2017/11/3  9:39 | 投稿者: masuko

 1940年の皇紀二千六百年祭の後から1943年の学徒出陣ごろまでの暗い、日増しに暗くなっていく日々を丁寧に綴る。

 隣組の訓練、組長夫婦の理不尽な干渉。不自由になる物資・・・

 そして、次郎のところに訪ねてくる読者たち、主に一高生や東大生たちとの交流を書いている。

 次郎は検閲が厳しくて小説が思うように発表できないなら、学生諸君一人一人を原稿用紙と思って、彼らの心に直接、自分の思いを訴え掛けようと考え、

 来るものは拒まず、書斎にあげ、彼らの考え、悩みを真剣に聞き、紅茶やお菓子でもてなし、その学生の心に通じる言葉を選んでアドバイスをするような日々を送った。

 月2回に学習会も開いた。

 次郎の小説に感銘をうけて集まる学生さんたちだから、とっても繊細な心の持ち主ばかりで、時局に不安と疑問を持つ人ばかりだ。

 当時の日本の最高学府に集まる学生さんたちが、

 学問とは何か、文化とは何か、国を愛するとは何か、人生の目的は何か・・・というような問いを真剣に考え、

 そういう問いの先に「戦争で死ぬだろう自分の運命」を重ねていくという苦悩を持っていたこと。

 そういうことをこの小説で知り得たことは嬉しいことでもあり、悲しい切ないことでもある。

 そしてその問いに真摯に応えようとする次郎さん、つまりは芹沢光治良という人を尊敬してやまない。

 知識人たちは知っていた。国の官僚も知っていた。この戦争に勝てるわけがないと。

 天皇も平和を願っていた。それをも側近や官僚、政治家たちは知っていた。

 なのに、なのに。

 時代の流れはいったいどこでどのように決定づけられていくのでしょうね。

 この時代に「巴里で死す」を連載できたことは凄いことだ。軍の圧力をはねつけていた婦人公論の編集長も素晴らしい人だ。

 光治良さんはこの編集長がこの後、招集されて前線に送られ戦死してしまうのは自分の小説を弁護したからではないかと申し訳なく、有り難く思い続けるようで、この小説の中にも、他のものにもあちこちにそのことを書いている。

 これだけ暗い日々を書き続けて、この巻の最後の一文は、

 「しかし、太平洋戦におけるほんとうの銃後の不幸は、それから一ヶ月ばかり後に、始まったのだった。」

 いよいよ、空襲、焼け出されて、疎開生活・・・ですね。

 さて、14を読みだしましょう。

 
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