっくりできなかったよ。

 わざと一番手前の紫陽花にピント合わせてみましたが・・・

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