2014/9/21  15:41 | 投稿者: masuko

 神長官守矢資料館で・・・藤森氏の建築物に興味を持って訪れたのだが、諏訪大社とそれ以前の土着の神様という歴史のロマンに遭遇した。
 事実は何だったのかというのは永遠の謎だな。

 資料館でいろいろと説明してくれた案内人のおじさんのいうことには・・・

 諏訪大社は出雲からきた神様が祀られている。その神様が来た時に、この地域の部族を束ね神事を司っていたのが守矢家。出雲からの神様と戦い征服されたとはいえ、うまく立ち回り出雲の神様を上手に立てて自分が政治と神事の実権を握り、諏訪神社の神事を司ってきた。脈々とそれは明治維新になるまで続いた。故に出雲の神様は農耕の神様であるにもかかわらず、諏訪大社には狩猟の神事と思えるものが現在まで続いている。動物を生け贄にするような神事だ。

 資料館の入口フロアに展示されている。これは江戸時代に菅江真澄という人が祭をみてスケッチしたものが遺っていてそれをもとにしているそうです。このことについてとっても詳しくHPで紹介しているマニアがいました。参考までにこちらこちら

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 現在も上社で4月15日御頭祭(酉の祭)として受け継がれている。そのお祭りの様子を写真で紹介しているサイトがないかなあって探したら、前述のHPで紹介されていました。

 案内人のおじさんの話に戻ると

 守矢さんの守っていたもともとの神様が守矢さんの家の庭にあるこのかわいい神社。パワースポットとして最近は訪れる人も多い。
 
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 ってことはですね。この神社はすっっ〜ごく古いってことですねえ。そして御神体は栗やらカジやらカヤやらといった「木」。
 なんだかとっても凄いぞーって気持ちになっちゃってけっこうマジメにシッカリと祈ってしまいました。そしてなんとなんと、「神様、くださいなあ」とお願いして、落ちている栗を拾わせていただいちゃいました。美味しくいただきましたよ。神様ありがとう。

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 守矢さんの神官という職はずっとずっと親から子へと伝えられてきたけれど、明治政府になってからそういう世襲制は廃止されてしまった。そして、現代では子孫である方が女性で小学校の先生。家の蔵にあるたくさんの小文書の保管と公開のために茅野市に寄附され資料館を作った。その建築には実家が守矢さんのすぐ近くでその女性と学校も同じ藤森さんに白羽の矢があたった。藤森さんは自分は設計はしないと始めは断っていたが、家から見える建物が他の人が作ったものというのも残念なので引き受けた。

 とまあ、緑字のところがおじさんの説明です。

 で、ここからは歴史の謎なんだけれど、このお祭りとユダヤのお祭りと似たところがあるっていう話があるんだよね。遠い地球の裏側の文化が日本に流れてきたのか、はたまた日本の文化があちらへ流れていったのか・・・最近、よく話を聞きにいっている大田さんや宇宙由来の魂をもっているという保江さんなんかはあちらの文化が日本に来たと言っていますねえ。まあ、どっちでもいいけれど、けっこう昔から地球規模で人が動いていたってことだよね。それを思うとなんだかワクワクしちゃう。どうやって旅したのかなあとか、新しい土地でどうやって生活を作っていったのかなあとか・・言葉はどうなってたのかなあ。文字みたいなものは??? 

 そういうことと縄文時代の暮らしなんかとどんな関係にあるんだろう。

 
 
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2014/9/21  10:39 | 投稿者: masuko

 んー。どうなんだこれ。実際使い物になるんか。ちょっとモノを入れただけで、ダレ-と伸びるよな。やっぱり本に指定してあるとおりに並太くらいでもう少し詰まった感じで作らないとだめかな。まあ、外に持って歩くかずとも何か小物を整理して入れてベッドまわりのフックに掛けておくとか・・・工夫しますか。せっかく作ったんで。
 創作意欲はあるけれど、なかなかバッチリというものはできませんねえ。

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