2005/9/5  20:28 | 投稿者: 益子

 前号で生きにくい子ども達について書いた。軽度発達障害といわれる子ども達のことで、アスペルガー症候群、注意欠陥・多動性障害(ADHD)、高機能自閉症、学習障害(LD)などの障害名をもつ。彼らはいわゆる知的障害はない。それどころか大変に優秀で、一芸に秀でていることも多い。しかし脳の機能のどこかに一般的でないところがあり、人とのコミュニケーションの持ち方や社会性に問題を持つことが多い。
 前号で、子ども達の特徴について分かりにくい方は窓際のトットちゃんを思い浮かべてほしいと書いた。窓際のトットちゃんこと黒柳徹子さんはあまりにも落ち着かない、その奇異な行動によって小学校を退学になった。彼女は繰り上がりや繰り下がりの足し算引き算ができないので、LDとも言われる。また、小さい頃の落ち着かなさはADHDとも言われる。このようにいくつかの障害名があらわす特徴を重ね持つことも多い。
 過去の天才といわれる人たちの中に軽度発達障害といわれる人たちはかなり多い。ベル、エジソン、アインシュタイン、レオナルド・ダ・ビンチ、坂本龍馬、モーツアルトなどは良く例に挙げられる。身近なところでは、長嶋茂雄氏もよく話題になる。
 つまり、これらの障害は、昨今その特性について整理され、障害名がつけられ、支援方法などが研究されるようになったが、昔から存在していたちょっと変わった人たちのことであり、そういった変わった人たちのおかげで、世の中は大きく変化し発展を遂げてきたということも多々あるのである。
 「みんなちがってみんないい」は金子みすゞの詩の中の一節だが、この一節が小学校の教師などの中でちょっとしたブームになるほど、今という時代は、みんなとどこか違う子、言い換えれば個性の強い子はかなり生きにくく、集団から排除され易い時代らしい。それが、いじめにもつながっているのだろう。
 エジソンもモーツアルトもその時代を生きる時に何らかの生きにくさを抱えていたのかもしれない。しかし、彼らが果たした偉業の功績は多大であり、その生命の存在に感謝する時、改めて、人が人として生まれてくることの尊さに障害のあるなしによる違いや差はないことと、だれでもが幸せな人生を追求していける社会の寛容さ、成熟さを願わずにはいられない。
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2005/9/1  19:46 | 投稿者: 益子

 先日、日本小児精神神経学会に参加した。以前から尊敬している先生の講演やその後の自閉症児、被虐待児、ADHD(注意欠陥・多動性障害)児の研究の第一線の学者によるシンポジウムは大変に興味深いものだったが、その中身はあまりにも重く、こんなにも子ども達は生きにくく、つらい毎日を送っているのかと思うと、一人の教育者として、どうしようもない、いたたまれなさを感じ暗澹として帰ってきた。
 昨今は、教師のいうことを聞かないとても扱いにくい子、お友達とすぐにトラブルを起こす子、落ち着かない子、学習についていけない子など様々な問題を抱えている子ども達を医学的に見て「アスペルガー症候群」「ADHD」などという発達障害だと診断することが増えてきた。(どんな子どもか想像できない方は黒柳徹子の窓際のトットちゃんを思い浮かべていただくと良い。)そして、ある種の薬が処方され、その障害の特性を保護者や教師が理解し、適切な支援方法に変えていくと、子どもの様相は劇的に変化し、学校社会に適応していくことも多い。このように、今までは障害児と名づけ、特殊教育の対象者としてはこなかった子ども達のことを、一人ひとりの子どものニーズに応じた教育の実現と言う新しい考え方での「特別支援教育」の対象者とすることが始まっている。言葉で言い表すととても綺麗で理想的だが、その現実はなかなか一筋縄ではいかない。学校現場での制度運用面の問題や、教師の意識の変革や専門性の問題などは言い出せばきりがないが、この学会で聞いたことで言うならば、さっき述べた様々な問題を抱えている子どもはその問題ゆえに既に保護者から虐待を受けていることも多く、この場合、治療や支援は簡単ではないらしい。さらに、保護者の子ども時代も似たようなことがあり、同じように虐待を受けていたことが少なからずあるという。一人の子どもの心に着目し、生き生きとした人生を送って欲しいと願った時、その保護者の過去にまでさかのぼった心のケアが必要とされているのだ。日本の学校教育や医療はそんなにもきめ細やかに、子どもと子どもを取り巻く大人をケアしていけるのだろうか。
 アメリカでは最近は子どものうつ病が問題になっているらしい。学者さんたちは日本でも数年すると子どものうつ病が騒がれるだろうと言っていた
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