2013/5/30  16:04 | 投稿者: masuko

 次は袴パンツというものにした。作務衣とか、もんぺとかもっと着物ですよっていう感じのものも一度挑戦しようとは思っているのだけれど、とにもかくにも、ほどいた着物の布の幅のままの長方形の布4枚をまっすぐ縫ったらズボンになっちゃった!みたいな簡単なものを購入した本から探して挑戦してみた。
 それにしても着物って本当によく考えられているねえ。ほどいていくと、反物をほとんど切らずに作ってあるんだってことがよく分かる。肩のところで輪になって前身頃と後ろ身頃がずっとつながっている。その部分からズボンなんて十分に出来ちゃう。着る人のサイズに対して布の幅が広すぎれば、折りたたんで縫ってある。だから叔母の着物を私の寸法に替えてっていう時に(私は腕が長いの叔母のものも母のものも着ると裄が足りない)たたんであるところを広げて裄が長くなるようにすることができるって訳だ。だから親から娘へ作り替えていったり、そしてもっと痛んでくれば、布団や赤ちゃんのおしめにしちゃったり。果てはぞうきん。すごいエコだなあ。日本人の知恵は凄いッス!

 丁寧に一針一針手縫いしてあるのをほどいていくと誰が縫ったのかなあ、なんだかぬくもりが感じられるなあなんて・・・・そうだ!和裁をやってみるっていうのも面白いかもなあ(なんちゃって・・・)

 で、話題を本題に、もどいていくと、着物リメイクの本でこれはいいかもって選択していく時に、作り方もかなり重要な条件(簡単だっていうこと)だけれど、写真も選択を左右する大きな条件になる。でも、その写真とは違う材質、柄の布地で作るわけだから、どんな仕上がり具合になるかをイメージするのがなかなか難しい。まあ、そんなわけで、どうも、この選択があっていたかどうかはよくわからない。ただ、今のところなんていうか、手慣らし、練習、作ることに意義ありっていうことでまあいいのではないかな。そして、タンスの中で眠っているよりもともかく着てあげることが大事っていうこで満足しよう。
 私が子どもの頃、母が割りとよく着ていたという記憶のある、ウールの着物。

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 こんな感じとなりました。ウエストはタックとダーツ。そして後ろのみにゴムが入っています。
 幅がタップリなんで、冬には下に厚着ができます。冷え取り健康法的にはスタイルをごまかしやすいデザインですが、この柄の場合、オーソドックスにもんぺもよかったかもしれないですね。

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2013/5/28  19:50 | 投稿者: masuko

 月曜日にヨガスタジオにいった。インストラクターが毎回レッスンの始めに話をする。今回の話は・・・

 日々、忙しい中で、あれをこーやって、次はこうして・・・と先々のことを考えたり、あーあれはこうすればよかったのに・・・と過ぎたことを考えたりして時間が過ぎていくのが私たちの日常です。今からの時間は今の自分、今、この瞬間を生きている自分や自分の身体に気持ちを向けて、感じる時間にしましょう。ヨガをする時間をそういう時間にしていってほしい。

 すっごく納得。
 仕事していた時は「段取りがいい」というのが自慢だった。先々のことを考え、仕事の優先順位を考え、短時間でてきぱきと準備し・・・用意周到な授業や行事の展開に我ながら・・・・と自己満足した。そしてその段取りの途中途中で、今夜のおかずは何にしよう、買い物は何と何をいつするか、両親の介護は・・・など、私的なことについてもいつも先々と考え、抜かりの内容につとめた。

 あー今、この瞬間。呼吸をしている自分、息を吸う、はく、お腹や胸が動く、ちょっと○○が痛い、○○が固い・・・身体の○○が床についている、○○の力が抜けていく、気持ちが和らいでいく、○○が気持ちがいい・・・

 こんな時間が欲しかったんだ。こんな時間が必要だったんだ。
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2013/5/28  16:50 | 投稿者: masuko

 副題に「涙あふれる14の物語」とある。書店であんまり考えずにふと目に入りすっと買ってしまう本がある。この本が典型的。犬を飼ったこともない私がなんで買ったのかな。ちょっと安易な感じで心温まる、感動する、涙する・・・みたいな気分になるのもいいかなって思ったのかも知れない。
 動物と人間との心の交流は人と人以上にピュアで素敵なものなんだろうなって思う。でも、とりあえず、今は犬を飼ってみたいとは思わない。いつか人生で初めて犬を飼うということをしてみようと思うことがあるだろうか。
 前述の目的通り、心はほっこりした。

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2013/5/27  22:46 | 投稿者: masuko

 お寿司屋さんで寄席があった。お寿司を食べて一杯飲んで、柳家三三師匠独演会で笑って8000円。いいね。いやー落語、面白かったです!東京や大阪で寄席に数回いったことがあるけれど、あんまり巧くないなっていう人もいるけれど「(さんざ)三三師匠」いいですね。東京でもかなりの人気だそうです。
 初めて単衣の着物を着ました。叔母の合わせの着物を単衣に作り替えました。夏用の竹の繊維入りというポリの襦袢を新調。夏帯も新調してしまいました。んーついつい。モノを減らそうとしているのに増えてしまうねえ。
 着付けている時には帯がなかなかうまくいかないんで、大奮闘して汗が出てきちゃったけれど、着てしまえば、夕方からは割と涼しくてちょうど良かったです。真夏に透ける絽の着物きてみたいけれど、やっぱり暑いだろうなあ。

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2013/5/26  21:31 | 投稿者: masuko

 高峰は普段は日記はつけないが、旅に出ると小さなノートに記録をつけており、それが58冊も残されているとのことだ。そのうちのこれはbQ。1958年の8月にイタリアのヴェニス国際映画祭に出席し、そのあと、夫婦で3月末までヨーロッパを旅した旅行記で、このノートにだけタイトルが付けられ表紙に絵まで描かれていたとのこと。養女の斉藤さんや斉藤さん担当の編集者が他のノートと違ってこれはひとつのエッセイになっていると感じて本になったといういきさつ。
 毎日、誰と会って、どこのレストランにいって何を食べて、おいしかったかまずかったかということが一番の話題。お買いもののことや尋ねた街の様子や出会ったホテルのおかみさんのことなども書かれている。有名人もかなり登場する。今日出美(東光)、梅原龍三郎、藤原嗣治、岸恵子、花柳章太郎などと現地であっている。お土産の話題になると谷崎家が何度もでてくる。借金をしてまでも旅行し、おいしいものを食べ歩く。毎日、歩き回るので靴があわなくなったりつぶれたりするようで、何度靴を買ったという話題がでてくることか。珍しいアザラシの毛皮のコートも買う。日記には「善三」「Z」と夫のこともたくさん出てくる。夫が旅を楽しんでいる様子がうれしいらしく、「善三ご機嫌」というような記述が多い。行きは飛行機だが、帰りは船で、立ち寄る港でまたまたたくさんの布地などを買い込む。
 超売れっ子の映画女優が7か月も日本を留守にして映画に出ないで遊ぶ。なかなか思いっきりのよい高峰さんならではの生き方だ。二人三脚と自分でこの旅行を言い表すのだから、松山氏との二人きりの時間が楽しくてたまらなかったのだろう。子どもの時からずっとずっと働き続けてきたお秀さん。よい休暇だったんだろうな。そんなことが感じられる旅行記だった。


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2013/5/25  14:51 | 投稿者: masuko

 自分でもびっくりなんですが、今日は元の職場の運動会だったんでちょっと顔だそう・・・って思って行こうとしたら、なんだか、緊張しちゃって脚が重いんですよ。どうしてかなあって、ゆっくりと自転車のペダルを踏みながら向かう途中で考えたんだけれど、多分、「○○先生の顔」にモードを切り替えるのが大変、負担に思っているのかなって自分を分析しました。すっかり仕事していたころの自分とは今は違う自分になったんだーって改めて思いました。
 まあ、行ってしまって懐かしい顔に逢ってしまえばもう、大丈夫なんですけれどね。我ながらバカみたいと思いました。でも、ある意味、安心したっていうか、退職したいろいろの目的の中の重要な部分(心のどこかの部分を開放する)を果たしているように思いました。
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2013/5/24  15:34 | 投稿者: masuko

 用事とやらは夜の会合なんで、一泊した次の日は歌舞伎座に行きましたよ。歌舞伎を観るのに初めてチケットをあらかじめ用意せず、一幕見というやつに挑戦しました。11時から一部が開演するのに一幕見のチケットの販売は10時半から。でも9時過ぎにいってもけっこうもう並んでいました。ま、90席あると聞いていたので大丈夫ではあります。やっと10時半になって購入したときには25番という整理番号がついていました。一部全体(二幕続き)で購入することもできるので、せっかくなのでそのようにすると二幕目のチケットは7番。(25人中、二幕続けて購入した人が私以外に6人いたということです。)番号順に幕見席に入れてくれて席を選ばせてくれる。90人以上は立ち見。立ち見の人数も決まっているのでしょうね。ある時点でチケット購入打ち切りということになるようです。一幕が1500円から2500円。演目によってちがうようです。続けて買って4000円。3等のB席4000円と一緒です。でも、4階の幕見席のみの立ち入りしかできませんから、3階以下の売店とかあちこちをうろうろすることはできません。舞台自体はけっこうよく見えていますね。花道の奥は見えないのはしかたがありません。2階席以上はそんなもんです。
 菊五郎、仁左衛門、幸四郎などの大幹部が出ていて寺子屋、三人吉三、良かったですよ。でも、勘三郎や団十郎をもう見ることが出来ないんですよねえ。新しい歌舞伎座で演じるお二人を観たかったなあ。
 歌舞伎座タワーに上るのも長蛇の列。木挽町広場も賑わっていました。大観光地ですね。コンビニに売っているものもみんな歌舞伎座仕様です。

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2013/5/24  9:39 | 投稿者: masuko

 東京に行ったついでにちょっと観光。
 旧古河庭園のバラがいい時期なので見に行く。
 きれいだったよ!!すてきなところだ。洋館の見学はあらかじめ往復ハガキでもうしこんでおかなくてはいけなかった。残念。でも庭園みただけでもOKだね。東京はすてき公園がたくさんあるなあ。

 バラの種類はすごくたくさん!
 けっこうな賑わいだったよ。

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2013/5/24  9:29 | 投稿者: masuko

 ちょっと用事があって一泊で東京に行ってきた。小旅行はけっこう読書の時間がとれる。新幹線の中や用事と用事の合間などなど。
 仙台駅の書店でふっと購入した本。
 復興におけるいろいろな人のエピソード。課題はいっぱいあるけれど、でも希望や夢を捨てずにがんばるぞ!震災をきっかけに発想の転換!人の絆の強まり!という美談系や、震災で見えてきた日本の社会の課題の投げかけ。そして忘れないで、被災地にともかく脚を運ぼうっていうアピール。
 生きていくっていうことは大変なことだよなあ。そして素晴らしい!

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2013/5/21  11:35 | 投稿者: masuko

 被災地訪問は夕方19時頃仙台到着で終了した。その脚で静岡まで帰れないこともなかったが、もう一泊。
 仙台市内を歩いてみた。青葉通り、定禅寺通りやアーケードの商店街などをうろうろした。ちょうど仙台青葉祭りの初日ということで昼前ごろからかなりの人。すずめ踊りなるものをグループごとに披露しながらアーケード街を練り歩いていた。

 定善寺通りの欅はすばらしいね。
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 祭りの賑わい
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 まあ、古くからあるお祭りではなく、最近できた都市型のお祭り。静岡の夜桜乱舞みたいなもんでしょ。

 けっこうよく歩きましたよ。
 荒城の月の作詞家、土井晩翠が晩年を過ごしたという家、晩翠草堂にも寄りました。日本全国あちこちの校歌の作詞もしているようで、静岡のいくつかの学校の名もありました。

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2013/5/20  20:45 | 投稿者: masuko

 被災地に行く前日は昼前に仙台入り。静岡を8時半のひかりで11時半には仙台。けっこう速いね。
 瑞鳳殿(伊達政宗公霊屋)と青葉城、仙台市博物館に行きました。伊達家のことを勉強したね。支倉常長さんを大使とする慶長遣欧使節のこととかあんまり知らなかったんで勉強になりやんした。
 夕食は牛タン焼きと牛タンシチューがセットになっているものを食べたけれど、もっとしっかり牛タンだけ食べれば良かったかな。

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 広瀬川はまあ、ぐねぐね蛇行して蕩蕩と仙台市内を流れているね

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 仙台市博物館 市でこれだけの歴史博物館があるのはいいね。旅行に行くとどうも静岡市のちゃっちさを感じちゃうよね。

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 青葉城の石垣が立派。立地条件がいいよね。小高い丘で一面は崖、後ろは険しい山、そして蛇行する広瀬川に囲まれて攻めにくい。自然の要塞。城にするのにぴったりの場所だね

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 青葉城恋歌思い出しました。
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2013/5/20  17:55 | 投稿者: masuko

 さて、二日目はボランティア。海水浴場が当然すべて潰れてしまい、子ども達は泳ぐところがない。あるボランティア団体が昨年の夏に子ども達を沖縄の海に連れて行った。子ども達は喜んだ・・・当然、また来たいと言うかと思ったら、南三陸町の自分達の海で泳ぎたいと言ったそうだ。そんな声に応えるために県が企画している防波堤(8メートル)の建設予定地との兼ね合い等から選んだ小さなスペースを子ども達が遊ぶことのできる海岸にしようというこのボランティア団体の活動。私が参加しているユナイテッド・アースとはまた違う団体だが、お互いにいろいろと協力しているようだ。
 ある会社の好意で重機が海岸に入り、砂場を掘り起こし、たくさんのガレキを掘り出した。その後始末やら、わかめの養殖業者が捨てるわかめの残骸が海岸にたくさん打ち寄せられてくるのでその片付けなど、9時から3時過ぎまで、1時間の休憩を挟んでよく働きました。
 海の日、海開きをめざしているとのこと。ネットで活動の今後に注目していたい。

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民宿の窓から。静かな海。リアス式海岸のきれいな風景だ。

右側の道路の下をアップすると

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まだまだ・・・
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2013/5/20  17:19 | 投稿者: masuko

 震災の報道に目や耳をふさいでしまうことが多い私だったが、役場の女性が防災無線で必死に町民に避難するように呼び掛け、結局ご自身は逃げ遅れて亡くなられたということは知っていた。防災センターの防災担当の職員を始め役場の職員がほとんど流されてしまい、後に残ったのは数人だったということも知ってはいた。
 
 その現場だ。現場に立つ。胸に迫ってくるもの・・・・それをどう処理すればいいのだろうか。この思いを今後の何に役立てていけばいいのだろうか。

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 防災センターの屋上に避難したのは30名ほど。助かったのは10名。仲間が流されてしまった。街が壊滅した・・・濡れた身体で雪の降るような寒い夜を凍えながらそのまま屋上で過ごすしかない。
 詳しくは河北新報がまとめたページがあった。ここ

 今、この建物を残すか取り壊すか、住民の間で話し合われているようだ。このことは南三陸町に限らず、被災したたくさんの地域で、いつまでも震災のことを忘れず教訓とするために震災遺構としたいという意見と、亡くなった方を思い出すのが辛いから取り壊して欲しいという意見の両方があり、その他、費用等の問題もあり大きな課題になっているようだ。ちょうど、仙台に前泊した日の夜、NHKのクローズアップ現代でやっていた。中学生が中心になって保存を訴えているところもあるようだ。
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2013/5/19  21:06 | 投稿者: masuko

 南三陸町では津波が到達してしまったところには今後住居を建てない方針とのこと。商店はコンテナを利用して立てる。工場とか水産物の処理場みたいなものは立ててもいいけれどやはり簡易な方法で立てているみたい。住居は高台移転。漁師さんは今まで住居と作業所とが同じだったり近かったりしたんだろうけれど、海近くの作業所と高台の住居の2つを生活の拠点にしていかなくてはいけない。被災して家がなくなってしまった人は今はまだみんな仮設住宅での生活。高台に新しい家を立てるために山の造成をしているけれど、縄文時代の貝塚とか遺跡とかがでてきちゃって造成はなかなか進まず、予定としては2年後ぐらいにやっと新しい家を建築できるらしい。仮設住宅は学校の運動場を利用しているので子どもたちの運動する場が全然ない。こどもの肥満も問題になっているとか。学校もいくつか残った学校の校舎を利用して合併して運営。子どもたちはスクールバスで登校。ガレキの山の中を歩いて登校できないとか、今住んでいる仮設住宅と今までの学校、あるいは仮の校舎とは遠いとか、いろいろな事情によるんだろうね。実際私たちが寄ったちょっと高めのところにある中学校の運動場は仮設住宅がいっぱいできていたけれど、学校の校舎は1階が津波でやられて使えないために校舎の利用はしていなかった。生徒たちは他のところで勉強しているんだろうね。ここの中学は結果2階に逃げれば津波からは助かったのだけれど、そんなことは結果論でとにかく高いところに生徒を避難させようとして裏山を登らせたとのこと、うまく山の斜面を登れなかった生徒さん1名と、近所の脚の悪いお年寄りを助けた先生1名が津波に流されてしまい亡くなったそうだ。

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 コンテナで作られた商店。一日目の昼食はここで海鮮どんぶりを食べた。今はうにがおいしい時期だそうだ。でも、うに丼ってうにだらけだからなあ。うには好きだけれど、少しで十分だしけっこうなお値段なんでねえ、海鮮(いくら、まぐろのすきみ、たこ)にしたよ。たこもこのあたりはよくとれて美味しいとな。
 民宿の夕食には岩牡蠣がたっぷり。生ではなくて蒸してあった。めかぶ、ひじき、わかめなどの海藻類もたっぷりでた。
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2013/5/19  20:30 | 投稿者: masuko

 私がここで写真をたくさんアップしても、このブログを見てくださっている方にとってはニュース等で見て感じること(感じてきたこと)と同じだと思う。つまり、映像は映像だ。直にこの目で見て感じてみるのとは全く違う。そのことがよくわかった。
 私は家にテレビもないし新聞もとってないし、3.11の後、それほど多くの映像で津波の被害やその後のいろいろなことを見ていない。なんとなく、心が苦しくなってしまうから自分から進んでインターネットでこの話題のページをクリックすることもしなかった。原発のこととなるとなおさらだ。(我が家ではは原発のことの方を夫がかなり心配してネットではその関係のことが流れている時間が長かった。でも真剣にみているのは夫。私は怖いが先にたち、まともに見ることができなかった。)
 まあ、そうはいってもいろいろな視覚的な情報や被災地の人々の状況は目に耳に入った。
 しかし、現場で感じるというのは違う。本当にそのことの大きさにびっくりした。多くの人が「被災地に行こう」を実行して被災地のことを忘れないという思いをあらたにすることがとても大切なことなのではないだろうか。
 
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 ショベルカーのあたりには小学校があったとのこと。もちろん、そのまわりは住宅街だった。。
 被災して利用できなくなった建物はどんどん壊されている。一般の住宅も区割りがやっとはっきりしたので(南三陸町は役場が全部流されているのでそれぞれの土地の所有に関する資料等が何もなく確認するのに時間がかかった)住宅の基礎の部分の掘り起しがやっと行われるようになったそうだ。町のいたるところで山となっていたガレキはやっと片付いてきたが今度は掘り起こした家の基礎がガレキの山となっているという状態で、これは埋め立てに使うそうだ。町の焼却場で処分するなら18年かかっただろうというゴミの焼却はやっと臨時の焼却場ができて今年の9月ごろをめどに処分が終わる見込みとのこと。

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津波で壊れた堤防
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