2005/12/4  22:08 | 投稿者: 益子

 それほどの読書家ではないが、時間がある時には、努めて本を読むようにしている。瀬戸内寂聴の小説やエッセイ集が好きでよく読む。東北の天台寺に、法話を聞きに行ったことはないが、京都、嵯峨野の寂庵に写経に行ったことはある。残念ながら、寂聴さんは留守だった。寂聴さんの影響を受けてか、仏教関係の本も結構読む。仏教の教えをやさしく説くようなものも読むが、比較的最近読んだ本で「がんばれ仏教」(上田紀行、NHKブックス)が面白かった。葬式や法事だけをやって金儲けをしているお寺ではなく、人々の心の支えとなる宗教としての仏教・寺の再生をめざして、ユニークな活動をしている僧侶の紹介が主な内容で、こんなお坊さんが増えれば、日本人にとっての宗教、仏教は意味のあるものになるだろうと思った。その中に、松本の神宮寺住職の高橋卓志が紹介されている。この方は、チェルノブイリの子どもたちを救うための活動を熱心にされている。また、お寺で永六輔を校長とする「尋常浅間学校」を開き、コンサートや演劇、さまざまな問題提供の授業を行っている。寺の襖絵は「原爆の図」で有名な丸木位里・俊が描いている。さらに医者であり、「がんばらない」「あきらめない」(集英社)などの著者である、鎌田實(諏訪中央病院院長)と仲良しであり、二人で「生き方のコツ 死に方の選択」(集英社)という本を書いている。お二人の本を読むと、いかに死ぬかということを考えることはいかに生きるかと同じ意味を持つのだということ、それは、個人の尊厳の問題であり、病院のシステムや、医者や最新医療の傲慢さでないがしろにされることの許されない問題なのだということが強く感じられ、考えさせられる。 現代の医療を鋭く批判しながら、笑える本になっているのは永井明の「僕が医者をやめた理由」(角川)の一連のシリーズだ。患者の遺族という立場で現代の医療の問題を鋭く突いているのは、遠藤周作の奥さんである遠藤順子の「夫の宿題」「再会」(PHP研究所)で一読の価値があると思う。
 本屋に行くと、五十からでもおそくないというようなタイトルの中高年の女性が元気いっぱいに自己実現している様子を紹介している本にもつい目が行く。
 本を読むことで、生き方を考え、これからも自分の可能性を追求していく気持ちを喚起していきたい。
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2005/12/4  22:04 | 投稿者: 益子

 西国三十三ヶ寺めぐりを数年前からしているが、和歌山方面に行くチャンスがなかなかなかった。この夏、ようやく和歌山の三つのお寺と高野山に行ってくることができた。これと言った信心もないが、一度始めてしまったことが中途半端になっているのは、やはり気になるものだ。
 車の運転はしないのでどこに行くにも電車やバスを使う。分厚い時刻表を買ってこなくてもインターネットで調べられるだろうとやってみた。調べることはできたが、どうにもまどろっこしく、時刻表は本当に良くできていると改めて感心した。ペラペラとめくるだけで、旅行を予定している方面の電車・バスの事情がすぐにわかる。しかし、インターネットだと全容を知ることが意外に難しいものだった。手馴れていないからかもしれないが。
 朝早い新幹線で名古屋に向かい、特急南紀一号で紀伊勝浦に。勝浦駅から青岸渡寺行きのバスが出ている。家を六時二十分に出て寺に着いたのは昼過ぎ。遠いといえば遠いが、思い立ってしまいさえすれば近いものだ。寺にはお決まりの石段を登る。フーフーと息を荒げて寺の参道を登る時にいつでも思うのは「昔の人がこんな山の中に、こんな立派な寺を作ったことのすごさ」だ。その信心、財力、建築資材の運搬や建築の知恵、そして多くの人が、歩いて参拝したということ。全てがすごい。熊野では「蟻の熊野詣」といわれる程の行列だったとか。
 寺では丁度読経が始まった。お坊さんたちの読経の後、参拝者も一緒に、軽快な太鼓のリズムにあわせて般若心経を唱えた。周りの人を見るとみんなお仲間で、「施無畏」と書いてあるそろいの白いTシャツ、白いトレパンといういでたち。お遍路さん衣装の現代版らしい。般若心経もすらすらと何も見ないで唱えている。「う〜ん。コレが本当の観音巡りか。」とスタンプ集めの域を脱しない自分にはあんまりご利益がないように思えたが、それでもしっかり観音様に手を合わせた。那智の滝が雄大だった。熊野古道も少し歩いた。
 その日は、御坊で一泊。二日目は、紀三井寺と粉河寺を回って午後の三時ごろ高野山入りし、もう一泊した。高野山は下界よりは涼しくヒグラシが鳴いていた。三十三、四度と言う気温の中での旅行だったが気ままで楽しい一人旅だった。
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2005/12/3  17:01 | 投稿者: 益子

 
 結婚した時、夫のアパートにテレビがなかった。そのまま新生活が始まった。特に抵抗はなかった。夫の両親が初めてそのアパートに遊びに来た時に、テレビをお土産に持ってきた。お嫁さんがかわいそうだと思ったのだろうか。あれば見てしまう。夕飯やその後の団欒で巨人戦や大河ドラマを楽しんだ。産休や育児休業で仕事に行かなくなると、自ずとテレビの視聴時間は増え、いわゆる連続ドラマやワイドショーを見た。
 長男が生まれ、だんだんに起きて遊ぶ時間が増えて来た頃に、夫がテレビをやめようと言い出した。本来、大人にとってもテレビは?という疑問を持っていたが、赤ちゃんのお守にテレビを使うことを危惧しての提案だったと思う。実行した。以来、現在に至る二十年程、我が家にはテレビがない。テレビの音声の入るラジオはある。UHFも入るラジオなので音だけは全てのチャンネルの音を聴くことができる。音だけでもそこそこ楽しめる。下手な演技や粗悪な映像を見るよりは音だけで充分だという言い方のできる番組もある。音だけだと「〜ながら」ができる。
 子ども達が小さい頃には、どうしても見たい番組は祖父母のところでビデオに撮ってもらい、二週間に一度ぐらい訪ねては見ていた。「・・レンジャー」といった番組だ。しかし、子ども達から「テレビを買って」とせがまれたことは一度もない。
 私は読み聞かせに熱心で、三人の子どもにたくさんの絵本や児童図書を読み聞かせた。長男が九歳の時「モモ」を少しずつ読み聞かせていた。三歳の末っ子もいっしょに聞いていて、結構、理解していたように思う。絵本の「〜歳向き」なんていうのは気にしなくても良いと、その時思った。
また、お父さんと碁を打つことが流行った時もあった。毎日、夕食後に一人ずつお父さんと対戦した。オセロやダイヤモンドゲームも流行った。ゲームボーイやテレビゲームが大流行している世の中で、家族でダイヤモンドゲームをしているのはなかなか変わり者一家だ。
 テレビゲームにはコミュニケーションがないが、読み聞かせやオセロにはある。我が家の夕食後の団欒の過ごし方はテレビがないからだと言い切ることは出来ないが、やはりあったらこうはならなかっただろうと思う。
 私も夫も密かに勝利宣言をしている。
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2005/12/3  16:57 | 投稿者: 益子

 幼稚園の時にピアノを習いだし、五年生ぐらいまで続いた。私は練習熱心ではなかったが、ピアノを習っているということを誇らしく感じ、「運動は苦手だけれど音楽なら」という思いで小学校時代を過ごしたように思う。しかし私は音痴である。どうもピタッと合った音程で歌えない。本質的には音楽的素養、才能はないのだと思う。小学校の合唱部は音楽コンクールでいつも良い成績を収めていた。その合唱部の入部テストに見事不合格している。歌がだめなら楽器だと思ったのか、鼓笛隊に入りアコーディオンを担当した。静岡祭りの音楽パレードでは、明るい青のスカートと白のベレー帽の鼓笛隊の制服を着て、意気揚々と静岡の街の目抜き通りを歩いた。
 中学に入ると吹奏楽部を選んで、クラリネットを吹くようになった。一年生の時には、先輩のための楽器運びと基礎練習で、コンクールには出られなかったが、先輩達は中部大会、県大会、東海大会を勝ち進んで全国大会に出てしまうレベルだった。この時から私の吹奏楽人生が始まることになり、大学卒業まで続いた。
 吹奏楽の面白いところは、ハーモニーだ。自分の音と友だちの出す音が重なり合ってひとつの音になる。リズム担当との息も合ってくると、体が自然と動き出すような快さを感じる。おなかの底から息を長く吐き出すことも健康やストレス発散にいいのかもしれない。音楽が作り出す世界と、吹くという行為と、そして、そこでの多くの人たちとの出逢いが私の青春そのものである。高校時代には甲子園の応援にも行った。江川が作新高校で甲子園に出場していた時だ。母校の静岡高校はその年、準優勝している。応援団と一緒に一週間以上も泊り込んだ。楽しい青春の一ページ。
息子が小学校の頃。ハープを習いたいと言い出し、しばらく習っていた。息子に買った楽器がもったいないし、久しぶりに何かやろうと思い立ち、私も習うことにした。五年ほど続いたが、仕事が忙しくなり、「ちょっとお休みします。」と言ってからもう二年も経ってしまい残念だ。指を使って弦をはじくというのはなかなか難しい。おまけにグランドハープは足でペダルを踏んでシャープやフラットの半音作る。これがとても難しい。
音楽の才能はないが、楽器と戯れることは面白いし楽しい。ボケ防止にもなるだろうと思う。またきっとやり始めるぞと思ってはいる。
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