2016/11/8  12:20 | 投稿者: masuko

 キーン先生の弟子はまずこの2冊を借りてきた。

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 「明治天皇」はこの厚さで「上中下」とあるのかと思うと・・・ん−ー気持ちが萎える。

 ちょっと読みだしたが、まさしく、キーン先生の「研究」であるという重厚さを感じたのと、訳本臭さがちょっぴり・・・読めるかなって心配になった。

 そんなことで弟子といえるか!!! 

 で、まあ、新米の不出来な弟子にはこちらの方が読みやすかろうと「日本語修行」へ。

 一日で読了。面白い。これはキーン先生を紹介する本で、先生はインタビューをうけて答えているだけ。先生が書いたものではない。

 人生を一変させた、ことばとの出会い

 アメリカ海軍日本語学校への入学が人生を変えた──日本文学の泰斗はいかに日本語を学び、それを生涯の仕事とするに至ったのか。思い出の詰まった教科書を前に、自身の原点を語る。

 もし海軍日本語学校に入らなかったら、日本文学者になることはなかった――日本文学の研究者、翻訳者として世界的に知られるドナルド・キーン氏は、自らの分岐点についてこう語る。彼に日本語、日本文学との決定的な出会いをもたらしたのは、皮肉にも大嫌いな戦争だった。本書ではインタビューを通じ、彼の日本語との出会いから学習の過程、さらに研究者、教育者としての姿に焦点をあて、日本語とともに歩んだ人生を見つめ直す。
 キーン氏は日米開戦直後の1942年2月に米海軍日本語学校へ入学。翌年1月までのわずか11か月間に、仮名と漢字はもちろん、日本軍の命令・暗号解読に必要な文語やくずし字の読み方まで学んだという。その効率的な学習を助けたとされるのが、戦前の米国大使館で日本語教官を務めた長沼直兄による『標準日本語讀本』である。本書では、70年ぶりにこの教科書と再会したキーン氏が、実際にページを繰りながら当時の思い出を語った。19歳だった彼は、この教科書で初めて芥川龍之介や菊池寛の文章に触れたのだ。
 インタビューの聞き手となるのは日本語教育を専門とする河路由佳氏。貴重な資料や教え子たちの証言から、日本文学の泰斗の原点に迫る。


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 海軍日本学校で日本語を学んだ人がその後、ずいぶんと日本文学等の学者になっているようだ。

 学ぶ側も相当に優秀だったこともあるだろうけれど、11ヶ月で日本語をマスターしちゃうっていうのは凄いね。

 「最初から漢字を覚えながら学んでいった。その日、教科書にでてきた漢字はその日のうちに覚えた。」とのこと。ローマ字は使わなかったそうだ。

 キーン先生はその方法を推奨していて、ローマ字等を使ってある程度日本語を学んでから漢字を学ぶ最近の方法に反対していた。

 「漢字が好きだった。」っていうキーン先生。前世は日本人だったのかなあ。中国人だったときもあるのかなあ。

 日本文学を英語に翻訳するときに日本語にある音の響き、美しさを大事にしているとのこと。

 芭蕉の「・・・・・いわにしみいるせみ・・・」では「い・にぃしぃみぃい・みぃ」と「い」が続く音の流れにセミの声や美しさを感じると考え、翻訳する時には同じ意味を表す英単語の中から「i」を使う言葉を探し選んで使ったそうだ。

 能の授業では「こんなに美しい文章はありません」と涙することもあったと生徒の思い出話も紹介されている。

 本当に日本を愛し、日本語を愛し、日本文化、日本文学を愛しているんだなあ。

 
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