2014/9/28  21:31 | 投稿者: masuko

 清水のマリナーズにオーケストラを聞きにいってきた。
  ロッシーニ 歌劇「ウィリアム・テル」序曲
  メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 作品64
  ベルリオーズ 幻想交響曲 作品14

 「超・名曲コンサート」というタイトル通り、誰でも聞いたことがあるよなっていう名曲ぞろい。でも実のところ私は幻想交響曲はあんまり馴染みがなかったから、とっても新鮮に聞いた。いかにもいかにもオーケストラでございって感じだな。金管、木管が活躍すると、打楽器が、そしてハープが、はたまたヴァイオリンがすごい奏法で・・・みたいな感じで見ても聞いても面白いっていう感じでした。
 2楽章でハープが2台、大活躍。もちろん我が先生であります。今回は2台ということで娘さんと日程が合わずで、先生の先生に東京からお越しいただいてという豪華キャスト。2楽章だけでなくもっと弾いてよって思ったけれど、仕方がないですね。オケのハープって弾くときには絶対に目立つ役割だから大変だね。

 今度の土曜日に夫が東京の国立劇場で行われる長唄の会に出るんだけれど、その時に私も着物を着ようと思って、今日は練習。着物でコンサートに出かけましたよ。紬と違ってこういう垂れものはきゅっと締まらないから着崩れそうで怖い。でも、割ときちっと着れた。帯は袋帯で二重太鼓。いつも名古屋帯だからこの結び方は慣れない。なんとかできた。

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2014/9/28  10:55 | 投稿者: masuko

 あとがきによりますと・・・

 この本を書くきっかけはラジオ関西で「神仏融合 玉岡かおるの巡礼の旅」という番組を持ったこと。
 明治の初めに「神仏分離令」という政策により切り分けられた神と仏。最近になってもとの形に戻そうという動きが起き上がってきた。神社側、仏教側両者の150もが集まって「神仏霊場会」が発足した。

 ほー神仏霊場会だって。どれどれ。ありました。HPはここ

神道と仏教は、わが国の長い歴史の中で「神か仏か」と二者択一を迫るような対立関係ではなく、「神も仏も」、互いに相手を尊重し認め合う共存共栄の関係を築いてまいりました。神仏の光あふれるこの国土にしっかりと根を下ろすことで、わが国の奥深く細やかな自然景観や文化、国民性の美質も、のびのびと枝葉を広げることができたのだと申せましょう。
近代文明は、人類に多大な恩恵を与えてくれた一方、戦争の惨禍や自然環境の破壊をもたらし、その行き着く先には恐るべき破局が待ち受けているのではないか、という不安が世界を覆っているという現状もあります。
わが国においても近代化を進める諸改革の中で「神か仏か」という対立的関係を強いられた時代がしばらく続きましたが、近年ようやく神社界・仏教界の双方から、わが国本来の信仰の姿を取り戻そうと、近畿を中心に古くから聖地・霊場と呼ばれてきた150の社寺が「和」の心をもって結集し、ここに「神仏霊場会」が組織されました。
何れの社寺も歴史と伝統を有する尊い宗教的霊場であり、多くの方々が参詣され、祈りを捧げられますことを願っております。
すでに700人余の方々が全社寺巡拝の満願を果たされています。
皆様の巡拝を心よりお待ちいたしております。


 ほほー150全部巡礼するといいよみたいなことですか。四国、西国、秩父いろいろ巡礼のコースはあるけれど、新しいコースを作ったよというように安易にも受け取れますが、まあそういう穿った見方はやめて、明治前のもともとの信仰の形に戻しましょうっていうのはとってもいい発想だと思います。日本人は仏教伝来以来、ずっとずっとそうやって日本古来の神様とうまく融合させて祀ってきたんだもの。
 日本人ってなんだろう、宗教という意識はあんまりなくて「大いなるもの」「宇宙の絶対」みたいなものを感じる力が強いんじゃないかなあ。キリストとかお釈迦さんとか、天照大神とか誰それというのはそう問題でなくて、人智を超えた「おおいなる存在」「霊的なこと」「奇跡」みたいなものに手をあわせ祈りたいという気持ち。山も雷も海も木も自然は人智を超えている。人の世をリードしてくれて住みやすい世にしてくれる存在っていうのも大いなるもの。病気なんかを治してくれれば霊的だし奇跡だし・・・そういうもの一切合切、「恐れ多く、敬うべきもので、祈りを捧げ、祀りたい。」

 そういう存在を感じる力があったら宗教戦争とか起こらないのが本当なのになあ。イスラム国とかなんだかよくわからないけれど、どうして争うことになっちゃうのかなあ。悲しいね。

 話が逸れちゃったけれど、この本で紹介されている神社仏閣には行ったことないなあ、知らなかったなあというもが結構ある。古事記にも関係するような歴史のある所なんだあ・・・というものも多くて、また訪ねながらその歴史について少しは突っ込んで勉強したくなった。
 例えば、大阪の住吉神社は
「日本書紀」や「古事記」の神代の巻での言い伝え
伊邪那岐命 (いざなぎのみこと) は、火神の出産で亡くなられた妻・伊邪那美命 (いざなみのみこと) を追い求め、黄泉の国(死者の世界)に行きますが、妻を連れて戻ってくるという望みを達することができず、逆にケガレを受けてしまいます。そケガレを清めるために海に入って禊祓いしたとき、住吉大神である底筒男命 (そこつつのおのみこと) 、中筒男命 (なかつつのおのみこと) 、表筒男命 (うわつつのおのみこと) が生まれました。

とのこと

 また、河内長野の金剛寺。聖武天皇の命で行基が開いた。平安時代末期には後白河法皇の帰依を受けた。また女人高野としても知られている。南北朝時代には南北朝ともに行在所として使われた・・・等々。南北朝時代のことってそれほど歴史で詳しく習わなかった気がするけれど、これは幕末の尊王思想にまで関わっているんだってことを最近、太田さんの話で聞いたよ。尊王といって敬うべき天皇は南朝の天皇の方だよっていうのが尊皇の志士たちのもともとの思想なんだってね。

 話はまたまたあちこち行くけれど、天皇家だってずっとずっと仏教とも深い関わりを持ってきたんだよね。それを明治に完全に切っちゃった。それって何か不都合はなかったんだろうか。明治ってすごい時代だよねえ。いいのか悪いのかというのは判断できないけれど。

 とまあ、「旅したい系」と「歴史勉強したい系」と「神様の話ってけっこう面白い系」のいくつかのテーマで楽しめた本でした。このテーマは当分、マイブームだと思います。

 
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