2013/5/19  21:06 | 投稿者: masuko

 南三陸町では津波が到達してしまったところには今後住居を建てない方針とのこと。商店はコンテナを利用して立てる。工場とか水産物の処理場みたいなものは立ててもいいけれどやはり簡易な方法で立てているみたい。住居は高台移転。漁師さんは今まで住居と作業所とが同じだったり近かったりしたんだろうけれど、海近くの作業所と高台の住居の2つを生活の拠点にしていかなくてはいけない。被災して家がなくなってしまった人は今はまだみんな仮設住宅での生活。高台に新しい家を立てるために山の造成をしているけれど、縄文時代の貝塚とか遺跡とかがでてきちゃって造成はなかなか進まず、予定としては2年後ぐらいにやっと新しい家を建築できるらしい。仮設住宅は学校の運動場を利用しているので子どもたちの運動する場が全然ない。こどもの肥満も問題になっているとか。学校もいくつか残った学校の校舎を利用して合併して運営。子どもたちはスクールバスで登校。ガレキの山の中を歩いて登校できないとか、今住んでいる仮設住宅と今までの学校、あるいは仮の校舎とは遠いとか、いろいろな事情によるんだろうね。実際私たちが寄ったちょっと高めのところにある中学校の運動場は仮設住宅がいっぱいできていたけれど、学校の校舎は1階が津波でやられて使えないために校舎の利用はしていなかった。生徒たちは他のところで勉強しているんだろうね。ここの中学は結果2階に逃げれば津波からは助かったのだけれど、そんなことは結果論でとにかく高いところに生徒を避難させようとして裏山を登らせたとのこと、うまく山の斜面を登れなかった生徒さん1名と、近所の脚の悪いお年寄りを助けた先生1名が津波に流されてしまい亡くなったそうだ。

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 コンテナで作られた商店。一日目の昼食はここで海鮮どんぶりを食べた。今はうにがおいしい時期だそうだ。でも、うに丼ってうにだらけだからなあ。うには好きだけれど、少しで十分だしけっこうなお値段なんでねえ、海鮮(いくら、まぐろのすきみ、たこ)にしたよ。たこもこのあたりはよくとれて美味しいとな。
 民宿の夕食には岩牡蠣がたっぷり。生ではなくて蒸してあった。めかぶ、ひじき、わかめなどの海藻類もたっぷりでた。
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2013/5/19  20:30 | 投稿者: masuko

 私がここで写真をたくさんアップしても、このブログを見てくださっている方にとってはニュース等で見て感じること(感じてきたこと)と同じだと思う。つまり、映像は映像だ。直にこの目で見て感じてみるのとは全く違う。そのことがよくわかった。
 私は家にテレビもないし新聞もとってないし、3.11の後、それほど多くの映像で津波の被害やその後のいろいろなことを見ていない。なんとなく、心が苦しくなってしまうから自分から進んでインターネットでこの話題のページをクリックすることもしなかった。原発のこととなるとなおさらだ。(我が家ではは原発のことの方を夫がかなり心配してネットではその関係のことが流れている時間が長かった。でも真剣にみているのは夫。私は怖いが先にたち、まともに見ることができなかった。)
 まあ、そうはいってもいろいろな視覚的な情報や被災地の人々の状況は目に耳に入った。
 しかし、現場で感じるというのは違う。本当にそのことの大きさにびっくりした。多くの人が「被災地に行こう」を実行して被災地のことを忘れないという思いをあらたにすることがとても大切なことなのではないだろうか。
 
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 ショベルカーのあたりには小学校があったとのこと。もちろん、そのまわりは住宅街だった。。
 被災して利用できなくなった建物はどんどん壊されている。一般の住宅も区割りがやっとはっきりしたので(南三陸町は役場が全部流されているのでそれぞれの土地の所有に関する資料等が何もなく確認するのに時間がかかった)住宅の基礎の部分の掘り起しがやっと行われるようになったそうだ。町のいたるところで山となっていたガレキはやっと片付いてきたが今度は掘り起こした家の基礎がガレキの山となっているという状態で、これは埋め立てに使うそうだ。町の焼却場で処分するなら18年かかっただろうというゴミの焼却はやっと臨時の焼却場ができて今年の9月ごろをめどに処分が終わる見込みとのこと。

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津波で壊れた堤防
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2013/5/19  19:44 | 投稿者: masuko

 何から書こうかな。
 この企画はインターネットであちこちみていて見付けた。母体となっているのは社会貢献共同体ユナイテッド・アース。この団体が震災すぐから南三陸町にボランティアをたくさん送り込んで、その活動の変遷の中で2013年になってから「南三陸復興学びのプロジェクトチーム」が立ち上がったらしい。
 こういうことを一生懸命にやっている人たちの収入ってどうなっているのかな、どうやって生計をたてているんだろう?っていつも素朴に疑問をもってしまう。この団体はHPを見ると他国のいろいろな支援も行っている。関わっている人たちそれぞれがどんな動きをすると繋がりが強まっていって、協力や、支援が有機的に広がってそしてひとつの活動を成り立たせることができるんだろうなあ。いわゆる給料をもらって組織の中で指示されたことをやってきた人間にはなかなか想像力を働かせることができない。
 それはそれでまた、HPやfacebookなんかで見て活動の様子に関心をもっていくうちに少しはわかってくることもあるかもしれない。

 ひとことでいうとなかなかいい企画だったと思う。私がこんな感じのものないかなって探していたイメージにぴったりの企画だった。被災地を被災者が案内してくれて震災当時の話、避難所や仮設住宅の生活、復興の進み具合、復興の課題点などなどをいろいろと話てくれた。案内人個人の被災状況と今の生活についても語ってくれた。そして、ボランティアも体験させてくれたから、被災地の人のためになったぞっていう参加者の満足感がある。民宿に泊まり、津波で流されてしまった街にコンテナで作られた何店かのお店で買い物もして、いくばくかのお金も街に落としてくることもできたという満足感もある。
 南三陸町学びのプログラムのHPはここ

 日によって参加者の数はいろいろ違うと思うけれど、今回は私をいれて5人。女性3人はそれぞれ一人で申し込んでいる。関東地区で看護師をしていてやめて故郷の仙台に帰ってきたばかりのたぶん20代後半の女性。半年ほど前に薬剤師を退職し、来週からはイギリスにホームステイ(2週間)をしようとしている熱血おばさん(65歳)。そして私。男性2人は会社の社会貢献事業らしく、出張できていた。西田敏行みたいなおじさんと北島康介にちょっと似ているかもっていう若者。女性3人は当然相部屋だからいろいろ話をしたけれど、感じのよい方々でよかった。
 とりあえず@はここまで
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2013/5/19  8:51 | 投稿者: masuko

 さすがに疲れたので東京で「ガレキとラジオ」(19:00〜)を観てから静岡に戻る計画はやめてすぐに帰ってきた。夫からもすごく疲れた顔しているよと言われてさっさと寝ることにしたけれど、意外と寝付けず、読みかけの本を読み終えた。数冊の読みかけの本がベッドまわりに転がっている。
 五木ファンがますます本格的になってしまう一冊だ。マイナス表現の中で力強く人間の心の再生を訴えている・・・のかな。

人間は哀しいものだと思い、人生は残酷であるのが自然だと考える。
絶望を抱いて生きたからといって悪い脳内ホルモンが出ては心身をむしばむわけではない。
存在するのは大河であり、私たちはそこを下っていく一滴の水のようなものだ。ときにはとびはね、ときには歌い、ときには黙々と海へ動いていくのである。
悲しみによって逆に、いきいきと活性化させられていく命もある。心もある。
本当に人間にとって重要なことは深刻に悩むことによって人間の自然治癒力とか命が活性化していくのだと、いうふうに、ぼくは考えたい。(あちこちからの抜粋)


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2013/5/19  8:34 | 投稿者: masuko

 昨日はホテルでゆっくり寝るつもりだったのに、いつもの通り6時ちょっと前に目がさめてしまって8時半にはホテルをチェックアウトしてしまった。早朝から駅のお土産屋さんはがんばっているから、いろいろ買って、コインロッカーに入れて活動開始で仙台のお街をうろうろしたんだけれど、まあ、それはそれで別に紹介するとして。
 昼前ぐらいに駅の本屋の前を通りかかったら、疲れていたからだろうけれど、急に旅行モードがプッツンしちゃった。ふっと目にはいった本を2冊購入。予約してあった東北新幹線の時間までの2時間ほどを駅横のショッピングビルのベンチでアイスクリームの昼食と読書でつぶす。帰りの新幹線とで読み終えちゃった。
 村上春樹さんの短編小説。村上さんが人から聞いた話を聞いたままに書いただけだよっていうスタイルで書いている小説。だいぶ村上ワールドに慣れてきたしちょっとずつのめってきているかも。話の展開に読者をぐっとひきつける。長編に挑戦してみようかな。

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